昔、ある会社の経営再建に携わった時の話だ。
工場の固定費負担など、削減不可能なキャッシュアウトが重くのしかかり、短期的な施策ではどうしようもないことが明白な厳しい経営状況の会社だった。
苦肉の策で、会社を分割し稼ぎ頭の事業を売却することで、まとまった再建資金を得ることを計画した。
M&Aの場合、会社の規模にも依るが、通常キックオフから現金化まで最短でも2~3ヶ月程度はかかる。
そしてこの際、数億円規模のディール(取引)であれば、売却希望の会社は仲介会社との間で「専任仲介」と呼ばれる契約を求められるのが通常だ。
ざっと、
・他の仲介会社には委託しません
・貴社が連れてきた1社とだけ、売却交渉をします
というような内容である。
勘の良い方はすぐにピンとくるだろうが、この条件は買い手側を圧倒的に有利にする。
ブラフを含め、買い手側が「それなら結構です」と言った瞬間に会社が破綻する、崖っぷちから交渉が始まるからだ。
そしてこの時も、予想通り全く話にならない足元を見た条件提示ばかりが続いた。
それでも粘り強く交渉を重ねたが、ついに3ヶ月ほど経ったある日、交渉打ち切りが通告された。
運転資金が尽きるまで半年ほどの時期から開始したM&Aだったが、会社の余命はもう残り3ヶ月までに迫っていた。
今から新しい買い手候補と交渉を始めたところで、おそらくもうキャッシュがもたないだろう。
「あかん、さすがにもう無理や・・・」
経営トップはすっかり気力を失い頭を抱えたが、状況は何も変わらない。
この時、私のポジションは会社のNo2だったが、同様に為すべきことを見いだせずにいた。
このままでは、間もなく会社は潰れる。
無策の経営トップと無能なNo.2のせいで。
まさに会社の存亡が掛かる緊急事態を前に、吐き気が止まらない厳しい時間が続いた。
危機に際してリーダーはどう決断したか
緊急事態を前に、リーダーとは何を為すべき存在なのだろうか。
偉い人の書籍やキレイにまとまったビジネス書は世の中に溢れているが、なかなか満足させてくれるものは多くない。
そんな中、文字通り国の存亡すら掛かった緊急事態、東日本大震災における各所リーダーたちの活躍は、組織づくりや指揮官のあり方に多くの示唆を与えてくれる。
そして、それら事例の中で、私が多くのことを考えさせて頂いた自衛隊の指揮官が2人いる。
お一人は、陸上自衛隊・第22普通科連隊長であった國友昭・1等陸佐(当時、以下敬称略)。
第22普通科連隊は宮城県の多賀城に所在しており、東日本大震災において文字通り献身的な活躍で人命救助にあたり、勇名を讃えられた精強な部隊である。
しかし同時に同部隊は、震災で隊員自身が津波に巻き込まれ1名が命を落とすなど、家族を含めて部隊そのものが被災者でもあった。
そのため発災直後、隊員の中には家族の安否をまず確かめたいと希望するものもいたそうだ。
当然のことだろう。
誰だって、あれ程の混乱の中で愛する家族のことが最初に気にならないものなど、いるはずがない。
しかし國友はこの時、この申し出を却下し、隷下部隊を直ちに各所に展開する。
そして自ら現場に立ち、震災当日の夜までに全部隊を投じて救助活動を開始した。
その後、「72時間の壁」と呼ばれる、発災から人命救助の可能性が高い3日間を全力で任務にあたるよう、部隊に対し厳しく命令する。
簡単に言っているが、この決断は非常に重いことだ。
この指揮官の決断で多くの被災者の命が救われたことは間違いないが、しかし捉えようによっては極めて非情なものでもある。
部隊の士気を維持できるのか、という組織運営の問題はもちろん、國友個人を恨む隊員もおそらくいただろう。
実際に、「72時間の壁」を経過した後、家族の安否確認に行くことを初めて許された隊員の中には、避難所で我が子の姿を見つけると人目もはばからず号泣するものもいたそうだ。
そんなことを全て飲み込み、國友は緊急事態において迷いなく、組織の存在目標に忠実で迅速な決断を下した。
下すことができた。
組織のリーダーであれば、この意思決定プロセスに興味を持たないものなどいないのではないだろうか。
そしてもう一人の指揮官が、航空自衛隊・第4航空団司令兼ねて松島基地司令であった、杉山政樹・空将補だ(当時、以下敬称略)。
震災当時、津波に呑み込まれ多くの戦闘機が壊れていく様子が繰り返しメディアに流れたことを、記憶している人は多いだろう。
杉山はまさにその松島基地の司令であり、1機120億円とも言われるF-2戦闘機などの保全を諦め、総員に対し直ちに避難することを命じた指揮官だ。
