少し前のことだが、食品メーカーに勤める友人と飲んでいる時に、こんな話題を振られることがあった。

「公式ツイッターが炎上しそうになったんだわ…。もうこりごりなんで、アカウントの運用を停止しようと思っている」

 

聞けば、新商品の発売に合わせて発信した内容と、実際の商品の内容に食い違いがあったのだという。

0を一つ多くつけてしまった程度のケアレスミスだったそうだが、実際に購入した顧客からクレームのコメントが多数ついて、軽い炎上状態になったということらしい。

 

「うーん…。悪意やアンモラルな発信ならともかく、ケアレスミスでの炎上なんてたかが知れてるやろ。ビビるようなことか?」

「リスクがあること自体が、本質的な問題なんや。事前に確認するリスクマネジメントも手間やし、こんな媒体で発信する意味がわからんわ」

 

ちょうどこの頃、各種SNSではいわゆる”バイトテロ”が頻発していた時だった。

そのため大手企業では公式アカウントだけでなく、個人アカウントでの発信にも注意喚起を盛んにしていたタイミングではある。

そんなこともあり彼は、事業部長として「もう公式SNSなんて廃止でいい」という決断をしたかったらしい。

 

気持ちは十分にわかるし、リスクを回避したいという彼の考えもわからないわけではない。

しかしその上で、長い付き合いということもあり彼に言った。

「お前、偉くなりすぎたんじゃないか?向いてないんで、もう事業部長を降りろ」

 

「他にお客さんがいないようですが…」

話は変わるが、おそらく昭和40年代以前の生まれであれば多くの人が、「肉はごちそう」という幼少期を過ごした記憶があるのではないだろうか。

曖昧な思い出で恐縮だが、牛肉が安くなり毎日の食卓に当たり前に昇るようになったのは昭和から平成になって間もなく、1980年代後半くらいだったと記憶している。

 

「牛肉・オレンジ自由化交渉」という言葉すら懐かしい響きだが、それまで牛ステーキと言えば、「給料日に、お父さんだけが食べるもの」という漫画の描写があったほどのごちそうだった。

何のマンガだったか忘れてしまったが、こういうのはきっと藤子不二雄だろう。

 

そんな時代背景の中で、今も記憶に残っている幼少期の“特別な日”の思い出がある。

どこかの誰かが、子供でもわかる程に高級なすき焼き用の近江牛を毎年、お歳暮として届けてくれる一大イベントだ。

 

竹皮の包みを開くと、見たこともないほどにキレイにサシの入った牛肉・・・。

父はそれを大事そうに鉄鍋で焼くと、関西風のすき焼きで家族に振る舞うのが、年の瀬の我が家の伝統行事だった。

 

なお関西風のすき焼きでは、関東風のそれと違い割り下で煮込むような調理をしない。少量の酒と砂糖と醤油で一枚ずつ肉を焼き、ただそれだけで溶き卵に絡め、肉を味わう。そして焼いた時に出た肉汁で野菜や豆腐を焼き、肉の余韻を愉しむ。

後はそれを、肉、野菜、肉、野菜と交互に繰り返すため、“焼き手”である父は最後まで、自分が食べることはなかった。きっと家族の笑顔を見ることが、何よりの楽しみだったのだろう。

そんな至福の時間を過ごしている時、食卓の上には白地に黒文字で『近江源氏』と書かれた包装紙があったことを、記憶の片隅で薄っすらと覚えている。

 

そして高校生になり大学生になると、「高級すき焼き」の伝統行事はいつの間にか、我が家から消えていった。

お歳暮が届かなくなったのか、それとも牛肉が当たり前の食べ物になり記憶に残らなくなったのか、正直全く覚えていない。

そんな父が、私が24歳の時にガンで亡くなると、もはやそんな伝統行事があったことすら記憶から長らく消えてしまっていた。

 

それから四半世紀ほどの時間が経ったある日、親戚と話している時にふと、こんなことが話題になる。

「そうや、桃野くん。君のお父さんが仲良くしてた近江源氏、まだ新宿で頑張ってるらしいぞ。知ってるか?」

「え?近江源氏ってもしかして、お肉屋さんですか?」

「よく知らんけど、すき焼き屋さんちゃうんかな。コロナで大変なことになってるみたいやけど、なんとか頑張ってるって噂を聞いたで」

 

すぐにネットで調べてみたら、確かにそれっぽい店を見つけることができた。しかし父がご縁を頂いていた先代は既に亡くなり、2代目が跡を継いでいるようだがよくわからない。

それでも何か記憶が繋がるのではないかと淡い期待を抱き、東京出張の際に予約を入れ急行する。

 

新宿駅東口から歌舞伎町を抜け、新大久保に向かうややいかがわしい街並みの中、そのお店はあった。

お店の看板は、記憶の中に薄っすらと残っているあの包装紙のままだ。

近江牛の専門店のようで、すき焼き、鉄板焼き、しゃぶしゃぶなどが頂けるらしい。当然すき焼きを注文すると、抑えきれない高揚感をビールで紛らわしながら、待つ。

一通りの材料が並べられると、サシの入った牛肉を仲居さんが、少量のザラメと酒と醤油だけで焼き始めた。それを小鉢に取り分けてもらい、溶き卵に絡めて頂く…。

 

(40年前の記憶のままだ。味も香りも、何もかも懐かしい…。そして美味い。。)

