『「国境なき医師団」を見に行く』(いとうせいこう著・講談社)という本を読みました。
この本、作家のいとうせいこうさんが、世界各地で活動している「国境なき医師団」(MSF:MEDECINS SANS FRONTIERES)を現地取材したものです。
「国境なき医師団」という名前を知っている人は多いと思うのですが、実際にどんなことをやっているのかというのは、想像しにくいところがありますよね。
僕のイメージは、海外青年協力隊みたいな感じの、やる気あふれる善良な若者たちが、難民たちにプレハブ小屋のような診療所で、予防接種をしたり、病気の治療をしたりしている姿、だったんですよ。
言い方は悪いけれど、若者たちにとっての「自分探し」のひとつの形なのではないか、とも思っていました。
いとうせいこうさんがハイチで出会った、カール・ブロイアーさんというMSFのスタッフの話。
俺はカールがこれまでどんなミッションを経てきたのか聞きたかった。
もしよければ教えていただけませんか?
すると微笑と共に答えが来た。
「初めてなんですよ」
俺は驚いて黙った。
カールはまるで自分に孫が出来たかのような初々しい喜びをあらわしてさらに言った。
「私はエンジニアとして、ドイツの中でたくさんの仕事をして来ました。あっちの会社、こっちの会社とね」
「あ、お医者さんでなく?」
「そう。技術屋です。それで60歳を超える頃から、ずっとMSFに参加したかった。そろそろ誰かの役に立つ頃だと思ったんですよ。そして時が満ちた。私はここにいる」
たったそれだけのことを聞く間に、俺の心は震え出してしまっており、とどめようがなかった。暗がりなのをいいことに、俺はあろうことかカールに顔を向けたまま涙を流してしまっているのだった。
気づかれないように、俺は声を整えた。まさか泣いているなんて知ったら、カールが驚いて悪いことをしたと感じてしまうに違いなかったから。それは俺の本意じゃない。
「ご家族は、反対、しませんでしたか?」
「私の家族?」
いたずらっぽくカールは片言の英語で言った。反対を押し切ったのだろうと俺は思ったが、答えは違った。
「彼らは応援してくれています。妻とは、毎晩スカイプで話しますしね。いつでもとってもいいアドバイスをくれるんです。子供たちもそうです。私を誇りにしてくれている」
カールはどうしても俺を感動させたいらしかった。いやいや、もちろん、彼にはまったくそのつもりはなく、だからこそ俺の心の震えは収まらないのだった。
そして追い打ちが来た。
「それにね、セイコー。私はここにいる人たちと知り合えました。64歳になって、こんな素敵な家族がいっぺんに出来たんです」
俺はうなずくのが精いっぱいで、何かを考えるふりをしてカールから屋上の隅へと目をそらした。頬まで流れてしまってきたやつを、俺は手で顔をいじるふりで何度もふいた。
カールが生きているのは、なんて素晴らしい人生なんだろう。
いま40代半ばの僕も、このカールさんといとうさんのやりとりを読みながら、涙を流していたのです。いい年したおっさんなのに。
ああ、僕が「何者にもなれない」なんて鬱々としているのは、他人に自分のことを重んじてほしい、周囲に認めてほしい、という呪縛にとらわれているからなんだな、ということが、ようやく少しわかった。
自分のことをいくらアピールしようとしても、なかなか「何者か」になることはできない。
でも、他人のために、自分が、できることをやっている人は、いつのまにか、「何者か」になっているのではなかろうか。
少なくとも、目の前にいる人にとっての「何者か」になることはできるはず。
カールさんの64歳という年齢、もう20代には戻れない僕にとっては、感慨深いものがあるのです。
いまの日本人の平均寿命からすると、60歳、あるいは65歳くらいで仕事をリタイアしたあと、定期通院したり、なんらかの薬を飲んだりしなくてはならないとしても、平均して10年間くらいは、ある程度自由に活動ができる、自由な期間を得られる人が多いはずです。
でも、いまの日本では、その時間の使い方は、限られてしまっている。
「もう年なんだから」なんて周囲に言われて、孫と遊んだり、ゲートボールをしたり、1円パチンコに通ったりしているあいだに、介護が必要な状態になってしまう。
もちろん、そういう人生が悪いわけじゃない。
老々介護、なんていうのもあるし、孫を預からなくてはならないし、「自由」になれる人ばかりでもない。
それでも、世界には、僕たちが「若者の自分探し」だと思い込んでいるような活動を老後の生きがいにしている人がいるのです。
「国境なき医師団」というのは、医師や看護師など、医療系の資格を持った人しか参加できないと思われがちなのですが、実際は、さまざまな職種の人が所属しています。
考えてみればごく当たり前のことで、医療には、少なくとも21世紀水準の医療には、水や電気が必要不可欠なのです。「国境なき医師団」には、これらのライフラインを整備するためのエンジニアが大勢所属しているし、異文化コミュニケーションを円滑にするための専門家もいます。
「医師団」と名乗っているけれど、その「受け皿」は、イメージよりも、ずっと幅広いのです。
日本でも、高齢者によるボランティア活動は少なからず行われています。
しかしながら、技術屋として定年まで勤めあげても、そのキャリアを活かせるようなその後の仕事はなかなか無いというのが実情です。
いまの「グローバル社会」は、若者たちのためだけにあるわけではない。
むしろ、人生の後半・終盤にさしかかっているからこそ、損得はさておき、こういう活動をやってみたい、と思う人って、少なからずいるはずなんですよ。
現役時代は、家族との生活もあるし、キャリアが途切れることへの不安もある。
でも、リタイアしたあとなら、「やりたかったこと」をやってみても、良いんじゃないかな。
「国境なき医師団」の活動は、けっして、金銭的に恵まれるわけでもないし、快適な暮らしができるわけでもない。それどころか、テロや内戦に巻き込まれて、命を落とす可能性もあります。
日本人にとっては、フランス語や英語でのコミュニケーションが必要、というのは、大きなハードルでもあります。
それでも、「やってみたい」人は、きっといる。
僕はこんなふうにも思うんですよ。
もう、自分の人生を味わい尽くした大人が、自分の身体と脳が動くあいだに、後世の人たちに何かできることをやってあげたくなるのは、悪いことじゃないよな、そこに危険があるとしても、若者を、若さを理由にしてリスクに晒すよりも、真っ当なことだよな、って。
ちなみに、「国境なき医師団」は、命知らずの無謀な援助をやっているわけではなくて、可能なかぎり安全面にも配慮していることが描かれています。それでも、悲劇は起こるときには起こるのだけど。
もう、限界も見えてきて、これからフェードアウトしていくだけなのか、と思っていた人生だったのに、「国境なき医師団」ではたらくという目標を持って、これから英語やフランス語を勉強するのって、ちょっと楽しそうですよね。
僕がそのくらいの年齢のときには、もう、自動翻訳機任せになっているかもしれないけれど。
(事業サービス責任者-ティネクト株式会社 取締役 倉増京平)
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【著者プロフィール】
著者:fujipon
読書感想ブログ『琥珀色の戯言』、瞑想・迷走しつづけている雑記『いつか電池がきれるまで』を書きつづけている、「人生の折り返し点を過ぎたことにようやく気づいてしまった」ネット中毒の40代内科医です。
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