知り合いであるハルオサンが”警察官をクビになった話”という本を出された。
簡単にあらすじを書くと、幼少期から「警察官になる」のが夢であったハルオサンが、見事に採用試験を突破し警察官になれたものの、そこで壮絶なセレクションにかけられ”警察官をクビ”になる話である。
内容はかなりエグく、国家の恥部に切り込んだ内容であるだけに某大手出版社はこの部分に関するネタの採用をまるごと拒否したという、いわくつきの本である。
こう書くと、かなり読んでてシンドくなりそうに思えるこの本だが、不思議と絵の力も相まってかグイグイと読み進められてしまう。
ストーリー展開が優れているというのは言うまでもないが、それに加えてハルオサンの絵がまた魅力的である。
こうなにかグワシッと心に迫るものがあり、まるで美術館で名画をみているかのごとく色々なものが感じられる一冊となって仕上がっている。
とても素晴らしい本なので、ぜひ手にとってもらいたい。正直、1500円でこれが読めるのは破格だと思う。
夢破れ、それでも人生は続いていく
この本を読んで一番初めに思ったのは、負けた後の事を話してくれない身の回りの大人たちの話である。
「夢は強く願えば叶う」
少なくとも僕が小学生あたりの頃は、こんな事を言っている大人が多かった。
が、これは真っ赤な嘘である。
言うまでもなくほとんどの人は夢なんて叶わず、夢破れ人としての人生を歩む事になる。
それなのに、負けた後に「どう人生をやっていけばいいのか」について、キチンと語ってくれる人はほとんどいない。
負けてしまったら、惨めに終わるだけなのか?
そんな事はない。
実のところ負けをデカい燃料にして、その後、逆転ホームランを打ってる人だってこの世にはたくさんいる。
以前、僕はあなたの人生に絶対に役立つ、三冊の敗戦記 | Books&Appsという記事を書いた。
ここでは佐藤優さん、カーリー・フィオリーナさん、舛添要一さんと、それぞれ様々な理由で大負けした人達を題材に記事を書いたが、彼・彼女らがその後どうなったかをみると、実はだいたいものすごく大勝ちしている。
佐藤優さんは国家権力に潰され外務省を辞めさせられた後、その話を書いてベストセラー作家になった。
今では本を書けばほぼ全て大売れする有様である。
カーリー・フィオリーナさんはヒューレット・パッカードを辞めさせられたあと、Washington Speakers Bureauというところで講演者リストに登場した。
その講演料は一回でなんと4万ドル以上(400万円以上)である。
その値段にもかかわらず、彼女は凄く人気があり、引っ張りだこの講演者だったという。
舛添要一さんも都知事を辞任した当初はTwitterで何かを書くたびにひどい暴言を投げられまくってたが、昨今ではそんなことをする人などほとんどいない。
この中だと彼だけまだ中途半端な立ち位置ではあるが、きっと近々、大きくカムバックを果たすんじゃないかと僕は思う。
こうしてみればわかる通り、一回の負けで人生は終了しないし、むしろそれを使って成り上がる事だって全然可能である。
本村凌二さんは”教養としての「ローマ史」の読み方”という本の中で
「ローマは決して連戦連勝の常勝軍ではなかった。恥辱にまみれた大敗も数多く経験している」
「しかし、そんなローマが大帝国にまで発展する事ができたのは、決して敗北という恥辱に沈むことなく、復讐心を掻き立てて、その恥を必ずそそいできたからである」
と書かれているが、このローマ兵法は私達にものすごい夢と希望を与えてくれないだろうか?
つまりこういう事なのだ。
連戦連勝の常勝軍は、むしろ大帝国なんかになれない。
恥辱を覚え、復讐心に燃え、汚名返上の機会を虎視眈々と狙い続ける。
それができる人は負けなんて次の勝ちに繋げる為の燃料でしかなく、単なるラッキーで勝った奴なんかには絶対に追いつけない何者かになれる。
こういう態度こそ、本当なら大人である私達が子どもたちに教えなくてはいけない事だと僕は思う。
最後まで、歯を食いしばり、決して諦めずに立ち続けていた奴だけが本当の勝者になれるのだ。
負けを乗り越えてきた人達を拍手喝采する
冒頭で紹介した警察官をクビになった話を書かれたハルオサンや、敗戦記を書いた3人に
「もしあのとき”勝ち”を選べたら、いまの人生と比較してどっちが選びたいですか?」
と聞いたら、たぶんみんな色々複雑な思いは持つだろう。
今の全てを捨ててでも、勝っていた人生を選びたいという人だって当然いるはずだ。
ただ、傍からみる分には「ぶっちゃけ、イマの方が凄くね?」と思えないだろうか?
失敗を単なる汚点にするか、失敗を燃料にして次の勝ちに繋げるか。
この違いは本当に大きい。
全員が全員、大勝ちできないこの世ではあるが、負けたらそこで人生終了ではない。
それどころか、失敗した時よりも、もっともっと大きくなって帰ってこれる事に、この世というシステムのとてつもない優しさを感じられないだろうか?
ハルオサンの”警察官をクビになった”その後だが、カドカワから出版されている天国に一番近い会社に勤めていた話という本で、少しだけ追随する事ができる。
これもまあ滅法凄い話で予想のナナメウエを突き抜け続けるようなストーリーが続いていくのだが、彼が書いたこれらの本を私達が読めるのは、彼が警察官をクビになったからである。
もしハルオサンが、普通に警察官をやっていたら・・・私達がこの2冊の本を読める機会は永遠に回ってこなかっただろう。
そう考えると一ファンとしては、とても複雑な心境になる。
もちろん、僕は彼の不幸それ自体を良いことだとは全く思わない。
そんな事は起きなかった方が、よかったにきまってる。
けど・・・彼の不幸がなかったら、僕は彼の作品達に触れる機会は永遠になかったのかもしれないのも、また事実ではある。
だからせめて、一ファンとして、不幸なイベントを超えてやってきてくれた人には大見得を切ってこう言いたいのである。
生き残ってくれて、本当の本当にありがとう、と。
他人だからこそ、できる事があるんじゃないか
ヘレン・ケラーはかつてこう言った。
「障がいは不便である。しかし不幸ではない」
僕がこの言葉をしったのは確か中学生の頃だったけど、この頃はまだあまり僕の心に響く言葉ではなかった。
けど最近、これを言えるのは本当に凄いなと感心しっぱなしである。
ヘレン・ケラーは目も見えないし、耳も聞こえなかったのである。
さすがに「自分に障害がもしなかったら、どんなによかった事だろう」と思わなかった事はないだろう。
しかし人生が大団円を迎えるその最中にて、こんな素敵な言葉が解き放てるのである
彼女がこのセリフを言えたのは、いうまでもなく自分自身の努力のみで成し得た事ではない。
サリヴァン先生を始めとした彼女を手助けしてくれた人達がいたからこそだろう。
だから僕は思うのだ。
勝てなかった人達が、本当の意味で「ああ、色々あったけどいい人生だったな」と言えるような環境は、その人自身だけで作るのは物凄く難しいんじゃないかと。
他の誰でもなく、周りの人達ひとりひとりの協力があってこそ、本当の意味で人は救われるのではないだろうか。
巡り巡って、多くの人が人生を良いものだったと振り返られるような世界にできるかどうかは、たぶん私達の態度にかかっている。
他人だからこそ、できる事がきっとある。
そんなわけで僕はこの本を書き上げてくれたハルオサンにお礼を申し上げたい。
本当にいい作品を、ありがとうございました。
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