これは以前も書いたような気がするのだけど。

 

僕はかつて、「よかれ」と思って後輩にミスを淡々と指摘し続けて、鬱一歩手前にしてしまった事がある。

治すべきミスをキチンと指摘してあげたほうが、その後の改善ポイントがわかりやすいと思っての事だったのだけど、結果としてはあまり良いものとはならなかった。

 

なぜ後輩が落ち込んでしまったのか、正直なところ以前は正直よくわからなかった。

「仕事というのは怒られるうちが華」と洗脳にも近い形で教育されてきた身からすると、説教されずにファクトだけをベースに指導してもらえるだなんて、夢のような話じゃないかと思っていたぐらいである。

 

ところが最近、ちょっとした病をやり、自分自身がそれまで物凄く簡単にできていた事が全然できなくなった事により、目の前で出来ないことを淡々と「できるよね?」と言われる事がエラいシンドイということを身をもって知ることとなった。

 

「できません」と言わされたり、「できてないよ」と延々と言われ続けるのは想像以上にキツかった

「できません」

「わかりません」

若い頃は、こう言いつつも「次はできるようになるぞ」と思えたからこそ、そこまでこの手の発言をする事は苦しくなかった。

 

それが今回、病が原因とはいえ自分ができない側に転落した事で

「ああ、自分が無能だと自覚した上で宣言させられるというのは結構苦しい事なんだな」

と心底痛感してしまった。

 

自分はあまりプライドがない方だと思っていたけど、自分が無能で何の役にも立てないし立てるようにもなりそうにないと何度も自認させられるのが、ここまで自尊心が傷つくことだなんて全く思いもしなかったのである。

 

考えてみると、承認欲求というのは「自分自身が有能」であり、「なんらかの価値を社会に提供できている」という事で実感できるものだ。

その逆、逆承認欲求とでもいうべきか……「自分は無能」であり「社会に何の価値も提供できていない」という事を、誰からでもなく自分で宣言させられるという事は、心へのダメージがマジではんぱない。

 

「ああ、なんで後輩が僕にミスを淡々と指摘され続けて苦しかったのかがようやくわかったぞ。あれ、いつまでたっても自分が無能だっていう事実が目の前に延々と置かれ続けて、逆承認欲求がモリモリ溜まってたんだな・・・」

 

幸いにして、僕の場合は治る病気だったからよかったけど、これが永遠と言われたら、さすがにちょっと心がおれただろう事は想像に難くなかった。

これがさらに加速して、解雇+失職コンボとなり社会から落伍者の烙印を押し付けられたら・・・普通の人には耐え難い苦しみだろう。

 

失職は人間の幸福度を著しく毀損するとはデータの上では知っていたけど、その片鱗を身をもって味わい、その恐ろしさの一端を知った気分である。データによると、失職は普通の人の約5倍も不幸になるそうだ。

(出典:労働政策研究・研修機構 http://db.jil.go.jp/db/ronbun/zenbun/F2004100044_ZEN.htmより引用)

 

”できる”人と”できない”人

世の中には”できる”人と”できない”人がいる。

この2者の考え方は基本的には交わることがない。

 

できる人からすれば、できない人の気持ちはわからないし、できない人からすればできる人の気持がわからない。

できる人はできない人の事を「怠けてる」と思いがちだし、できない人はできない人で「なんで私のことをいつまでたってもわかってくれないのだろう?」とできる人の事を思ってるだろう。

 

この2者は別個の存在ゆえに、お互いを理解し合うのは極めて難しい。

が、私達はその両者の考えを「されど愛しきお妻様 「大人の発達障害」の妻と「脳が壊れた」僕の18年間」を読むことで知ることができる。

最貧困女子で一躍有名となった鈴木介さんは、もともとエラいハイスペックな”できる”側の人間だったようだけど、過労が原因で脳梗塞をやり、自身が障害者となった事で発達障害者である自分の奥様の”できない側”の気持ちがようやく理解できたのだという。

鈴木さんはこの体験を通じて、今まで「できる」自分がいかに「できない」奥様のプライドを徹底して傷つけてきたのかをようやく理解したそうだ。

 

この本の面白いところは、能力が先天的なものであるという事を理解できる部分にある。

”できる”人間がより”できる”人間になる事はあっても、”できない”人間が”できる”人間へとなる事は、ほぼない。

 

できない人なりに適応する事はできるのだが、”できない”人は決して”できる”人にはなれない。

能力というのは天から個人に与えられたギフトであり、そのギフトは失うことはあっても得られる事はほぼないのである。

 

だから、できる人のいう「こうした方がいいと思うよ」という善意からの提案は、できない人からすればペンギンに向かって空を飛べというような話だ。

それはその人に「こんな事もできないの?」とプライドを毀損するような行為に他ならないという事がこの本を読むと実によくわかる。

 

この本は、”できる”人と”できない”人がどう交わっていけばよいのかを学ぶのにとてもよい一冊だと思う。

 

大切なのは誰もが自由でいられること

人の幸せは、自由であることにかなり大きく依存する。

”できる”人からみて”できない”人が「こうした方がいいのに」と思っても、できない人というはそもそもそれができないからこそ、「そうできない」のである。

それを押さえつけるような形で「こうしなさい」と言われるのは、人間の権利で最も大切な自由を奪う行為になる。

 

これも入院して心底痛感したのだけど、自分の行動に制限がかかるという事は本当に心の栄養に悪い。

自分の好きに生きれるところにこそ、心の自由があり、好きに生きられないという事はそれだけで拷問のように苦しいことだというのが嫌というほどよくわかった。

 

できる人であれ、できない人であれ、大切なことはお互いが自由でいられる事だ。

「あなたの為を思って」だとか「それ、非合理じゃん」という口実を元に、相手の自由を侵害するのは、よく見かける行為だけど、実のところ相手の自由を侵害する行為以外の何物でもない。

 

自分の自由を尊重し、そして相手の自由も尊重しよう。

お互いが「できる」実感を抱き、社会に役立つ実感を獲得し、承認欲求を充填させていく事ができれば、”できる”人も”できない”人も幸福でいる事ができる。

 

有能だから自由を享受でき、無能だから自由を制限されるような社会はとてもとても苦しい。

どんな人でも、自由でいる事ができる社会こそが、最も尊いものではありませんかね?

 

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【プロフィール】

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高須賀

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(Photo:Ryan Hyde