人は役割がないと不安になる生き物だ。どこにも所属せず、ふらふら生き続けるという事は表面上からみるほど楽ではなく、誰にでも簡単にできる事ではない。

時々、生活保護やニートの人達が何もせずにフラフラしているのをみて「けしからん」と憤っている人がいるが、実際のところ何もせずにフラフラするのは想像を絶するほど苦しいものだという事をご存知だろうか?

 

休みはたまにあるから休息になるのであり、それ単体ではただの毒だ。

人はあまりに長期間”何もしない”で時間を無為に過ごし続けさせられると、頭に様々な不安がよぎっていき、発狂してしまいかねない程の極地に立たされる事になるのである。

<参考>

20年間引きこもりしている友人に会って思わず絶句した。

 

何もしないのは何故辛いのか

”何もしない”のが辛いのは、恐らく原始時代の頃にあった風習が元になっている。

太古の昔、人は群れを形成し、他の集団と対抗しながら生活をしていた。今では隣に住んでいる地区の人達といきなり争いが始まるだなんて事はありえないけど、昔は仲間以外は全部敵という非常に殺伐とした空間が形成されていた。

 

生き物にとって安心というのは、死の恐怖にさいなまれないという事とほぼ同義だ。死の恐怖というのは根源的には餓死する事と他から襲われて殺されるという2つの恐怖がメインとなっている。

 

仲間の形成は、食べ物の確保と武力向上という2つの面で非常にメリットが大きい。お互いの利益向上の為に、人は信用できる隣人を信用し、集団を形成するという方式を採用していった。

集団は、個人より多くの場合において強い。群れを作るのがいまいち上手でなかった個人は、群れを作るのが得意な個体と比較して、あまり上手く生き残れなかった事は想像に難くない。

 

これが固着していくと今度は人の脳の中にひとりぼっちでいる事がだんだんと無意識レベルで避けたいものへとプログラムされていく事になる。

 

「1人でいるな、群れろ」

 

これが私達の無意識にインストールされたプログラムのうちの1つである。

今も昔も仲間はずれにされる事は私達の心を強く蝕むが、これは太古の昔にインストールされた脳機能の一部に、1人でいる事の恐怖が刷り込まれているからに他ならない。

よく人は1人では生きられないという風にいる人がいるが、正確には人は1人だと生きられないと思うように脳に恐怖がインストールされているといった方が正しいといえる。

 

人は徒党を組まないと、安心できないようにプログラムされている。いくら素敵なホテルであろうが一人で寝る夜が寂しくて辛いのは、1人でいると集団に襲われたらひとたまりもなく死んでしまうという古代からの恐怖が元になっているのである。

このようにかつて人は個でなく、群れで生活する事に強いメリットを有していた。

 

じゃあその群れは、どういう個人で構成されていたのだろう?そこに仕事の原型を私たちは見出す事ができる。

群れというのは、たんなる人の集まりで作られるものではない。群れは基本的に各自の得意な能力の補い合いにより形成されるものである。

 

ルフィ海賊団を思い浮かべえもられば、まあなんとなくわかりやすいかもしれない。リーダー、コック、航海士などなど。そこには各自の不得意を補い合って助け合う原始の存在が見てとれる。

これが職業の原始であり、仕事の元となったものだ。人は役職につく事で、初めてその集団の一構成員である事に納得を覚える。

 

ルフィはサンジの調理の腕を信頼して認める事で、サンジは仲間としての充足感を補填する事ができる。

ルフィはルフィで、サンジから船長として認められる事で仲間としての充足感を補填する事ができる。

 

このように仕事を通じて、彼らは自分の役職を再認識し、そしてお互いに仲間としての認知を深めていく事ができる。

こうして働くという行動を通じて、人は無意識レベルで役職を確認試合、仲間集団に所属しているという充足感を精神に補填しているのである。

 

現代に生きる私達も、脳の基本的な構図は昔の頃とさして変わりがない。普通の人なら定職についているとやっぱり安心するし、無職はやっぱり不安だ。何故か?それは上記の通り、仕事をすることが仲間集団に所属できているという風に脳が認識するからに他ならない。

このように人は、働かないと社会に所属しているという充足感が味わえないようにプログラムされてしまっているのである。ルフィ海賊団にごく潰しがいないのは、働かない海賊はフィクションの中ですら仲間として描けないからに他ならない。

 

ニートになるのに才能がいる、の本当のところ

このように”何の役職にもつかない”という状態は、本質的には仲間はずれにされているという事と無意識上ではほぼ同義であり、それはすなわち生存の危機にさらされていると脳が認識してしまう事に他ならない。

これは最も避けるべき危機として、人間の脳に組み込まれたプログラムの一部になっている。

 

あなたもよく子供の頃、夏休みが終わり頃になると早く学校に行きたくなってきたりしなかっただろうか?

あるいは今でも長期休暇の終盤頃になると、そろそろ仕事がしたくてウズウズなってくるタイプの人もいるんじゃないだろうか?

