今日は、ヤン・ウェンリーについて書かせてください。
ヤン・ウェンリーとは、『銀河英雄伝説』という未来の宇宙を舞台にした小説に出てくる準主人公の名前です。
『銀河英雄伝説』というタイトルが示すように、この小説の主人公はローエングラム伯ラインハルトという若き英雄なのですが、ヤンはこのラインハルトの覇業に立ちふさがるライバルとして活躍し、ファンの間でも熱狂的な人気を誇っていました。
『銀河英雄伝説』なんて四半世紀以上前のオワコンじゃないか、という人もいるかもしれませんが、そうでもありません。
2018年からはアニメ版の新作が放送されていますし、中国でも人気小説として名が通っています。
先日私は、中国のベストセラーSF小説『三体』の第二部を読んで、そちらの面白さにも驚いたのですが、その『三体』の作中にヤンの台詞が出てきます。
「…たしか『銀河英雄伝説』で、ヤン・ウェンリーが次のように言ったはずです。『かかっているものは、たかだか国家の存亡だ。個人の自由と権利にくらべれば、たいした価値のあるものじゃない』」
『三体』には有名なSF作品がいくつも登場しますが、『銀河英雄伝説』がそうした作品と並ぶように登場しているのです。
今日の本題からはずれますが、『銀河英雄伝説』のファンで『三体』をまだ読んでいない人は、一度手に取ってみるのもいいかもしれません。
登場人物の魅力の方向性が『銀河英雄伝説』になんとなく似ているので、楽しみやすいはずです。
ヤンの「楽をして勝つ」に魅了された
このように名作の誉れ高い『銀河英雄伝説』に、私は高校一年生の頃に出会いました。
確か、二学期に『銀河英雄伝説』がクラスでブームになり、友達から友達へと回し読みをしていたのです。
全巻読破した男子学生はみんなファンになってしまい、全十巻(プラス外伝)の『銀河英雄伝説』をセットで買ったものです。
そうしたブームのなかで、ヤン・ウェンリーは一番人気のキャラクターでした。
組織の主流派から冷遇されがちだけど戦闘指揮は抜群にうまいヤン。
気さくで怠惰と民主主義をこよなく愛するヤン。
年下の美人副官に不器用なプロポーズをして、どうにか結婚するヤン。
窮地に立たされても取り乱さず、「気楽に戦ってほしい」と味方に言い放ち、負けたらどうするんですかと問われれば「頭をかいてごまかすさ」と言ってのけるヤン。
今にして思うと、こうした人物像は世界でたったひとつのものではなく、時代小説や青年漫画に似た登場人物が出てきてもおかしくないものだと思います。
けれどもヤン・ウェンリーは『銀河英雄伝説』というビッグセールスを記録した作品に登場したので、私も含め、たくさんの青少年の心を鷲掴みにしたのでした。
そうしたヤンの言動のなかで最初に私に刺さったのは「なるべく楽をして勝つ」という彼の基本方針でした。
「なるべく楽をして勝つ」。
なんと甘美な基本方針でしょう。
ヤン・ウェンリーはまさにそのように艦隊を指揮し、ヤンの艦隊が手ひどく消耗することはあまりありませんでした。
主人公のラインハルトとの直接対決を例外として、多くの戦いでは本当に楽に勝っているようにみえて、そのうえ彼は部下に「勝つための算段はつけた、気楽に戦ってほしい」などとアナウンスしているのです。
高校生時代の私には、この「なるべく楽をして勝つ」が麻薬のように効いてしまい、私はすっかり自分の座右の銘にしてしまいました。
そうだ、俺の人生は「なるべく楽をして勝つ」でいこう。進路や大学受験も「楽をして勝つ」がベストだろう。
そうして私は自分の偏差値で入れそうな大学を選び、二次試験もあまり苦労せずに突破して大学生になりました。
ぎりぎりまで勉強を頑張って、もっと偏差値の高い大学に挑むという考えは、この「楽をして勝つ」を前にかき消されてしまいました。
「なるべく楽をして勝つ」が通用しないじゃないか!
