ちょっと前にファクトフルネスという本を読んだ。

本書では教育、貧困、環境、エネルギー、人口など幅広い分野を最新の統計データを用いて取り上げて、世界の正しい見方を紹介している。

詳しい内容は本書を読んで欲しいのだけど、簡単にいうと、世の中は私達が思っている以上によくなっているという事実を、これでもかと事実(ファクト)を元に証明していく本だ。

結構、思った以上に事実と認知の間にズレがある事がわかり、人によっては衝撃を受けるかも知れない。

 

本書をどう読むかは人それぞれだろうが、僕はこれを読みながら、なぜ人間はここまで事実を事実として受け取れないのか、また、人々が事実を事実として淡々と伝える事ができないのかをずっと考えていた。

一ヶ月ほど考えて出た結論は、人間がロジックとエモーションを混同させて生きる生き物だからこそ、世界をありのままに見ることができないのかもな、というものだった。

 

というわけで今日はロジックとエモーションの話をしていこうかと思う。

 

情を持つと、世の中を正しくみれなくなる

かつてGEにジャック・ウェルチという経営者がいた。

彼は1年ごとに社員の下位10%を解雇するか配置換えするという非常に厳しい人事評価システムを採用していた事で知られている。

 

このシステム自体は、賛否両論いろいろあったようだけど、なぜこのシステムをジャック・ウェルチが考えついたのかについての話が非常に面白い。

ジャック・ウェルチが働いていた頃の外資系企業では、必要に応じてキチンと他人のクビを切るのもマネージャー(管理職)の1つの大切な仕事だった。

 

しかしやはり人にクビを言うのは非常につらい。その為、多くのマネージャーはこれが原因で数年で疲れてしまい、他の職を移ってしまっていたのだという。

 

そうすると、当然次にまた新しいマネージャーがやってくるわけだけど、ここで非常に興味深い現象が生じている事にジャック・ウェルチは気がついたのだという。

なんと、職場環境をよく知っているはずの前任マネージャーよりも、新しくやってきた新任マネージャーの方が、誰をクビにすべきかを客観的かつ正確に判断できる事が多かったのだという。

普通に考えれば、情報量が多い前任マネージャーの方がよりよい選択ができそうなものだけど、なぜそんな事が起きてしまうのだろうか?

 

それは、前任マネージャーが”知りすぎている”が故に、社員に情が移ってしまうのが原因ろうとジャック・ウェルチは推測する。

そして、ロジカルな10%ルールを導入すれば、情に惑わされる事なく常に”正しく”、おまけにマネージャーの心を悩ませる事もなく、誰をクビにするべきかをきめる事ができる、と考えるに至るわけだ。

 

ジャック・ウェルチのこの考えは、クビを言い渡す心労に頭を悩ませていたマネージャーには実に甘美な囁きとなった。

今まで、いろいろと頭を悩ませて誰をどういった理由でクビにするか、なんて言葉でクビを伝えればいいかを考えなければいけなかったマネージャーからすれば、「ルール」でクビを言い渡す相手を自動的に決めてもらえるのだから、これ以上楽な事はない。

 

というわけで労働者からすれば冷徹だが、マネージャーからすればこの上なく優しい10%ルールは、一時期経営者から称賛をもって向かい受けられていた。

 

これぞエモーションがあるがこそ故に、ファクトをありのままにみれない事例として、最適な例といえよう。ロジックという合理性の前に立ちはばかるのは、いつだって非合理的なエモーションなのである。

 

ファクトに基づいてロジカル考え、合理的に正しかったはずの結論が……

そして面白いのはここからである。

ファクトに基づき、ロジカルに出したエレガントな解法であった10%ルールだけど、結果的にはなんと大失敗だったのだ。

今ではGEを含め採用している企業はほとんどない。

 

果たして10%ルールの何がいけなかったのだろうか?

