「高望みしすぎじゃない?」
思い返すと、僕の人生は高望みの連続だったように思う。
偏差値38から医学部を目指し、傍からみてて絶望的にまで不釣り合いの人に恋をし続けと、むしろ高望みをしなかった事を思い出すほうが難しい。
高望みをしてしまったのは、もちろん傲慢さがあったり、プライドがあったりという要素があったりしたのは否めないだろう。
ただ……自分としては、高望みって、そういうのとはちょっと違うんだよなという感覚が何となくなのだが常に心の中にあった。
つい先日も山本一郎さんの「ズレずに生き抜く」という本を読んでいて、男の結婚できない悩み話というエピソードが出てきて色々と考え込んでしまった。
「もう賞味期限切れかかってるんだから、よほどハードル下げない限り結婚は無理だ」
「何でそんな高望みして相手に条件づけするんだお前らは」
「女性に必要以上の若さを求めるな」
どれもこれも非常によく聞く話であり、まあ実際傍からみればそうとしか言いようがない事例なんだろうなとは思いつつも、元・高望みがやめられなかった当事者としては
「やっぱり、何かちょっと違うんだよなぁ」
という感覚も否めず悶々としていた。が、つい先日これは嫌いな食べ物を好きになる方法に近いんじゃないかという事にふと気がついた。
好き嫌いを克服するのに一番いいのは本当に美味しいものを食べる事
あなたはなにか嫌いなものがあるだろうか?
僕は幼少期、風邪をひいていたときに飲んだスープの中に入っていたホウレン草が喉につっかえて気持ち悪くなった事があり、それ以降ホウレン草が駄目だった。
一度嫌いになると、それを進んで好むようになるのは難しい。
深く考え始めると、ホウレン草って何か筋っぽかったり苦かったりで、「なんで飽食の時代にこんなものをワザワザ食べなきゃアカンのや」と、食べなくていい理由なんて無限に考えられた。
その感覚が根底から覆ったのはホウレン草のピーナッツバター和えを食べてからだ。
カリカリとクリスピーなピーナッツと、甘く味付けされたピーナッツバターとで和えられたそれは、僕が嫌いな要素が全てマスクされており、ひとくち食べて
「なんだ、ホウレン草って美味しいじゃん」
と心の底から納得してしまった。嫌いなものを生まれてはじめて美味しいと思えた瞬間である。
すると不思議なもので、それまで絶対に食べられなかったホウレン草料理が普通に食べられるようになった。
おひたしも、白和えも、バター炒めも、普通に美味しいではないかと、それまでなら絶対に食べられなかったものに美味しさを見いだせる自分に軽い衝撃をうけた。
心の参入障壁というのは本当に不思議なものだ。
一度それが取り除かれてしまうと、逆に再び敷く事の方が難しい。
美味しいものを食べて、脳の認知を根底から覆せば嫌いなものも好きになれる事を僕は学んだ。
似たようなエピソードは他にもある。
例えば、うちの妻はウニが大嫌いだったのだが、鮨屋でトップクラスの雲丹を食べてからというものの、すっかりウニが大好物になってしまった。
今では以前なら絶対に口にすら入れられなかった回転寿司のちょっと臭うウニも食べられるようになる有様である。
このように、食べ物においては苦手なもの、嫌いなものを克服するのには、心の参入障壁を破壊する必要がある。
その為に肝心なのが有無を言わせない圧倒的☆美味だ。
夢と希望をセットに耽美な現実を魅せつけられれば、人の苦手意識などいかようにでも変わるのである。
高望みは「本当に美味しいのなら、ひとくち食べてみるか」という決断の為のまじない的でもあり、シュレディンガーの猫的でもある
と、ここで思い出して欲しいのだが、冒頭の”高望み”エピソードにも似たようなものを感じないだろうか。
現代社会は、それこそ普通に生きていくだけならばそこまでの苦労をする必要はない。
あえてその楽な道を選ばず、苦労してまで何かを獲得するのなら、それこそ何らかの益を見いだせなければ難しい。
