やってしまった。

また性懲りもなく「働きすぎて→精神が潰れる」のコンボをキメてしまったのである。

 

ありがたい事に、最近は色々な方面からお仕事を頂けるようになった。

これ自体は本当にありがたい事なのだけど、その一方で仕事をたくさん引き受けすぎて、溜まったタスクの重みで精神疲労する事が本当に増えた。

 

今更ながら、マネジメント能力の重要性を痛感している。自己管理って本当に大切だ……今回は運良くGWが来てくれた事もあり、上手に休みが取れて復活できたけど、そのまま心がミンチになっても何もおかしくなかった。

 

反省の意味も込めて自分自身が過労で潰れかけていた時の前兆と、疲労回復に役立った手法を書いていこうかと思う。

これを読んで「あっ、自分の事かもしれない」と思った人は、注意した方がいい。そして対策についてもしっかりと学んで欲しい。

 

疲れ初めの頃は過剰に好戦的になっていた。

いま思うと、ハチャメチャに心が疲弊している時に上野千鶴子氏の東大入学式スピーチを読んだのは本当によくなかった。あのスピーチを取り巻く一連の輪の中で、かなり僕の精神疲労は加速したし、なんなら若干狂いかけてたように思う。

 

内容に関してはあまりにも様々な媒体で言及されすぎているので避けるが、このスピーチの何が凄いのか、といえばこの文章は内容以上に、こんなにも沢山の人から言及される事がとてつもなく凄い。

考えてみてほしいのだが、未だかつて、こんなにも日本の大学の入学式スピーチがバズった事があっただろうか?こんなバズる文を作れる上野千鶴子氏の才覚には感心する他ない。

 

まるでルビンの壷のように見る人間によって見え方が変わるこのスピーチは一種のマジックといっても過言ではない。

多くの人間の感情を湧き上がらせ、炎上にも近いレベルで大規模に人々の話題の中心になるだなんてデイビット・カッパーフィールドも真っ青である。

 

もともと、フェミニズムというのは話題にされる事自体にも目的があった。いくら偉そうな学者が

「この世には女性差別があるんだよ!!!」

と大声で言おうが、間違いなく誰も相手になんてしない。駅前で活動している政治家の話す言葉に立ち止まって耳を傾ける人がほとんどいない事からも、これは明らかだ。

どんな話題であれ人に関心を持ってもらい、議論の中に入ってもらうのは物凄く難しい。

その意味では、上野千鶴子氏が大衆の心を焚きつける技術を習得したのは必然の事ではある。

 

だが、こんなにも大規模にみんなを議題のテーブルに乗せる彼女の能力は本当に見事という他はない。

もはや、このスピーチは内容について言及した時点で発言者の「負け」なのだ。

 

とまあ、そういう背景があるのも含めてだけど、僕も4月に入ってから随分とこの話題にまんまと乗せられて、随分と色々な人と喧々諤々の男女平等に関する激論を交わせてしまった。

やってる最中は全然気が付かなかったけど、冷静になって振り返ってみればまさに「つ、釣られたクマー」である。

この祝辞に群がる人達の好戦的な態度に乗っけられ、自分までもが好戦的になって精神を消耗されられていたのを思い出す。

やはり人間疲れてるとイライラして好戦的になりがちだなと改めて思し、そういう時にその手の話題に立ち入るのは精神の消極的な自虐でしかないなと本当に反省する。

結論。疲れている時は、好戦的な話題をみてはならないし、みてもそっとブラウザを閉じるに限る。

 

疲れてると、人に操られやすくなるんだなぁ

繰り返しになるが、疲れていると本当に他人に扇動されやすくなる。

そういう時、自分が疲れている事自体に気がつくのは本当に難しいのだが、イラッと来たら「そもそも自分はいま釣られている」という事に気が付けないと、いつまでたっても他人の思う壺である。

 