なお、航空自衛隊松島基地は宮城県の松島市に所在し、海岸からは1kmほどしか離れていない。
そのため大津波警報の発令はもはや、津波が「来るかこないか」ではない。
「間もなく来る」という緊急事態だ。
そしてこの時、杉山は15時30分、すなわち地震発生から40分余り後に松島基地は津波に呑み込まれると計算した。
この時、基地内には航空機だけでも総額3,000億円を軽く超える各種機材が所在していた。
これらを失えば、金銭的な損失もさることながら、戦力が失われることによる国防への甚大な影響が避けられないだろう。
必ず、守らなければならない。
しかし保全作業を命じれば、津波の到達とともに隊員たちの命が失われる事態が避けられない。
杉山は、この緊急事態においてどう決断したか。
津波の到達まで間もないことを知ると、直ちに全隊員に屋上への避難を命じた。
つまり、機材の損失を受け入れる決断をしたということだ。
そして私たちが震災直後に目にした、あの衝撃の光景が現出することになった。
この杉山の決断については、震災直後こそ極めて少数の「評論家」が、「1機でも多くの戦闘機を離陸させ、待避させるべきだった」と言う趣旨で、杉山の決断を批判した。
しかしながら全く大きな声にならなかったところを見ると、的はずれなものだったのだろう。
その後、多くの識者が杉山の決断を支持するなど、現在では英断であったという評価が固定しているように思われる。
果たして自分が同じ立場に立たされた時。
緊急事態において、これほどまでに厳しい決断を迅速に、果断に下すことができるだろうか。
これらの意思決定は、國友や杉山という指揮官個人もさることながら、自衛隊という組織が組織としてどのような意思決定を行っているのか、という意味でも興味が尽きない。
NO.2とは、無責任を強さに変える存在だ
話は冒頭に戻り、交渉相手に逃げられ、万事休すとなった時の話だ。
「残念でしたね。次の候補を紹介しますから、速やかにディールをまとめましょう。3ヶ月ももたずに会社が潰れちゃいますので、急ぐ必要がありますよね?」
半ばニヤつきながらそんなふうに話す仲介会社の担当者の言葉を、私は半ばイラつきながら押し返した。
「次は貴社の専任仲介を認めません。あなた方は失敗しました。」
「それなら、ウチは降りますよ?専任仲介は絶対に譲れません。」
「どうぞ、降りて頂いて結構です。ウチが売却する事業には客観的に魅力があります。事業売却はビッド(入札)で行います。」
「強気ですね。3ヶ月以内になんとかなると思ってるんですか?」
「どうでしょう。少なくとも私は1社、買い手候補先にアテをつけています。貴社だけに体を預ける理由はありません。」
ざっと、こんなギリギリの会話をしただろうか。
正直、撤退されたら間違いなく終わりだと思っていたが、最終的にこの仲介会社はしぶしぶ、専任仲介を外しビッドに参加した。
そして入札期限を3ヶ月後と定めディールを進めたが、最終的に3社がビッドに参加し、当初の予定の4倍ほどの条件で事業を売却することに成功した。
そして会社はなんとか、存続することができた。
この交渉の成功で私が痛感したことは、「No.2の無責任さと身軽さ」だった。
率直に言って、結果として会社が潰れてもNo.2 のダメージなどたかが知れている。
だからこそ「降りるなら好きにすれば良いのでは?」と、暴言に近い言葉も態度もカードにできた。
この言葉に相手が怯むのは、私が本気でそう言っているからだ。
なおかつ、最終的には「経営トップのお詫び」というワイルドカードまで残っている。
「ウチの取締役が無礼を働いて、申し訳ありませんでした」
と経営トップに言わせれば、大概のことは許される。
本当の意味で、耐え難いプレッシャーに耐え最終責任を取る覚悟で交渉を進めさせた経営トップこそが、あるべきリーダーの姿だ。
その後、私は同社を去ったが、今でも彼には心からの敬意を感じている。
そして、東日本大震災における國友と杉山の決断についてだ。
もちろん、指揮官ポストに就く高級幹部の人格、知見、素養は卓越し群を抜いたものであることは疑いようがない。
しかしその上で、自衛隊では、例えば國友の普通科連隊の場合、副連隊長をはじめ多くのスタッフが指揮官の意思決定をサポートする。
杉山の航空団の場合でも同様に、副司令以下、各級指揮官がトップをサポートする。
指揮官はそれら部下やスタッフの意見を聴取し、決断をして全責任を取ることが仕事だ。
人はどうしても、緊急事態で、なおかつ責任が重いほど、事態に対処するアイデアが生まれにくくなる。
