だが、正しい恋愛のやり方は本当に誰も教えてくれない。偏差値を上げる方法はあんなにも系統だっているのに、自由恋愛に関してはそれこそ本屋に山のように本が積まれているにも関わらず、誰一人としてこの世に真理を語ってくれない。
先月、Books&Apps には上のような記事がアップロードされていました。
モテないのはマジで苦しい──わかる。
自由恋愛は非モテにはクソゲー──わかるわかる。
共感させられるお話で、男女関係の苦しみに思いを馳せずにいられませんでした。
と同時に「どうして人間は、男女関係でこんなに苦しまずにはいられないのだろう?」と考えたそばから、「なぜなら、人間が有性生殖する動物だからだ」という答えが脳内の生物学の棚から返ってきて、オスとメスで配偶する動物としての人間を思い出したくなったので書きます。
非モテが苦しいのは、生殖に成功した者だけが子孫を残してきたからだ
まず、「モテないのはマジで苦しい」について。
その答えは、「今日の人間は、異性と親密にならなければ辛いようにできあがってしまったからだ」、とならざるを得ません。
今日の人間を生んできたのは、生殖に成功した人間、つまり異性と性行為におよんだ経験のある人間だけです。
昭和時代の日本は、見合い制度によって婚姻率が 100%近くになっていましたが、これはちょっと例外的な状況で、たいていの地域・時代において、生殖のパートナーを選べた者・選ばれた者は限られていて、彼らだけが子孫を残してきました。
逆に言えば、生殖のパートナーを選べなかった者・選ばなかった者の遺伝子は後世に伝えられなかった、ということでもあります*1。
異性に執着せず、非モテにも悩まない仙人のような人が現れることもときにはあります。しかし、そのような人物の遺伝子が後世に伝えられることはありません。
今、生まれてくる子ども達も、十年後に生まれてくる未来の子ども達も、生殖への意志と能力、異性に執着して配偶をやってのけられた人間の子種から生まれてきます。そうした意志や能力や執着を持っていない人からは子どもは生まれてこず、遺伝子は淘汰されていきます。
そういったことが何千年、何万年と繰り返されて、異性に執着しない人間が何代にもわたって“ふるい”にかけられてきたわけですから、異性に対する執着、モテや非モテに悩む
性質は、遺伝的に人間に備わっていったと考えるのが筋でしょう。
それどころか、人類以前のご先祖様も有性生殖を繰り返してきたわけですから、“ふるい”の回数は数億回程度では済みません。私達は、そうやって異性を求めて繁殖するよう動機づけられ、運命づけられてきた生物種の子孫にあたります。「モテないのはマジで苦しい」とは、有性生殖生物にとって根源的な悩みだと言わざるを得ません。
「人間が生殖するのはわかった。だけど非モテが辛い仕様なんて要らないでしょ?」と言う人もいるかもしれません。しかし遺伝には残酷な約束事があり、つまり、生き残って子孫を残すのに有利な性質*2 でさえあれば、苦しみや悩みも仕様として遺伝子に書き残されてしまうのです。
たとえば痛覚。個人にとって痛みは苦しいものですし、不治の病にかかり、慢性疼痛に悩まされる状態になればモルヒネ等を必要とするほどシビアになってしまうこともあります。痛みは、これから死んでいく者にとって厄介者でしかありません。
ですが痛みのおかげで人は危険から遠ざかることを学び、自分の身体を守ります。痛覚自体は、生き残って子孫を残すのに不可欠な性質と言えるでしょう。ですが痛覚が仇になるような状況が生じたとしても遺伝子はそのことを忖度はしてくれません。「もう、生殖なんてしないから痛覚を止めて!」とお願いしても、痛みは死ぬまで続きます。
孤独が辛い・他人の承認が得られないと悲しい、といった感情も同様です。
人間は、孤独に直面し、他人からの承認が欠如してしまうとだんだん苦しくなり、やがて健康を損ないます。この、社会的生物らしい性質は一人暮らしの増えた現代人にとって大問題ですが、孤独を避けたい・承認欲求を充たしたいといったソーシャルな動機のおかげで人は社会関係を築きあげ、うまく繁殖してきたわけです。
承認欲求をはじめとしたソーシャルな動機もまた、人間の生存や生殖を支える重要な性質ですが、欲求が充たせなくなって苦しんでいる人間に配慮された性質とは到底思えません。
このように、人間には、生存や生殖に有利でもそれが充たされなくなると非常に苦しくなる性質がたくさんあります。しかし、私達の先祖はそういった性質に支えられながら生き残って子孫を残し、痛みやソーシャルな動機が欠如した人間は世代交代のなかでたえず淘汰されてきたわけですから、今日生き残っている人間はほとんど全員、この手の性質を備えていると考えて間違いないでしょう。
モテないと苦しいのも、異性に執着して生殖に辿り着いた者だけが子孫を残してきたから、いわば、私達がモテた奴・生殖できた奴の子孫だからです。
自由恋愛がクソゲーで、恋愛作法が定まらない理由
それから、自由恋愛がクソゲーで恋愛作法が定まらない理由について。恋愛というと、近現代に盛んになってきた恋愛結婚の話に絞られてしまいそうなので、ここでは「パートナー選択」とでも言い直しておきましょうか。
男と女のパートナー選択には、性別をベースとした遺伝的制約があり、それぞれのパートナー選択にはそれが反映されています。
人間の男と女もまた、資源とセックスをめぐって衝突することがある。男女どちらかが採用した性戦略がうまく機能せず、もう一方の性戦略とのあいだに摩擦が生じることがあるのだ。配偶行動の進化心理学では、この現象を戦略上の干渉と呼ぶ。
