昔、ある会社でM&Aに関わった時の話だ。

といっても買う方ではなく身売りをする方で、業績悪化で事業を切り売りし、何とか延命を図ろうという追い詰められた立場である。

私は取締役CFOで、会社のNo2 としてディール(取引)の実務責任者を務め、買い手候補先と交渉にあたっていた。

 

この時、最後までビット(入札)に残ったのは2社。

私はそれぞれの会社からの条件を取りまとめたが、A社は子会社の買取金額として望外の、破格の金額を提示してきた。

それに対しB社は、買取金額は安めにした上で、それとは別に親会社に転換条項付社債での出資を厚めにすることで、子会社を買い取りたいと交渉してきた。

 

転換条項付社債については、小難しい説明はともかくとして、「親会社もそのうち頂きます」という意思表示である。

条件にもよるが、この時の転換条件はただの「毒まんじゅう」であり、美味しそうに見えても喰ったら即死(親会社のオーナーシップも取られる)するものだ。

 

こんな条件は呑む訳にはいかない。

私は迷わず経営トップに対しA社とのM&Aを進めるように進言したが、経営トップも受け入れたので、さっそくB社に断りの連絡を入れる。

そしてA社とは経営トップ同士で握手も済ませ、後は契約書の調印が残るばかりになった。

 

しかし何事も、交渉事は最後まで諦めなかったものが本当に強い。

その後B社は経営トップが直談判に訪れ、様々な条件を追加して経営トップを口説き続けた。

そして「桃ちゃん。悪いねんけどやっぱりA社との取引はやめる。断ってきてくれへんか。」と言わしめることに成功してしまった。

 

当然私はB社の思惑を説明し、その決断をすれば城を失うであろうことを必死に訴えた。

既にA社とは、経営トップ同士で握手をし、口頭で合意をしているという事実もある。

金額も、数千万や数億円という話ではない。

こんな非常識なひっくり返し方をすれば、本当に会社は信用を失うことになる。

 

しかし経営トップの意思は固く、全く覆らなかった。

 

組織のためならクビになることも厭わない人たち

急に話は変わるようだが、2018年11月30日に定年退官した、一人の自衛官のお話をしたい。

お名前は中澤剛・元陸将補で、退官時の役職は西部方面混成団長。

新人自衛官の教育にあたる責任者であり、多くの上司・部下から尊敬を集めるような人格者でなければ務まらないポストだ。

 

しかしこの中澤元陸将補、実はそれに先立つ2010年2月に「やらかして」しまった経歴を持つ。

当時は大きなニュースになったので、このエピソードを聞けば思い出す人もいるかも知れない。

 

2010年といえば、前年末に政権交代があり、民主党政権が誕生した直後の話だ。

鳩山由紀夫氏が総理大臣に就任し、世の中は民主党フィーバーに湧いているという世情である。

しかし鳩山元総理は就任後、様々な約束や公約を二転三転。

当時のオバマ大統領に、「Trust me!」と大見得を切ったにも関わらず、「あれはパンケーキを勧めただけ」と釈明するなど、日米関係は難しい状況に陥っていた。

 

そんな時だ。

当時、福島県の第44普通科連隊長を務めていた中澤元陸将補は、王城寺原演習場で行われた日米共同訓練の開始式でこんな訓示を、日米の多くの兵士を前に行った。

「同盟というものは、外交や美辞麗句で維持されるものではなく、まして『信頼してくれ』などという言葉だけで維持されるものではない」

明らかに、鳩山元総理の「Trust me」を批判的に引用したものだ。

 

なお予めお断りしておきたいが、私は軍人が最高指揮官たる総理大臣に批判的な言葉を公言することは良しとはしない。

ここではそういった話ではなく、世の中があれほど民主党政権に浮かれている時に、その「人気総理」たる鳩山氏を批判的に公言する想いについて、考えて欲しいという思いで引用している。

どう考えても、中澤陸将補個人には何のメリットもない。むしろ確実に政権から睨まれ干され、ろくでもない結果になることは明らかだ。

 

