つい先日、ブロガーのしんざきさんが子どもの感性と性的コンテンツについて、以下のような文章をbooks&appsに寄稿してらっしゃいました。
趣旨は、以下のセンテンスでおおよそ掴めていただけるでしょう。
子どもの感性は、「性的なコンテンツ」一つで悪影響を受ける程脆弱なんだろうか
ですが、子どもの感性というものは大人が通常考えている以上に柔軟で、色んなものを取り込んで自分なりの感覚というものを醸成していくんだろうなあ、という認識が私の中にはあります。
だから、自分がどんなに言葉を尽くしても、それが子どもに及ぼせる影響というのはほんの一部分だろうな、と思っています。
それは同時に、変なコンテンツ、変な情報があったとしても、それもやっぱり、子どもにはごく限定された影響しか及ぼせないだろう、ということでもあります。子どもの防御力は、そんなに低くない。
だから私は、子どもが触れるコンテンツについて、あまり心配もしていないし、大した制限もしていません。
なんならひょっこり性的なニュアンスが含まれているコンテンツにたまたま触れたとしても、長い目で見ればそれが問題になるようなことは殆どないだろう、と思っています。
ここに書いてあることについて、私もだいたい同感です。
子どもは、真っ白なナプキンのような存在ではありません。
子どもには自分自身の情報取捨選択能力があり、飛び込んでくる情報のうち、何が穏当で、何が不穏当なのかを判断しているようにみえます。
たとえば我が家の子どもは、たまたまインターネット上でエロチックなイラストに出会ったり、暴力が振るわれている動画に遭遇したりすると、「きわどいもの」「暴力的なもの」をすぐに判断し、それを踏まえて受け取っているように見受けられます。
では、子どもがどのような根拠のもとに「きわどい」「暴力的」と判断しているのでしょうか。
第一には、常日頃の親の価値観を参照して、それを判断の礎としているのでしょう。
核家族化の進んだ現代社会では、子どもの価値観や判断基準のアーキタイプ(元型)としての親の割合は大きくなりがちです。
かつては、家父長的な存在だった父親こそが「超自我」の源泉だと言われたものですが、最近はそうとも限らないので、「両親が子どもの価値観や判断基準の礎になっている」と考えてだいたい合っているでしょう。
とはいえ、両親が全てというわけでもありません。
人間の発達段階プロセスについて議論したE.エリクソンという学者さんは、子どもが成長とともに人間関係を拡げていくさまを以下のようなかたちで表しました。
この図のとおり、乳児にとって重要な人間関係は母親に限られますが、幼児期には家族や保育士も含まれ、小学校にもなれば人間関係はますます広がります。
人間関係が広がるということは、情報源や影響源もそれだけ広がって、親からの情報や影響が相対化されるということでもあります。
現代では、書籍やテレビやインターネットからの影響もあるでしょう。
親が生きた時代と、子どもが生きていく時代は、同じではありません。
時代が変わればメディアも変わり、価値観も変わっていきます。
である以上、親の価値観に子どもを嵌め込み、情報源や影響源を絞り込むような子育てには相応のリスクがあります。
子どもは長期間にわたって狭い範囲からしか情報選択できなくなってしまい、その狭小な情報源にもとづいた価値観と、硬直した判断力を身に付けることになりかねません。
親の価値観のとおりではないものも含めた、幅広い情報源に子どもが接触することを許容したうえで、子ども自身の価値観をビルドアップしてもらうような子育てを志向したほうが間違いが少ないのではないかと、私自身は考えています。
世の中にいろいろな情報や人やコンテンツがあり、時代とともに移ろっていくからこそ、子どもには取捨選択のノウハウを積み重ねてもらいたいですから。
「当たり前に目に触れるもの」のほうが抵抗しにくい
しかし、親の価値観に子どもを嵌め込みたくないからこそ、子どもがどのようなコンテンツに日常的に触れて、どのような情報源を当たり前のものとして摂取するのか、私は気にせずにはいられません。
ここでひとつ、極端な例を考えてみてください。
たとえば家庭の日常にエロマンガが存在していて、子ども自身もエロマンガをしばしば読んでいて、学校でもエロマンガについての情報交換が当たり前のように行われていたら、その子どもの価値観は、エロマンガから何らかの影響を受けることでしょう。