原因は様々だろうけど、一般的には働きアリの法則というもので失敗の原因が説明される事が多い。

 

働きアリの法則とは以下のようなものだ。

1.働きアリのうち、本当に働いているのは全体の8割で、残りの2割のアリはサボっている。

2.よく働いているアリと、普通に働いている(時々サボっている)アリと、ずっとサボっているアリの割合は、2:6:2になる。

3.よく働いているアリ2割を間引くと、残りの8割の中の2割がよく働くアリになり、全体としてはまた2:6:2の分担になる。

4.よく働いているアリだけを集めても、一部がサボりはじめ、やはり2:6:2に分かれる。

5.サボっているアリだけを集めると、一部が働きだし、やはり2:6:2に分かれる。

 

GEの10%ルールの問題点は、4の「よく働いているアリだけを集めても、一部がサボりはじめ、やはり2:6:2に分かれる」に集約されている。

つまり、パフォーマンスが悪い働かないアリをのけ者にして、働きアリだけを集めたところで、結局働きアリが働かなくなるだけなのだ。

 

なぜアリには、こんな奇妙な生態系が導入されているのだろうか?北海道大学の長谷川英祐は進化生物学の見地からこれをこう解説している。

働くアリと働かないアリの差は「腰の重さ」、専門的に言うと「反応閾値」の差によるのだという。

 

アリの前に仕事が現れた時、まず最も閾値の低い(腰の軽い)アリが働き始め、次の仕事が現れた時には次に閾値の低いアリが働く。

 

なぜこんなシステムを導入しているかというと、仮に全てアリが同じ反応閾値だと、すべてのアリが同時に働き始め、短期的には仕事の能率が上がるが、結果として全てのアリが同時に疲れて休むため、長期的には仕事が滞ってコロニーが存続できなくなるからだ。

 

この結果が正しい事はコンピュータシミュレーションの結果からも確認されており、閾値によっては一生ほとんど働かない結果となるアリもいるが、そのようなアリがいる一見非効率なシステムがコロニーの存続には必要なのだという。

 

エモこそが私達の本能なのではないだろうか?

10%ルールの失敗はロジカルに、合理的に頭のよい人が正しく判断したはずの回答が、巡り巡って結果的に不正解となった事例として、人間の思考力の限界を痛感させられる一例だと言えよう。

こう考えると、マネージャーが部下をクビにする事に罪悪感を覚えるという情こそが、働きアリの法則の法則を集団で守らせようとする為の本能のようなものに思えてくるのだから面白い。

 

人間は、働きアリのようにプログラム化された存在ではない。私達には、それぞれ固有の自由意志というものがある。

しかし、この自由なはずの私達だけど、面白いぐらいに類似した文化を各地で形成して社会を営んでいる。

 

自由な意志を持っているのなら、多様な社会が形成されてもいいだろうに、なぜ人間は世界中のアリが似たような生態系を呈するがごとく、類似したシステムを組み上げてしまうのだろうか?

僕が思うに、それこそがエモーションの役割なのだ。感情という無意識に仕込まれたプログラムこそが、人間を最もキレイにコントロールする補佐役となっているからこそ、人間というのはここまで上手に社会を形成できているのである。

 

実は民主主義こそがこれを最も体現していると言ってもいい。

太古の昔から、王政や貴族制といった、”頭のいい人”が市政の人々をロジカルに束ねる試みは常に実験されてきた。

しかし多くの場合において、それは失敗している。全てを政府の計画下に置いて、効率化を推し量った共産主義の歴史的な失敗が、それを最もよく表しているだろう。

 

結局、キリストが産まれてから2019年もたった今、大国の政治はほぼ選挙によって選ばれた政治家と、それを補佐する官僚により成立している。

国民のエモーション担当が政治家であり、国民のロジカル担当が官僚と考えると、この組み合わせが驚くほどシックリくるのは、僕だけだろうか?

 

もちろん、常にエモーションが正しいとは限らないし、むしろエモーションはよく間違える。

ファクトが正しくみれない私達は、まさにその体現といってもいい。

 

しかし、それは言うまでもなく、ロジックについても同じことがいえる。

例えば透析患者は自己責任で全員医療費自己負担にしろという考えは、国が借金まみれの今だと、”合理的に考えれば”、ある人にとっては”正解”なのかもしれない。

 

しかし、これを冷徹に”良し”と判断できない、私達のエモーションの部分に宿った無意識の部分にこそ、私達人間の大切な本能が隠されているのではないだろうか。

 

もし、近々合理性が社会に導入されたら、エモーションで無意識にコントロールしていた部分はどうなるのだろうか?

ディープラーニングを導入されたAIでビッグデータを解析し、ファクトに基づいた正しい分析が行われようとしつつある。

僕の本職である医療においてもAIの力は及ぼうとしているが、ハッキリ言ってファクト抽出に関して言えば、AIに敵う医者は1人もいないだろう。それぐらいに、AIのファクトを見る目は優れている。

 

この事を、大手を振って迎え入れている知識人も結構多いけど、一般人の感覚としては、なんか薄ら寒いものを感じないだろうか?