 

これらも無意識からの警告に他ならない。この警告を長期間放置し続けていくと、だんだんとアラームが強くなっていき、そのうち無意識から「はやく働いて役職につけ!じゃないと死ぬぞ」という警告がガンガンなるようになる。

 

これが無職の人々の苦しみである。彼らは生きている間、無意識からけたたましい死の恐怖というアラートが鳴り響く日々を過ごしているのである。まさに生き地獄といえるだろう。

 

何もしないでゴロゴロし続けているのも楽ではない。まあ京大卒で日本一有名なニートであるphaさん(http://pha.hateblo.jp/)のように働かない事が苦でないタイプの人も時々いるけども、あれは本当に例外中の例外だ。普通の人は働いている方が働かないよりもよっぽど楽だ。

これは何も普通の人に限った話ではなく、障害者にも同様の傾向がみてとられることからも明らかである。以下に有名なエピソードを紹介しよう。

 

人間の幸せは働く事でもたらされる

日本理化学工業という会社がある。学校で使うチョーク製造を主とした会社なのだけど、ここは全従業員81人中60人が知的障害者(うち27人が重度の障害者)で占められているという少し変わった会社だ。

 

この会社、もともとはあまり障害者の採用に積極的な会社ではなかったのだというけども、養護学校の教師から何度も何度も障害者の雇用を願われ、挙げ句の果てには

「もし今回こちらで働かせてもらえなかったら、この子たちは卒業後、そのまま養護施設に入ることになります。そうなれば一生“働く”ということを知らずに人生を終えることになるのです。だから雇用してやってくれとまでは言わないから、せめて働く体験だけでもさせてもらえないでしょうか」

と頼まれ、最終的に根負けして2名の女性障害者の就労体験をひきうけたのだという。

 

結局、2週間たった後、あまりに障害者の方が真面目に熱心に働き、また彼女らが強くその後も働く事を希望したので、その後も彼女らを引き取って従業員として採用する事になったのだという。

採用はしたものの、日本理化学工業の社長である大山泰弘さんは、なぜ障害者の方々がそこまで働く事にこだわるのかが全くわからず、あるとき知り合いの住職さんに

「うちの工場では知的障害者が一生懸命に仕事に取り組んでいます。養護施設に入って面倒を見てもらえば、今よりずっと楽に暮らせるのに、なぜ彼女たちは毎日工場へ働きに来るのでしょうか」と聞いたのだという。

すると住職さんはこう答えたのだそうだ。

 

「人間の究極の幸せは4つある」

 

「1つ目は、人に愛されること」

「2つ目は、人に褒められること」

「3つ目は、人の役に立つこと」

「4つ目は、人に必要とされること」

 

「幸せの中の(愛以外の)3つは働いてこそ得られる。だから障害者の方たちは、施設で大事に保護されるより、企業で働きたいと考えるのです」

この答えに深く感銘をうけた大山泰弘さんは、経営者として「人に幸せを提供できるのは、福祉施設ではなく企業なのだ」という信念を持つようになり、知的障害者の雇用を本格化させたのだという。

 

実に含蓄深いエピソードではないだろうか。

実はこのエピソードは障害者のみならず、私達の誰もが経験する可能性を有してもいる話でもあるといったら驚くだろうか?

全国の老人ホームで起きている事は、ほぼこの障害者のエピソードの相似と言っても過言ではない。

 

人は若かりし頃は自分ひとりで好きに生きる事ができる。しかし加齢と共に1人で生きることが難しくなると、人は老人福祉施設へと入所せざるをえなくなってしまう。

福祉施設に入所させられた人は、転倒などの事故を起こさない為に行動が著しく制限される。この手の施設では、事故死しない事が最も大切な事とされるので、事故なく安心して生活してもらうという目標の為に、それまでの生活と比較してかなりの部分に行動制限がかけられてしまう。

 

この手の”他人に生かされる”施設は、経験してみればわかるけど物凄く辛い。そこにあるのは退屈と孤独、そして絶望だ。

あまり知られていないけど、実は老人ホームに住む人の精神疾患率は物凄く高い。人は自由が制限された環境下に置かれると、すぐに心を病む。

自由もなく、何もしないで他人に生かされる空間は、常人にはとても耐えられるようなものではないのである。

 

生活保護やニート、福祉施設に入所している知的障害者は、確かに楽に生きるという面では、ある意味厚遇されているのかもしれない。けど彼らは、その恩赦と引き換えに、不自由という苦しみが常にぶつけられている。

彼らは見方によっては働きもせずに喜楽に生きているようにもみえるかもしれないが、実際はその真逆で、まさに生き地獄にも等しい環境で日々を過ごしているといっても過言ではないのだ。

 

人は仕事なしには、幸せになれない

人は働く事で初めて心の自由を手にする事ができる。

仕事は私達を縛り付けているようにもみえる事があるが、実際は私達を退屈というくびきから解き放ち、同僚という仲間の形成を通じて所属の安心を与え、結果として希望を私達にもたらしてくれる素晴らしい性質を有したものなのである。

 

もちろん奴隷のように長時間労働を課せられるような働き方には幸せなんて存在しない。休みも過度になれば毒となるよう、労働も過度になると毒になる。

 

適切な就労と適切な休息。この2つがあって人は初めて幸せになれる。働ける事に感謝しよう。人は仕事なしには幸せになれない生き物なのである。ゆめゆめそのことを忘れてはならない。

 

 

 

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高須賀

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