「社会人になってもどうせ使わないから、こんなの勉強しても意味がない」という主張をよく耳にする。
例としてよく挙げられるのが、サイン・コサイン・タンジェント。三角関数というやつだ。たしかに、学校で習ったきり、日常生活で一度もこの知識を使ったことがない。
でも、じゃあ社会人になって使わない知識は勉強するだけ無駄なのか?
わたしの答えは、明確に「NO」だ。「社会人になっても使わないから無駄」ではなく、「社会に出たけど使わなかった」という順番で考えるべきじゃないだろうか。
「三角関数なんて勉強して、なにになるの?」
amebaTVでの橋下徹氏の発言が物議を醸している。
“This is a pen”なんて、日常生活で絶対使わない。最低限、学ばなきゃいけないことは見えてきていると思うので、それ意外のことは選択制でいいと思う。
だって元素記号やサイン・コサイン・タンジェント、どこで使うの?使ったためしがない。
勉強のできる人たちは”そういうのも教養だ”というが、今はインターネットで色々なことは調べられる(原文ママ)
こういった主張は、いままで何度も聞いたことがある。「そんなもん勉強してなにになるんだ」ってやつだ。
(マジレスすると、”This is a pen”はA=Bを表現する構文の一例であり、どんな言語でも基礎中の基礎の文法である)
たしかに、元素記号や三角関数の知識が日常生活で必要になる可能性はかなり低い。
でもそんなことをいったら、選挙に行きたい人だけが選挙の仕組みを勉強すればいいし、興味のある人だけが平和学習をすればいい、となる。戦争の悲惨さを知らずとも、日常生活ではまったく問題ないのだから。
選挙の仕組みや平和学習は「実用性に関わらずみんなが学ぶべきもの」だと主張するのかもしれないが、元素記号や三角関数だって「学ぶべきもの」だと思った人がいるから学校で習うわけで、結局は「なにを勉強すべきか」に関しての価値観のちがいでしかない。
ただ、「日常生活で役に立たないから、社会に出ても使わないから、希望者以外はその勉強をしなくていい」という主張には、おおいに反論したい。
「使わないから無駄」なら、保険だっていらない
わたしは一度、高校内の模試で文系3科目合計の学年トップをとったことがある。
しかし理数科目はさんざんで、定期テストではいつも、平均点にいくかいかないかくらいしか点が取れなかった。漸化式なんて見るだけでめまいがしたし、化学のmol計算においてはなにを計算しているのかすらわからなかった。
でも「数学や化学を勉強したことは無駄だったのか?」と聞かれれば、そうは思わない。
27歳のわたしは、たまたま数学や化学を使わない道を歩いている。
でももしかしたら、社会学部に進み人口減少を研究、その際に数学の知識が必要になったかもしれない。
食品メーカーに就職して、冷凍しても味が落ちないインスタント食品を開発するために元素の知識が必要になっていたかもしれない。
「社会人になってもその知識を使わなかったから勉強したのは無意味だった」のではなく、「勉強したけどその知識を使う方向に進まなかった」だけだ。
「使わない=無駄」なのであれば、思い出の写真だってただのゴミだし、インテリアで飾った絵だって無価値。
なんなら、「事故が起こらなかったから自動車保険は無駄だった」「病気が見つからなかったから人間ドックは無駄だった」ということになってしまう。
しかし多くの人は無駄になることを承知で、むしろ「無駄になったほうがいいなぁ」なんて思いつつ、自動車保険に入り、人間ドックを受ける。それは、「万が一」のためだ。
学校で勉強する内容というのも、「万が一そういった方向に進みたくなったときのため」のものであり、「どんな道に進みたくなったとしても入り口くらいは通れるようにしておこうね」と、将来を担う子どもたちに未来のカギを与えることじゃないんだろうか。
教養とは将来どの道にも進める可能性を示すカギ
子どもと博物館に行くとき、子どもが将来考古学者や地学者になる可能性を考える親はほとんどいないだろう。
プールに連れて行くとして、それはなにも、将来水泳選手にするためではない。動物園に行くのも、子どもを獣医や飼育員にするのが目的ではない。
それでもさまざまな経験をさせようとする親が多いのは、どこに子どもの道があるかわからないからだ。
歴史資料館で見た十二単に一目惚れして着付け師を志すかもしれないし、動物園の乳搾り体験をきっかけに将来酪農家になるかもしれない。
無限にある扉のなかから、いつどの扉を開けたくなるかは、親や教師はおろか、本人だってわからない。
だからどの扉でもちょっと開けて先を覗くくらいはできるように、教養というかたちで『カギ』を与える。それが学校教育であり、教養であると思う。
わたしが数学や化学の扉を素通りしたように、多くのカギは使われずにずっとホコリをかぶったままだろう。
でも『カギ』が手元にある以上、わたしはいつでも数学や化学の扉を開けることができる。それは、とても恵まれていることだ。
一般教養を最低限だけ学んであとは自分の意思で好きなことを学ぶというのは、将来の選択肢を早い段階で限定するということ。それは効率的かもしれないけれど、本当に「いいこと」なんだろうか?