実際にその後、中澤陸将補は公式に「注意処分」を受け、わずか1年で第44普通科連隊長の職を解かれている。

もし自分の立場であれば、同じことができるだろうか。

明らかに間違っており、組織のためにならないという信念があっても、公然と自社の経営トップを批判的に論じることができる人が、どれほどいるだろうか。

断言するが、ほとんどいないはずだ。だからこそ、大企業では様々な情報の隠蔽が問題になり、取り返しのつかないレベルになってから吹き出す事例が後を絶たない。

 

理由は簡単だ。

そんな事をしても、自分の利益になるわけじゃない。何も得をすることがない。

自分だけで戦っても何も変わらないなら、やるだけバカバカしい。概ねそんなところだろうか。

正直、その判断は組織人として生きる以上、やむを得ないし正しいと思う。

しかし、モヤモヤした思いは残るのではないだろうか。

 

「もういいや・・・どうせ俺の会社じゃないし」

最初の話に戻りたい。

結局、A社との話を断るよう私に指示した経営トップの意志は固く、私は本当に、A社に一人足を運んで断りの挨拶をすることになった。

当然、カウンターパートであった専務取締役が出てきてくれることはなく、担当課長さんが話を聞くだけで10分も経たずに追い出された。

私は結局、経営トップの説得を諦めたわけだが、その時に最後に思ったのは、

「もういいや・・・どうせ俺の会社じゃないし」

というクソみたいな逃げの、自分への言い訳だった。

 

どうせ俺の会社じゃない。

経営トップがそう言うなら好きにすればいい。これだけ言ってもわかって貰えないなら、もうどうしようもない。

 

要するに、他人事だ。

私は会社のNo2でありながら、自分のこととしてこの重大な問題を捉えること無く、最後は投げ出してしまったことになる。

 

私がこの時に取るべき行動は、どんな手段を使ってでも経営トップを翻意させることだったはずだ。組織と従業員のためにならないと本気で信じているのであれば、少なくとも逃げるべきではなかった。

結局のところ、こんなNo2 だから経営トップは、最後の最後に私を信じられなかったのだろう。そんなこと、あたり前じゃないか。

 

何もかも自分が一番の無能だっただけだという事実を受け入れられるようになるまでには、その後ずいぶんと時間が必要だった。

 

翻ってみて、中澤陸将補のことだ。

あの状況で鳩山氏を批判すれば自分の立場が危うくなり、下手すれば懲戒免職になるか、自分や家族も世間から指弾される立場になるかも知れない。

しかし本当に意志の強いリーダーは、そんなことで自分の意志を曲げることはなかった。そして公然と、正しいことは正しい、間違っていることは間違っていると、トップを批判してみせた。

 

こんなことができる社員は、本当に組織の宝だ。

なぜなら、会社や組織の問題を「自分ごと」として捉え、会社や組織の問題は自分の問題であり、保身よりも組織にとっての最善を優先しているからだ。

 

もし自分が会社経営者であり、あるいは組織の中で部下を持つ立場であれば、考えて欲しい。

社員や部下が、自分の方針ややり方を批判的に意見してきた時。

その意見が私的な不満やストレスからではなく、組織の最善を思って為されたものであるならば、必ずそこには、見るべきものがある社員であるはずだ。そしてそんな社員こそが、会社や組織にとっての宝ではないだろうか。

 

なお余談だが、中澤陸将補が注意処分を受けた後、第44普通科連隊長のポストから去る時。

見送りには800名もの隊員たちが列をして、多くの隊員たちが涙ぐみながらその背中を見送ったそうだ。

 

また2018年11月30日の退役の日の様子は自衛隊の公式Webサイトでも見ることができるが、多くの隊員たちによって見送られる、とても感動的なものであった。

またその中澤陸将補の、退役ポストとなった西部方面混成団長としての指導方針は、

 

【統率方針】為世為人

【要望事項】範を示せ

 

 

言葉だけでなく、行動でその価値観を示した、素晴らしいリーダーであったのではないだろうか。

目指すべきリーダー像の一つとして、心に強く刻みたいと思う。

 

 

【著者プロフィール】

桃野泰徳

大学卒業後、大和證券に勤務。中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。

激レアさんを連れてきたとクレイジー・ジャーニー、ピカード艦長が大好きです。

月間アクセス数90万で、日本一の自衛隊ブロガーを自認しています。

(Photo:Jérémy Lelièvre)