さて、「なるべく楽をして勝つ」で選んだ先は六年制なので、ほかの大学生よりも2年多く遊べるぞ、と私はほくそ笑んでいましたが、期待はたちまち裏切られてしまいました。
医学部は、暗記しなければならないことがたくさんあるのです。
「なるべく楽をして勝つ」を座右の銘にしていた私は、できるだけ暗記しないで済むこと・できるだけ机に向かわずに済ませることに最適化した勉強スタイルをとっていました。
大学受験も、(英語以外は)とりあえずそれで何とかなっていたのです。
しかし私の勉強スタイルは医学部ではまったく歯が立ちませんでした。
全身の骨や筋肉、神経や臓器の名前を丸暗記し、その機能や英語名まで覚えなければならないとなると、「楽をして勝つ」方法なんてありはしません。
私のヤン・ウェンリー信仰はこのとき揺らぎました──結局、圧倒的な暗記量や作業量に対抗するには、こちらも圧倒的な勉強量をもって迎え撃つしかない。
この時期の私の座右の銘は「戦いを決めるのは物量だ、それとその物量を支えるための補給だ」に変わりました。
よく学び、よく食べ、よくストレスを減らし、よく寝なければ乗り越えられないことが、この世には確かにあるのです。
「なるべく楽をして勝つ」でなく「楽に勝つ条件を整える」だったのでは
それからしばらくして医学部の無茶苦茶な勉強量にも慣れてきた頃、なんとなしに『銀河英雄伝説』を手に取る機会がありました。
ヤン・ウェンリーへの信仰が薄れた状態で再読してみると、たくさんの登場人物がそれぞれに魅力的な言葉を残していて、再読してもなお『銀河英雄伝説』は新鮮でした。
「忠誠心というものは、その価値を理解できる人物に対して捧げられるものでしょう。人を見る目のない主君に忠誠を尽くすなど、宝石を泥のなかへ放り込むようなもの。社会にとっての損失だとお考えになりませんか」
(第二巻、アントン・フェルナー)「善政の基本というやつは、人民を餓えさせないことだぞ、ユリアン。餓死してしまえば多少の政治的な自由など、何の意味もないからな。」
(第十巻、アレックス・キャゼルヌ)
このとき私は、ヤン・ウェンリーの言動ももう一度確かめたのですが、初めて読んだ高校時代とは印象が違っていて、ヤンが「楽をして勝っている」ようにはみえませんでした。
確かにヤンは部下に「楽をして勝つ」とか「気楽に戦おう」と言っているけれども、楽をしているというより、部下を安心させるためにそう言っているに過ぎないのではないか。
そしてヤンはライバルであるラインハルトのことをこう評していました。
ラインハルトは「勝ちやすきに勝つ」男だった。だからこそ、ヤンは、彼の偉大さを認めるのである。
「勝ちやすきに勝つ」とは、勝つための条件をととのえて、味方の損失をすくなくし、楽に勝つことをいう。人命が無限の資源であるなどと考えている愚劣な軍人や権力者だけが、ラインハルトを評価しないであろう。
再読してみると、ヤンは戦いを始める前に勝つ準備をできるだけ整えているのでした。
民主主義国家の一軍人に過ぎないヤンは、専制国家の主君であるラインハルトに比べて制約の多いなかで勝つための条件をととのえざるを得ないわけですが、それでもヤンは、勝つための条件をしっかりと構築、あるいは根回ししていました。
ヤン対ラインハルトという『銀河英雄伝説』の頂上決戦では、さすがのヤンも苦戦を強いられていましたが、それはヤンと同じくラインハルトも勝つための条件を整え、「なるべく楽をして勝つ」「勝ちやすきに勝つ」タイプの天才だったからでしょう。
そのラインハルトとの戦いですらヤンが負けなかったのは、勝つための条件を見極め、その条件を整える手腕が際立っているからでした。
「楽をして勝つ」ようにみえるためには、「楽に勝つ条件を整える」ための才能や努力が必要だと、このときの私は理解しました。
転じて、「楽に勝つためなら絶対に手を抜かない」
ヤン・ウェンリーと『銀河英雄伝説』の物語が完結して、もう三十年以上の歳月が流れました。
作品は古典となり、気が付けば、私はヤンより年上になっていました。
まぶしく見えたヤンの言葉も一部は色あせ、たとえば、信念や思想を語るヤンの言葉が今ではまっすぐ過ぎる、と感じることもあります。
それでもヤンから学び、自分の血肉になったものは今も色あせていなくて、私にとってのヤン・ウェンリーは「なるべく楽をして勝つ」、もとい「勝つための条件を整える」を司る守護聖人のような存在であり続けています。
現在の私は、そうしたヤンの言葉を自分向きにアレンジした「楽に勝つためなら絶対に手を抜かない」を座右の銘にしています。
逆説的かもしれませんが、仕事や人生には、楽に勝つために絶対に楽をしてはならない場面が少なくないように思えるのです。
ヤンみたく楽をして勝ちたい。大変結構。
でも、そのためにはヤンやラインハルトと同じく、布石や努力を惜しんではならず、楽に勝つ条件を見極める鑑識眼に磨きをかけなければならないはずです。
そんなヤン・ウェンリーと『銀河英雄伝説』ですが、2020年8月現在、Amazonプライムに加入している方は無料でアニメ版をみることができます。
このアニメ版も”銀河声優伝説”とも呼ばれる立派な古典アニメ作品なので、プライム会員の人にはおすすめです。
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【プロフィール】
著者:熊代亨
精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。
通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。
twitter:@twit_shirokuma
ブログ:『シロクマの屑籠』
Photo by Greg Rakozy