よく私達は”人を殺してはいけません”と道徳の授業で教わる。では本当に、人は殺してはいけないのだろうか?

 

実は法律にはそういった類の事は書かれていない。人を殺したら罰則規定が下るだけで、その行動を禁止する条例はどこにも書かれていないのである。

 

これは死が我々の生活の一部に必然的に入り込むから制定された事に他ならない。

例えばだけど、車はある意味では存在していてば殺人を生み出す構造物だといっても過言ではなく、車はその利用の過程で必然的に事故を引き起こすリスクを発生させてしまう。

だから本当に人を殺す事が禁則事項に該当するとしたら、年間何千人もの人間が交通事故で死ぬリスクがある車なんて制度上存在が許されなくなってしまう。本当に殺人が絶対に駄目だとしたら、車は存在できない構造物なのである。

 

けどご存知のように、この地球上に車にのってはいけないという国はほとんど存在しない。

車が使われている、いま現在の状況は国家が車による交通事故がおきる事を暗に許容しているからに他ならない。

 

つまり車によって得られるメリットは、交通事故という人が死ぬデメリットを上回るというのが現在の世界的な認識であり、現代国家はある意味では”人が人を殺してしまう”事を仕方がない事だという風に織り込まれて設計されているのだ。

 

このように、道徳の授業で”悪”と教わるような行為も、しっかり考えていくと果たして本当に悪いものだとは到底いえないものがほとんどだという事に気がついていく。

 

では本当に悪い行為とは、一体何なのだろうか?それは”恨み”を生む仕組みにある。人を”恨まない”ような教えこそが、本当は道徳教育で教え込まれるべき事なのだ。

 

道徳は、人を攻撃するための免罪符ではない

人が人を殺す時、そこに恨みがあると私たちは納得する。30年間、様々な手法で嫌がらせを受けた人間が、恨みにより相手を殺したとしたら、殺人がいい事かどうかは置いといて、私たちは取りあえずその”動機”には納得する。

 

人が人を殺す時、基本的にはそこには恨みが介在する。

漫画をみていると、時々神の名のもとに異教徒を惨殺するタイプのキャラクターをみる事があるが、あれはそのキャラクターの中に”正義”があり、だからこそ”悪”を”憎む”が故に殺しているのである。

 

そもそもの話だけど、人に人を一方的に攻撃する権利は果たしてあるのだろうか?

正義という免罪符を勝手に作り上げて、異教徒を勝手に”憎み”、攻撃するだなんて、冷静に考えれば100%おかしいではないだろうか?

 

ここまで極端な例ではなくとも、実は私達も結構似たような事をよくやっている。

よく著名人の不倫や不正行為を不道徳だと糾弾するような人達がいるけども、あの行為に正当性は100%ない。そういうものは本来ならば当事者間だけで言い争われるべきことであり、他人が関わっていいようなものではない。

 

そもそも不倫が悪いことだという人がいるけども、本当に不倫は悪い行いなのだろうか?

では不倫の末に子供がうまれる事は果たして悪いことなのだろうか?不倫の末に生まれた子供は、生まれながらにして悪い存在なのだろうか?

 

仮に自分が不倫の末に生まれた存在だとしたら、自分の存在は悪なのだろうか?

当然だけど、そんな事はありえない。

子供に罪はないだろうし、まして他人がその子供の事を攻撃する権利なんて、絶対にない。

「そんなことはない、私は清廉潔白だ」という人間だってDNAを根本まで辿っていけば、祖先に不倫のような行為の末に生まれた人が1人ぐらいはいるだろう。

 

人の世の良きあり方を”道徳”というもので定義し、道徳を学べば間違いなど犯さないという人がいるがそれは真っ赤な嘘だ。

そういう人は自分の中で強固な価値観を築き上げられているからか、他人を平気で罵倒しているが、上に書いたように人の不倫といった世の中で不道徳とされる行為ですらそこにはなんら悪といえるような行為は内在していない。

 

いくら正しい道徳教育が尊い精神のあり方を問おうが、その教えが人を攻撃する大義名分となっている時点で、非常に幼い価値観だと言えよう。

道徳は、人を攻撃するための免罪符ではない。道徳が人を殺人にまで駆り立てる”恨み”を作る原因となっているとしたら、それこそが悪の元凶だと言われてもなんの申し立ても出来ないだろう。

 

人の愚かさを受け入れよう

僕の好きなライターの1人に小野美由紀さんという方がいるのだけど、彼女が書かれたエッセイの1つに不倫の子の胸のうちというものがある。

不倫の子の胸のうち

著名人の不倫のニュースが世を騒がせるたび、あーあ、またやってるよ、と不倫をした本人ではなく世間及びマスコミの方に対して飽き飽きした気持ちになる。

同時に、ざわりとした割り切れない気持ちが胸をかすめる。

なぜなら、私自身が不倫の子供であるからだ。

自分が不倫の末にできた子であることを知ったのは21歳で、実の父親に17年ぶりに再会した時だ。

それまでは、父と母はいろいろあって別れたんだろうな、くらいで、二人の関係にはさして疑問も持たずに生きてきた。

彼女がこの記事の中で、自分の父親に「なんで私をこの世に産み落としたのか」と聞く場面がある。

有料記事なので詳しくは書かないけど、彼がその時に答えた回答に僕は深く感動を覚えた。この記事はぜひ皆さんにも読んで欲しい。大変な名文である。

 

どんなに聖人君子ぶろうとしても、私たちは愚かな存在なのだ。そして愚かだからこそ、人間は醜く、また美しい存在なのだ。

人の愚かさを許そうではないか。私達も、またいうほど偉い存在ではないのだ。

 

我々は愚かな存在なのだ。他人の行いを賞罰できるような、偉い存在であるはずがない。自分の美意識にあわない他人の不道徳な行為をみても、安易に糾弾するような存在には成り下がるべきではない。

人は人。自分は自分、である。正しいも間違いもそこにはない。不倫報道が繰り返される今こそ、他人を罰する行為をつつしんでいけるようにありたい。

 

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【プロフィール】

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高須賀

都内で勤務医としてまったり生活中。

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