差別を始めとして、世の中には不正や許しがたい事がたくさんあふれている。

そのどれもが長い目でみれば解消されるべき大切な事であるのは間違いない。が、その解消の為にあなたが扇動され利用される必要は万に一つもない。

逆に、「ありがとう」と言うべき家族や友達、読みたい本や見たい映画など、世の中には個人にとって本当に大切な事がたくさんある。

残念ながら時間は有限だ。あなたの人生で成すべきことが一体何なのかを改めて考えよう。少なくともそれは、他人に操られる事ではないのは間違いない。

 

現代人の生活は異常に忙しく疲れやすい

とまあ、疲れてた事で好戦的になってて、人に操られてたなというのが直近までの自己分析なのだけど、それ以前の問題として、なんでこんなにも冷静さを欠くレベルで疲れてしまったのかといえば、私生活が忙しすぎたからに他ならない。

はっきり言って、中年以降の現代人の生活の忙しさは本当に異常だと思う。若い頃とは全然レベルが違う。なにが違うかと言えば、圧倒的にマルチ・タスクなのだ。

 

若い頃は割とライフ設計は単純だった。基本的には学校や仕事といった疲れる場所の数がそう数が多くはなく、どれぐらい疲れるかの程度がある程度は予測しやすかった。

まあそれはそれで色々なデメリットはあったけど、まだ変数が少ない分だけダメージ量は予測しやすかった。

 

一方、そこそこ歳を重ねて生活が複雑化してくると、想像以上にタスクの変数が増えてくる。

仕事に家庭、人によっては副業、これに子育てなんて加わったりしたら、多くの人はもうキャパシティが限界パンパンだろう。

 

中年以降の人生は、とにかくタスクの変数が桁違いに増える。そしてこれが想像以上に恐ろしい精神疲労を生み出す。

何が問題なのかと言えば、タスクは積み重なるのである。これが想像以上に厄介なのだ。

 

積み重なったタスクは、単純なボリュームよりも重い

想像してみて欲しい。仕事で責任ある立場になる中で、家庭で子供と揉め事が起き、そこで親の介護がぶち当たったりしたとしよう。

人間、残念ながら一度に一つの事しかできないから、ここから抜け出すためには一個づつ問題を解決しなくてはならないのだけど、じゃあ何から手をつければいいのかを考えるだけでめまいがしてこないだろうか?

 

積み重なったタスクは、もはやボリュームたっぷりの忙しさとは別次元のものとなる。

かつて340日ぐらい馬車馬のようになって働いていた頃の忙しさより、正直いまの複数角度からの多忙の方が僕は遥かに苦しい。

シングルではなくマルチな方面でタスクが発生する事から仕事が複数角度から溜まりやすくなり、結果として心置きなく休息を取りにくくなるというのが本当によくない。

 

タスクを上手に処理できてるうちはまだいい。けど、一度処理が難しくなったりしたら、もうあとは積み上がるだけである。

そうして人は「あれもできてない。これもできてない」とタスクの山に潰されて一歩も動けなくなり、無能感に支配されて勝手に自分で自滅していく。あなたの周りにもそんな人が1人くらいいるんじゃないだろうか?

というか今の自分が当事者だったりしないだろうか?お疲れ様である。

 

こうなった時の対処方法としては色々な方法があるだろうけど、ここではあえてタスクを減らさず、無理やり維持するためにどうすればいいのかを考えてみよう。

そのための一つの方法が、アクティブに遊ぶ事だ。

 

レジャースポーツの癒やしの本質は、瞑想である

若い頃は、世の成功者がオン・オフの切り替えの大切さについて語っている意味が全くよくわからなかった。

けど、今になってその大切さを実に痛感する。働けるようになったら、それ以上にあえて働かない事が物凄く大切になる。

 

じゃあ、どうすればいいのだろうか?それは休日に本気で遊ぶのである。というかこれしかない。

僕は以前は休日にサーフィンやらスキー、登山といった活動的なアクティビティをする人間の気持ちが全くわからなかった。

休むと言えば、家でゆっくり寝るとかゴロゴロ本を読むとかだと思っていたのだ。

 