どの扉を開けたくなるかは、だれにもわからない。だからまんべんなくカギをばらまくのだ。将来どこかの扉を開けたくなっても困らなくて済むように。
知識は応用し、結ぶことで広まっていく
また、知識とはつなげていくことで世界を広げることができるものでもある。
たとえば『地理』というと、学校では社会科に含まれるからひらたくいえば文系教科だ。
わたしは学校の『地理』は大嫌いだったが、ひょんなきっかけで『地理学』というものに興味をもち、先日図書館で借りた入門書を読んでみた。
自然地理学では温度の変化や気圧の強さなどを計算する際、数学の知識が必要になるのだそうだ。
地図を作るために測量するなら、槍玉に挙げられている三角関数も必要。人文地理学でも、「若者が地元を出て上京する確率は?」「この区画の消費傾向は?」と計算する場合もある。
数学的知識や理科系の知識が必要な学問なのだ。
一方で、たとえば「ヒートアイランド現象における気候の変化が人々の暮らしにどんな影響を与えるのか?」という話になれば、社会学系の分野と関係してくる。
どの学問でも、ほかの学問分野と一部リンクしている。完全に独立している学問などない。
知識は浅い・深いという縦方向だけでなく、ちがう分野を横断するというかたちで横方向にも伸びる。
そのとき点となるのが教養であり、その点と点を結んで行くことで知識の幅は広がっていくのだ。
「使わない知識は不要」と興味のあることだけしか学ばなければ、知識を広げられる範囲はずいぶん狭まってしまう。
浅く広く学んでおくからこそ、いざというときにその点をつないで深めていくことができる。「いま使わない知識」はあっても、「無駄な知識」などない。
知識の有用性における優劣論はバカバカしい
最近はいつでもどこでも、「効率」や「成果」が叫ばれている。うんざりするくらいに。「こんなの勉強してなにになるの?」という主張も、似たような方向性の主張だ。
でも、いまわたしたちが享受している『知』のすべては、「こんなのいつ使うんだ」と切り捨てなかった先人たちの努力のたまものである。
先人たちが「どうせ使わないだろう」「役に立たない」と投げ捨てていれば、現代社会はこれほどの『知』で満たされていなかっただろう。
明確な結果に繋がらないものは無駄で、役に立たないものを勉強するのは効率が悪い。そういった考えで知識や学ぶことを「役にたつか否か」で取捨選択することを、わたしはいいとは思わない。
最低限必要な知識と好きなことだけ学んだ結果、人生がより豊かになるとも思えない。
ただし、授業時間は限られているから、「元素記号を暗記するよりもプログラミングの授業を優先しよう」「三角関数よりも時事問題について考えるべきだ」という議論なら理解できる。
しかしその際は「なにを優先して学ぶべきか」「どんなことを教えれば子どもたちの未来が明るくなるか」という視点にたつべきであり、知識の有用性における優劣を決めたり、役にたつか否かで先人の残した知識を取捨選択するのはちがうと思うのだ。
こういった主張がまかり通り、子どもたちが「どうせ社会に出ても使わないんだから勉強するだけ無駄」と、自分が進む可能性のある扉のカギをドブに捨ててしまわないか、心配である。
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(文責-ティネクト株式会社 取締役 倉増京平)
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【著者プロフィール】
名前:雨宮紫苑
91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&
ハロプロとアニメが好きだけど、
著書:『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(新潮新書)
ブログ:『雨宮の迷走ニュース』
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(Photo:Amara U)