安達さんの記事を読んで、久しぶりに昔やったミスを思い出して古傷が傷んだ。

なぜ「事実」と「意見」を区別して話せない人がいるのか。 | Books&Apps

 

特に冒頭のこの部分が実によく刺さる。

過去に部下だった人のひとりが、ちょうど「事実」と「意見」の切り分けができない人だった。

例えば、こんな具合だ。

「昨日の営業、途中退席してごめん。お客さん、ウチに依頼するか、決めてくれた?」

大丈夫だと思います。

「大丈夫って……決まったのか、決まってないのかが、知りたいんだけど。」

「あ、まだ決まってないです。」

実は自分もかつて似たような事をやった事がある。

 

ある寒い冬の日の話だ。

 

僕は救命救急センターにて夜間診療をやっていた。

実は夜中に救急外来を訪れる人の多くは「自宅で寝てたらなおる」ような方が非常に多い。

 

僕も働き初めの頃は

「なにか見逃したらどうしよう……」

という恐怖心があり適当な診療行為なんて絶対にやれなかったのだが、だんだん中途半端に慣れてくると

「どれもこれも、病院にくるような症状じゃない。ぱっとみてサッと帰宅させ、仕事をラクにしよう」

という下心がムラムラと生まれてきてしまっていた。

 

あの頃の僕は、ちょうど医者として悪い意味での慢心と仕事をラクにさばきたいという下心がブレンドされていた時期だったと思う。

そんな時期に指をぶつけたという、ある患者さんが訪れた。

 

現実をありのままに見続けるのは、結構難しい

僕は見る前から「指をぶつけたって、どうせ打撲だろう。痛み止めを出しておしまいだな」とタカをくくっていた。

まあ一応念の為、レントゲン写真ぐらいはとっておくかと指示を飛ばし、写真をひと目みて「大丈夫ですよ。腫れがひどくなったら明日整形外科を受診してくださいね」と診察を高速で終わらせた。

 

カンのいい読者はもう気がついただろうが、僕はこのとき見事に骨折を見落としていた。

しかも、ぶっちゃけ結構わかりやすく折れてたのである。

次の日に整形外科の大先輩から大目玉を食らったのはいうまでもない。

 

当時は自分が誤診をしてしまったという事による罪の意識が強く、この事例を冷静には反省できなかったのだが、いま思うと

「どうせ折れてない」という風に結論を決めつけた目でレントゲン写真をみていた事が一番の敗因だったと思う。

 

実際のところ、夜間の救急外来で骨折事案にぶち当たる可能性はかなり低い。

ヘタにそういう経験を積み、更に後ろに控える膨大な救急外来を訪れてる患者さんを一刻も早くさばきたいという下心があったあのときの僕の目は、間違いなく非常によくない方向に歪んでいた。

 

事実を、自分の望むような方向に解釈を加えず、淡々とあった事を見続けるのは実はものすごく難しい。

上の安達さんの部下との会話を読んで

 

「ああ、この人めっちゃラクしたいんだろうな・・・」

「めっちゃ現実を自分に都合のよいように”解釈”しちゃってるな・・・」

「かつて自分がやった事やん。鬱だ~」

となってしまったのである。

 

負けず嫌いを使用して、慢心をいさしめる

さて、恥ずかしい告白はここまでにしておくとしよう。

次は僕がこの慢心やラクをしたいという気持ちをどう克服していったかである。

 

はっきりいうが、人間のラクをしたいという気持ちは非常に強い。

「次は気をつけよう」というような意識改革が「ラクをしたい」という下心に何度も駆逐される様を何度も経験し、ヒヤリハットを複数やらかした自分がいうのだから、間違いない。

 

さて、では自分はこの「ラクをしたい」をどう封じ込めたか。

 

それは「ゲームで負けたらめっちゃ悔しくなる」のいう気持ちの応用であった。

 

僕に限らずみんなそうだと思うのだが「ゲームに負ける」というのは非常にイライラする事である。

かつてYou tubeでキーボードクラッシャーというドイツの14歳の子供が、ゲームでうまくいかずに大癇癪を起こす様がバズった事があったが、実は僕もTVゲームの対人戦で負けるとあれぐらいには心はざわつく。

この事に気がついてから、僕は診察で自分がみえてない現実を歪めて見出したり、ラクな方向に流れたら「負け」という風に、自分の診療行為をゲーム化した。ある種のゲーミフィケーションといえるだろう。

 

心のなかにキーボードクラッシャーを飼う事で、僕は常に「負けたくない」という気持ちだけで最後の一線を踏ん張り続ける事に成功している。

この仕組み化で、かなり慢心やラクをしたいという気持ちは低減できているように思う。

 

プロフェッショナルの根源も、たぶん「負けず嫌い」

仕事柄、いわゆる達人と言われているタイプの外科医と何度か一緒に働く事があった。

 

この手の人達の凄さは一見するとわかりにくい。

別に魔法のように派手な演出があるわけでもないし、アッと驚くような超絶技巧をするわけでもない。

 

ただ一つだけ、ハッキリと異なる部分があった。

彼らは、普通の人なら面倒くさくて嫌がるような事を、常に手を抜かずにキチンとやり遂げるのだ。

 

以前はあの完璧主義的な行いの動機がどこにあったのかサッパリわからなかったのだが、あれはたぶん”面倒くさい”という仮想敵と常に戦ってるのだ。

 

彼らは「面倒くさい」という自分の気持ちに”負けてしまう”のが何よりも嫌だったのだろう。

普通の人ならラクに逃げたくなってしまう部分を突っぱね続けられたからこその、圧倒的な結果だったのである。

 

万人があそこまで全てを仕事に打ち込むは難しいだろうが、要所要所で参考になる事はあろう。学びたいものである。

 

神トレーダーだっていつか相場から退場する

cisさんというインターネット上で非常に有名なトレーダーがいる。

 

彼が”一人の力で日経平均を動かせる男の投資哲学”という本を出版された時、出版記念でトークイベントをされたので聞きにいったのだけど、会場における彼のやり取りは非常に印象的だった。

内容は主に株式のデイトレード関連の事が多かったのだけど、彼の受け答えは全てにおいて非常に細かく、質問のほぼ全てを「このトレードは勝つ確率が何%で~」という風に全て期待値に落とし込む様は異様であった。

 

彼のトレードには一つとしてカンのようなふわっとしたものは無く、僕はその完璧主義っぷりに圧倒されると共に

「自分のような根がテキトーなギャンブラー気質の人間はデイトレーダーになったら期待値の海に沈みボロ負けするんだろうな」

と思わされたものであった。

 

そんな超完璧主義である彼が、会の最後に

「自分もいつか相場で勝てなくなる日がくる。いつ株式市場から退場するかの見極めもしなくてはならない」

というような趣旨の事を言ったのが非常に印象的であった。

 

考えてみると、自分だっていつまでも第一線で働き続けられるわけではない。

たぶん、僕もいつしか若手に席を譲るハメになる。

 

人生の結構な時間を使って習得した技能が、時代遅れとなり使い物にならなくなる瞬間を目にするのはたぶん物凄く苦しいだろう。

 

日々、討ち死にしていく相場という戦場で戦う人だからこそ引き際も考えるのだろうなとは思ったが、自分もゆっくりとだが職業人として衰退するという現実を改めて実感し、少しだけ物哀しい気持ちになった。

 

去り際まで美しくいられればいいのだけど。

世の中、なかなか儚いものですねぇ。

 

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【プロフィール】

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高須賀

都内で勤務医としてまったり生活中。

趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。

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(Photo:Owen Beard