結婚できない人達が高望みをするのは、そもそも恋愛活動が苦以外の何物でもないからに他ならない。
そんな心が痛む事をやるのだから、よほどのご褒美でもないとやってられない。
高望みは「本当に美味しいのなら、ひとくち食べてみるか」という決断の為のまじないだ。
それこそ佐々木希さんのような美人と付き合える事が確定しているのなら、多くの男は火の中だろうが水の中だろうがいくらでも喜んでボンボン飛び込むだろう。
が、現実は非情である。
ごくたまに宝くじを当てる人がいる事は否定しないが、だいたいの苦行は無で終わる。
それならシュレディンガーの猫よろしく「箱を開けなければ、成功と失敗は常に不確定なのだ」と可能性に恋をし続ける方が、よどほ”美味しそう”にもみえる。
こう考えると、高望みというのはシュレディンガーの猫的でもある。
チャレンジしない限り、不確定な未来にいつまでも夢想し続ける事だって出来る。
貧しかったかった頃は、「現実をみる」しか選択肢はなかった。
しかし豊かになった今、私達は誰もが心の中にシュレ猫を飼う事ができるようになった。
高望みというのは豊かさの何よりの証明のように僕には思える。
いい結婚すると、相手とどんどん似ていくらしい
渡部建さんの不貞の話題が世間ではもちきりだ。
「佐々木希さんのような美人と結婚したのに、不貞を働くのか」という人が多くみられたが、僕が思うにパートナーというのは姿かたち以上に人間性の合う合わないが大きいようにも思う。
良い結婚とは何か。
これはとても難しい問いたてだが、行動経済学のある知見によると「顔が似ていくこと」だという。
<参考 インビジブル・インフルエンス 決断させる力>
長年にわたって共同生活し、心配事や悩みを共有し、ふたりのあいだで繰り返し協調しあう事で、人はお互いの表情を同じように同調させていく。
この結果、わずかづつだが似たような痕跡が顔に蓄積していき、顔が驚くほど似ていくというのである。
このエピソードを読んでいの一番に思い出したのが野村監督夫妻だ。
初めてみたとき、あまりにも顔が似すぎてて随分衝撃をうけたものだったけど、先の話を読んでそういう事だったのかと合点がいった。
たぶん、野村夫妻は世界でも類まれなレベルで幸せな夫婦だったのだろう。誠にホッコリする話である。
野村氏は「やっぱり女性ですから、自分の子供とうまくいくか重点的に考えたと思う。この人なら子供らとうまくいくだろうと」と分析。
沙知代さんの即断については「性格的にせっかちですから、何でも早い」と当時を懐かしむように笑った。また「夫婦っていろんな縁がある」と苦笑い。
前澤さんや剛力さんのような社会的に大きく成功した男と美女のカップル、あるいはDAIGOさんと北川景子さんのようなエスタブリッシュメント同士の結婚というのは確かにインスタ的な映えがある。
ああいう例をみて、いろいろと高望みをする人達の気持ちもわからないでもない。
僕もかつて、絶世の美女と結婚できたらどんな感じだったのだろうかと夢想した事もある。
ただ今では、そういったみえがいい結婚なんかより、野村夫妻のように「お前らクローン同士なんとちゃうか」と言われるような結婚生活を築き上げてゆく事に憧れがある。
誰もが容姿に優れた人とパートナーになれるわけではないし、お金持ちや良家といったいいレッテルを得られるわけではない。
けど、結婚してパートナーと気を合わせてゆく事ならできるのではないだろうか?
そうして、長い年月をかけて自分だけの唯一無二の幸せの形を形成する。そこに結婚の醍醐味があるように僕は思う。
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(文責-ティネクト株式会社 取締役 倉増京平)
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