男の子は、エロマンガに登場する男性のような振る舞いに違和感をおぼえなくなり、女の子も、エロマンガに登場する女性のような振る舞いに違和感をおぼえなくなると思われます。
家庭内でも家庭外でもエロマンガが「当たり前に目に触れるもの」として存在している社会では、子どもはその当たり前をごく自然にインストールし、文化的な影響を受けずにはいられません。
次に、実例を考えてみてください。
たとえば家庭の日常にテレビゲームがあって、子ども自身もテレビゲームを遊んでいて、学校でもテレビゲームについての情報交換が当たり前のように行われていたら、その子どもの価値観は、テレビゲームから文化的影響を受けることでしょう。
いまどきは、Eテレの番組でもテレビゲームのコンセプトが登場します。
レベルアップとか、アイテム素材集めとか、ヒットポイントとか、そういったたぐいのものです。ゆえに、テレビゲーム的な価値観や考え方は、きわめて自然に子ども達に(いや、私達に!)浸透しています。
三番目に、ちょっと曖昧な例について考えてみてください。
たとえば家庭の日常に”媚びたポーズをとった男の子や女の子がたくさん出てくるコンテンツ”があって、子ども自身もそのようなコンテンツに親しんでいて、学校でもそのようなコンテンツについての情報交換が当たり前のように行われていたら、その子どもの価値観は、そのようなコンテンツから、強い……とまではいかなくても何らかの影響を受けるのではないでしょうか。
さらに、そういったキャラクターのイラストが公共交通機関に描かれていたり、官公庁のポスターを飾っていたりしたら……子どもの価値観は、いよいよもってそういったコンテンツに近しいものになるのではないでしょうか。
子どもは、みんなが「きわどい」「暴力的」と思っているものに対してはそれほど脆弱ではありません。
かなり小さい頃から、子どもは社会的な文脈と照らし合わせてモノを判断する知恵をつけはじめています。
ところが「当たり前に目に触れるもの」に対して、子どもの防御力はそれほど期待できません。
みんなが当たり前だと思っているものを撥ねのけて、自分だけの意見を持ち続けるだけの意志力を、大半の子どもは持っていないでしょう。
というより、自分のタイムラインの「当たり前に目に触れるもの」にすっかり感化されてしまっているtwitterユーザ達が証明しているとおり、大人でさえ、「当たり前に目に触れるもの」にはなかなか抵抗できず、感化されてしまうのです。
そういう意味では、「18禁コーナー」にゾーニングされている過激なエロ漫画よりも、「当たり前に目に触れるもの」として世間に溢れている諸々のコンテンツのほうが、子ども全般に対する影響という点では重要でしょう。
関連して、ゾーニングやレーティングを議論しなければならないのも理解できることです。
彼らに賛同はできないが、危機感は理解できる
最近のtwitterでは、秩序の番兵のような人々がアニメイラストなコンテンツに異議申し立てをして、炎上する案件が立て続けに起こりました。
もし、私達の社会のなかで「当たり前に目に触れるもの」が変わり続けているとしたら。
それが社会にとって、あるいは子ども達にとって似つかわしくない方向に変わり続けていているとしたら。
まあ、この話の行きつく先は「何が社会にとって望ましくて」「何が社会にとって望ましくないのか」という価値判断の世界に辿り着いてしまうので、私個人は彼らの異議申し立てに賛同できませんでした。
が、彼らが何を問題視していて、何を怖がっているのかは、なんとなくわかる気がします。
彼らにしてみれば、ゾーニングされたエロマンガよりも、街に溢れる”萌え絵”のほうがよほど抵抗しがたく、怖いものでしょうから。
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著者:熊代亨
精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。
通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』(イースト・プレス)など。
twitter:@twit_shirokuma
ブログ:『シロクマの屑籠』
(Photo:Daniel Mennerich)