たぶんなんだけど、その感覚は間違ってないのではないかな、と僕はファクトフルネスを読んでなんとなくだけど思った。

 

こんなにも事実を”正しく”みれてないにも関わらずこの世がどんどん良くなっているのは、逆にいえば多くの人が”正しく”事実をみず、エモーショナルに基づいて行動しているからこそ、結果的に正しくなっているのではないだろうか?

 

AIが導き出した圧倒的ファクトでロジカルに導き出された答えは確かに正しいのかもしれない。

ただ、それを水面下でコントロールするエモーショナルな部分は、AIが導入された社会において、果たしてキチンと機能できるのだろうか?

 

ファクトに基づいたロジカルな意識と、エモーションに基づいたスピリチュアルな無意識。

もし、社会にAIが導入され、ファクトがエモーションより多い比率で採択されたとき、私達は真の意味で無意識から手が離れた社会を生きることになる。

 

それが楽園なのか、地獄なのかはそう遠くないうちにわかるだろう。

 

 

【安達が東京都主催のイベントに登壇します】

ティネクト代表・安達裕哉が、“成長企業がなぜ投資を避けないのか”をテーマに東京都中小企業サイバーセキュリティ啓発事業のイベントに登壇します。借金=仕入れという視点、そしてセキュリティやDXを“利益を生む投資”とする考え方が学べます。


ウェビナーバナー

お申し込みはこちら(東京都サイト)


こんな方におすすめ
・無借金経営を続けているが、事業成長が鈍化している
・DXやサイバーセキュリティに本腰を入れたい経営者
・「投資」が経営にどう役立つかを体系的に学びたい

<2025年7月14日実施予定>

投資と会社の成長を考えよう|成長企業が“投資”を避けない理由とは

借金はコストではなく、未来への仕入れ—— 「直接利益を生まない」とされがちな分野にも、真の成長要素が潜んでいます。

【セミナー内容】
1. 投資しなければ成長できない
・借金(金利)は無意味なコストではなく、仕入れである

2. 無借金経営は安全ではなく危険 機会損失と同義
・商売の基本は、「見返りのある経営資源に投資」すること
・1%の金利でお金を仕入れ、5%の利益を上げるのが成長戦略の基本
・金利を無意味なコストと考えるのは「直接利益を生まない」と誤解されているため
・同様の理由で、DXやサイバーセキュリティは後回しにされる

3. サイバーセキュリティは「利益を生む投資」である
・直接利益を生まないと誤解されがちだが、売上に貢献する要素は多数(例:広告、ブランディング)
・大企業・行政との取引には「セキュリティ対策」が必須
・リスク管理の観点からも、「保険」よりも遥かにコストパフォーマンスが良い
・経営者のマインドセットとして、投資=成長のための手段
・サイバーセキュリティ対策は攻守ともに利益を生む手段と考えよう

【登壇者紹介】

安達 裕哉(あだち・ゆうや)
ティネクト株式会社 代表取締役/ワークワンダース株式会社 代表取締役CEO
Deloitteにてコンサルティング業務に従事後、監査法人トーマツの中小企業向けコンサル部門立ち上げに参画。大阪・東京支社長を経て、2013年にティネクト株式会社を設立。
ビジネスメディア「Books&Apps」運営。2023年には生成AIコンサルティングの「ワークワンダース株式会社」も設立。
著書『頭のいい人が話す前に考えていること』(ダイヤモンド社)は累計82万部突破。2023年・2024年と2年連続で“日本一売れたビジネス書”に(トーハン/日販調べ)。
日時:
2025/7/14(月) 16:30-18:00

参加費:無料
Zoomビデオ会議(ログイン不要)を介してストリーミング配信となります。


お申込み・詳細
お申し込みはこちら東京都令和7年度中小企業サイバーセキュリティ啓発事業「経営者向け特別セミナー兼事業説明会フォーム」よりお申込みください

(2025/6/2更新)

 

 

【プロフィール】

名称未設定1

高須賀

都内で勤務医としてまったり生活中。

趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。

twitter:takasuka_toki ブログ→ 珈琲をゴクゴク呑むように

noteで食事に関するコラム執筆と人生相談もやってます→ https://note.mu/takasuka_toki

(Photo:nelio filipe