男女どちらかが短期間の性的関係を求め、どちらかが長期間の関係を求めるかを考えてみよう。一般に、男性と女性とでは、性交に同意するまでに、相手のことをどれだけ深く知りたがるかが異なっている。例外も多く個人差も大きいが、男性はふつう、セックスを求める際にあまり条件をつけない。たとえば男性は、見知らぬ女性であっても魅力的でさえあればセックスしたいと思い、そうした欲求を表面に出すことが多い。一方女性は、ほぼ例外なく、通りすがりの男性に身体を許そうとはせず、なんらかの誠意を求めようとする。
極端な話、男性は一度のセックスだけで子孫を残せる可能性があるのに対して女性は妊娠のコストや出産のリスクを必ず負わなければなりません。子育てに関しても、授乳をはじめ、より大きなコストを確実に負担するのは女性でした。
もちろん今後はどうなるかはわかりませんし、NHK の『ダーウィンが来た!』で放送されるように、子育てコストの男女比が逆転している生物も存在しないわけではありません。
しかし少なくともこれまでの人間には、こうした性戦略ギャップがあったと言えます。
まず、この男女間の性戦略ギャップがクソゲーと言わざるを得ません。男性が思ったとおりには女性は行動せず、女性が期待したようには男性も行動してくれません。
男女間の悲喜劇の大半も、究極的にはこの男女間の性戦略ギャップに根差していると言えます。自由恋愛という言葉が常識になり、どれほど社会が自由になろうとも、ギャップそのものが無くなったわけではありません。
そのうえ個人には大きな個人差があり、パートナー選択のための方法も色々あります。ある者は複数の異性にあたりをつけて、別のある者は一人の異性のハートをしっかりとらえようとします。
優しさや誠実さをアピールする者もいれば、プロポーションや腕っぷしの強さを武器にする者もいます。同性のライバルを牽制したり、貶めようとしたりする者もいます。強い同性に服従し、“ボスのおこぼれ”にあずかろうとする者さえ珍しくありません。
そういった様々な男女が、同性や異性と牽制や競争を繰り返しているわけですから、恋愛や配偶の実態はものすごくややこしくならざるを得ません。
歴史を振り返ると、男女の結びつきには一種の“お約束”、文化的なプロトコルできあがることがあります。平安時代の貴族の作法や、イギリスのジェントルマン階級の社交界作法
などはその最たるものと言えるでしょう。
ところが、文化的なプロトコルができあがっている時代でさえ、プロトコルはあくまでプロトコルでしかなく、男女の結びつきを絶対的に保証するものではありませんでした。
パートナー選択にはいつも競争原理が働き、人間はたいへん複雑な生態を持った動物ですから、その競争は果てしなく複雑です。人間を「万物の霊長」と呼ぶことがありますが、少なくとも、世界で最もややこしいパートナー選択をやってのけている動物、と言っても過言ではないように思われます。
この煩悶をやめることはできるのか
インターネットの少数民族のなかには、「生殖をやめよう」というスローガンを念仏のように唱える人達がいることを私は知っています。気持ちはわからなくもありません。なにしろ、遺伝子に連綿と刻まれてきたパートナー選択にまつわる執着を追いかけている限り、悩みは尽きず、苦しみも絶えないわけですから。
もしも「生殖をやめよう」と念仏のように唱えることで、パートナー選択競争から身も心も降りることができたなら、人生はどれほどシンプルになるでしょうか。
とはいえ、執着を滅却するのも難しいものですね。仏教の世界では、歴史上、執着を滅却できたのは釈迦牟尼ただ一人ということになっていますから、「生殖をやめよう」と唱えて遺伝子に刻まれた性質を滅却するのは難しい気もします。
そのうえ、現代社会には異性についての情報やアイコンが溢れかえっているのですから、執着は引く手あまたです。この煩悶に出口はあるのでしょうか。
books&apps の記事としてはいささか不穏な結びになりましたが、動物アイコンな精神科医ブロガーの私は、そんな風に男女の物語を眺めています。
*1 厳密に言うと、自分自身が子をもうけなくても甥や姪の成長を助けるヘルパーに特化し、血族を残すことによって部分的に自分の遺伝的傾向を後世に残していくという要素があるので、あくまでこれは原則論です。
こうしたヘルパー特化の個体がきわめて発達しているのがハチやアリで、働きバチや働きアリのことは皆さんもよく御存じかと思います。人間の場合、そこまで顕著ではありませんが、長野県南部でみられた「おじろく・おばさ」のように、そうしたヘルパーが文化習俗として根付いている地域も存在していました。
*2 用語上、有利な性質のことを「形質」と呼びますが、この文章内では性質、という表現のま
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【プロフィール】
著者:熊代亨
精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。
通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』(イースト・プレス)など。
twitter:@twit_shirokuma ブログ:『シロクマの屑籠』
(Photo:Gaku0318)