そんなことを呟き、感極まりながら黙々とすき焼きを頂く。きっと私は、相当変な客だっただろう。

そして一通り食事を堪能すると、仲居さんに名刺をお渡しこんなお願いをした。

 

「もし宜しければ、店主さんをお呼び頂くことは可能でしょうか」

「少し厨房を見てきますね」

それにしても、広い店内には他にお客さんがいないようだが、なぜだろうか。

 

「店主の浦谷です。桃野さん、ご予約の時にもしやと思ったのですが、もしかして…」

「ご記憶頂いていたのですか?!父が先代と懇意にして頂いていて」

「息子さんなんですね。はい、先代の下で仕事をしていた時に、お父様にお肉をお送りしていたこと、覚えています」

 

そして、最高のお肉をお送りするとは、一体どういう関係なんだろうと思っていたこと。

残念ながら、先代とはどのようなきっかけでそこまでの仲になったのかは知らないこと。コロナ禍の中でも、先代以来の顧客がお店を支えて下さっていることをありがたく思っていることなどを、話してくれた。

「ところで店主、他にお客さんがいらっしゃらないようですが…」

「はい、実は営業規模をかなり縮小してしまいまして」

 

聞けばお店は、数年前までビルの地下を含め、全て自社店舗だったという。しかしコロナのために今は僅かな席数にまで縮小して、先代以来の味と伝統を守るため、最小規模で耐えているのだと説明してくれた。

もちろん経営は厳しく、いつになったら状況が好転するのかも見えない。

そのため常時出勤できる仲居さんを1~2名しか置けず、同時にお迎えできるお客さんも1~2組に限られているのだという。

 

「浦谷さん。コロナ禍のそんな厳しい中でもお店を残して下さっていて、本当にありがとうございます。おかげさまで、四半世紀ぶりに懐かしい父に再会できました」

「お店を愛して下さる皆様がいらっしゃる限り、諦めません。宜しければまたお越し下さい」

「当然です、必ず参ります!」

そんな心地よい会話を余韻に、お店を後にした。

 

コロナ禍が収束すれば、お店は必ず復活するだろう。

そんなことを強く確信させくれる、心から満足した想い出の味との再会になった。

 

リターンが上回れば、リスクではない

話は冒頭の、SNSでの炎上を恐れる友人についてだ。

なぜ私がそんな彼に、「向いてないから事業部長なんて降りちまえ」と言い放ったのか。

 

「お前、1,000円の売上を上げるのに、100円の経費を使うことも許さないのか?」

「何言ってるねん、売上にコストが掛かるのは当然やろ」

「じゃあ、SNSで情報発信するリターンはどれくらいで、ケアレスミスがもたらすリスクはどれくらいだと見積もってるんだ?」

「…そんなん計算できへんわ」

 

そんなことを答えた彼に私は、だから降りろと言ってるんだと改めて言った。

そのような中間管理職の姿勢こそが、やる気のある部下の心をへし折り、会社を潰すからだ。

 

どんなことでもそうだが、私たちの毎日はリスクそのものだ。

飛行機に乗れば堕ちるかも知れないし、刺し身を食べたら食中毒になるリスクだって0ではない。その中で、リターンが上回ると計算できた時に私たちは、リスクを受け入れ行動に移す。

 

にもかかわらず、肩書きだけ偉くなってしまい能力が伴っていないチンケな管理職は、

「そのプロジェクトにはリスクがある(キリッ)」

などと当たり前のことを言い放ち、部下たちのチャレンジを叩き潰す。

 

こんなことは、「1,000円儲かる見込みがあっても、100円の経費も使ってはならない」と言っているに等しく、”私はビジネスセンスのないクソリーダーです”と白状しているようなものだ。

だから友人にもそのまま、「ケアレスミスごときのリスクなど俺が背負う」と言えないのなら、お前の存在価値は何なのかと説明しろと、詰問したということだ。

 

そして話は、『近江源氏』の店主についてだ。

コロナの中、目先のリスクで考えればすぐに店を閉め、これまでの蓄えで気楽に過ごすほうが”賢い”やり方だっただろう。

しかし店主は、リターンが見通せないリスクすらも飲み込んだ上で、お店を存続させる決断をした。先代から引き継いだのれんを守りながら、いつか状況が好転する可能性に賭けたからだ。

 

「その仕事にはリスクがある」などと言い放つチンケな管理職とは対極にある、勇気あるリーダーシップである。

思うに私達オッサン世代は、「リスクとは避けるもの」という価値観を浴び続けてきたため、あらゆる生産性を損ない続けている。

リーダーとして責任を背負った途端に臆病になり、仕事や会社をどんどんつまらないものに”管理”しようとする。

 

そんな会社や上司の下では、やる気のある若手ほど

「こんな会社、さっさと辞めてぇ…」

と思って当然だろう。

 

どんなリーダーの下でなら、仕事はおもしろいのか。どんな会社であれば、月曜日の朝が楽しみになるのか。

そう考えたら、リーダーのとるべき姿勢など、すぐにわかるはずだ。

ぜひ、自分が若かった頃に大好きだったリーダーを思い出し、そこを目指してほしいと願っている。

 

 

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【プロフィール】

桃野泰徳

大学卒業後、大和證券に勤務。
中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。

先日、海上自衛官と一杯飲んでいる時、沖縄で撮った写真を何気なくお見せしたら、
「南方のどこか、サンゴ礁で形成された地盤の島ですね」
と言いあてられ、驚きました。

どんな世界でも、プロっていうのは本当にすげえ…。

twitter@momono_tinect

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