けど、実はこの手のインドアタイプの休息は、肉体的な癒やしにはなっても精神的な癒やしには時として全く結びつかない。

何故か?それは思考に余裕があるが故に、日常生活の事を考える余裕があるからだ。

積み上がったタスクの山を考えながらのゴロ寝とか読書は、はっきりいって休息ではなくただの自傷行為である。やってみればわかるけど、マジで苦痛以外のなにものでもない。

 

一方で、いわゆるレジャースポーツといわれるタイプの遊びをやってみてわかったのだが、これらは割と熱心にやらないと駄目なこともあって、頭の中から強制的に仕事や私生活の事が排除される。というか何も考える余裕などなくなる。

本気の遊びは、魂を日常から飛び立たせるのだ。

やってみて気がついたのだけど、これが面白いほどに精神的に癒やされるのである。一種の瞑想みたいなものなのだろう。

心がリフレッシュされるとはまさにこの事かと、仕事やプライベートの問題が山のようにあった僕が、それらを完璧に忘れられた事には衝撃を受けた。

 

マジ遊びは身も心も非日常に置くことで、休日を強制的に”心の癒やし”へと置換させているのだ。いやはや、なんでもやってみるものである。

レジャースポーツでなくとも、強制的に占領する遊びをみつけられればいい

とはいえまあ、全員が全員、レジャースポーツが好きになるのも非現実的だろう。少なくとも僕は運動が大嫌いだし、これを一生やり続けるのはごめんである。

 

つまるところレジャースポーツの本質は精神の強制的な乗っ取りなのだから、各人に合うそういう遊びをみつけりゃいいだけの話である。

何事も、本質を捉える事が大切だ。

 

結局、僕にとってのアクティブな遊びは幼い頃から慣れ親しんでいたテレビゲームが一番フィットした。

これに没頭するのが一番心が癒されるし、休日は無理矢理にでもこれをやる時間を作ろうと心に決めた。

GWは本当にたくさんのゲームをした。フリーソフトのピトロクス・ギア、Switchのカタナ・ゼロにマリオ・オデッセイ。いずれも素晴らしい作品で、全てを忘れて久々に心の底から”遊ぶ”事ができた。

 

興味深い事に、心が疲弊している時点ではゲームは物凄く楽しいのだけど、徐々に回復してくるにつれて、あんなにも面白かったゲームに自然と強い退屈感を覚えるようになる。そして「日常に帰りたくなる」のだ。

これが実に面白かった。確かに言われてみれば、かつて義務教育時代は夏休み終盤になると学校に行きたくなったりしたが、日常と非日常はシームレスに退屈さで繋がっていたのである。

 

うつ病患者はうつヌケ手前になると、段々と退屈を覚えるようになってくるという話を以前聞いたことがあったが、遊びも徹底すると退屈を感じ日常に戻ってもいいかなと思うようになるのはかなり新鮮な学びであった。

 

バーンアウトしないためにも、己にあったガチ遊びを見つけ出そう

人は本当に簡単に疲弊する。そして一度疲弊すると、それを取り除くのは本当に本当に大変だ。

働くのも大切だが、それ以上に積極的な遊びを強制的に自分の習慣の中に取り入れる事も大切になってくるのが中年以降の人生だなというのを本当に痛感している。

 

現代社会は本当に忙しい。ほっとくとタスクが山のようにつみあがり、その重さに潰されてしまう。

今回の疲弊は大変だったけど、休日は日常生活の事を完全に考えられないような全てを忘れて本気で遊ぶ時間を設け、それができるような形に日常を逆算して組み上げるという事の大切さを知れたという点で、まあ塞翁が馬だったのかな、と思う。

 

僕にとっての令和の幕開けは、ガチ遊びの学びと共に始まった。

休日は仕事を絶対にせず、私生活の事を無理矢理にでも忘れるのだという強い意志を忘れずに、この時代を心を壊さずに駆け抜けていきたい。

 

といわけで嫁は僕が家でガチでNintendo Switchで遊んでても「怠けてる」って怒らないでください。

お願いだよぉ。これは魂の治療なんやで。

 

とうわけでみなさんも、よいガチ遊びライフを!

 

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高須賀

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