だからこそ、「無責任なポジションで考える」職責の人間が必要なのではないだろうか。
言い換えれば、人は「責任を負う能力」と「責任に対処する能力」を両方担うほどには器用にはできていないということだ。
重要な決断を誤りにくい組織では、おそらくその役割分担がうまく機能していると言えるのではないだろうか。
もし、その両方を完璧にできると過信しているリーダーがいれば。
一度、信頼できるNO.2を育てることを真剣に考えても良いのではないだろうか。
そうすればきっと、よりリーダーとしての器を拡げることができるはずだ。
ティネクト(Books&Apps運営会社)提供オンラインラジオ第6回目のお知らせ。

<本音オンラインラジオ MASSYS’S BAR>
第6回 地方創生×事業再生
再生現場のリアルから見えた、“経営企画”の本質とは【ご視聴方法】
ティネクト本音オンラインラジオ会員登録ページよりご登録ください。ご登録後に視聴リンクをお送りいたします。
当日はzoomによる動画視聴もしくは音声のみでも楽しめる内容となっております。
【今回のトーク概要】
- 0. オープニング(5分)
自己紹介とテーマ提示:「地方創生 × 事業再生」=「実行できる経営企画」 - 1. 事業再生の現場から(20分)
保育事業再生のリアル/行政交渉/人材難/資金繰り/制度整備の具体例 - 2. 地方創生と事業再生(10分)
再生支援は地方創生の基礎。経営の“仕組み”の欠如が疲弊を生む - 3. 一般論としての「経営企画」とは(5分)
経営戦略・KPI設計・IRなど中小企業とのギャップを解説 - 4. 中小企業における経営企画の翻訳(10分)
「当たり前を実行可能な形に翻訳する」方法論 - 5. 経営企画の三原則(5分)
数字を見える化/仕組みで回す/翻訳して実行する - 6. まとめ(5分)
経営企画は中小企業の“未来をつくる技術”
【ゲスト】
鍵政 達也(かぎまさ たつや)氏
ExePro Partner代表 経営コンサルタント
兵庫県神戸市出身。慶應義塾大学経済学部卒業。3児の父。
高校三年生まで「理系」として過ごすも、自身の理系としての将来に魅力を感じなくなり、好きだった数学で受験が可能な経済学部に進学。大学生活では飲食業のアルバイトで「商売」の面白さに気付き調理師免許を取得するまでのめり込む。
卒業後、株式会社船井総合研究所にて中小企業の経営コンサルティング業務(メインクライアントは飲食業、保育サービス業など)に従事。日本全国への出張や上海子会社でのプロジェクトマネジメントなど1年で休みが数日という日々を過ごす。
株式会社日本総合研究所(三井住友FG)に転職し、スタートアップ支援、新規事業開発支援、業務改革支援、ビジネスデューデリジェンスなどの中堅~大企業向けコンサルティング業務に従事。
その後、事業承継・再生案件において保育所運営会社の代表取締役に就任し、事業再生を行う。賞与未払いの倒産寸前の状況から4年で売上2倍・黒字化を達成。
現在は、再建企業の取締役として経営企画業務を担当する傍ら、経営コンサルタント×経営者の経験を活かして、経営の「見える化」と「やるべきごとの言語化」と実行の伴走支援を行うコンサルタントとして活動している。
【パーソナリティ】
倉増 京平(くらまし きょうへい)
ティネクト株式会社 取締役 / 株式会社ライフ&ワーク 代表取締役 / 一般社団法人インディペンデント・プロデューサーズ・ギルド 代表理事
顧客企業のデジタル領域におけるマーケティングサポートを長く手掛ける。新たなビジネスモデルの創出と事業展開に注力し、コンテンツマーケティングの分野で深い知見と経験を積む。
コロナ以降、地方企業のマーケティング支援を数多く手掛け、デジタル・トランスフォーメーションを促進する役割を果たす。2023年以降、生成AIをマーケティングの現場で実践的に活用する機会を増やし、AIとマーケティングの融合による新たな価値創造に挑戦している。
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(2025/7/14更新)
【プロフィール】
大学卒業後、大和證券に勤務。中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。
最近、カラオケDAMの採点機能を騙す歌い方を開発しました。
何を歌っても95点以上を出せるのが自慢ですが、とても人には聴かせられません。
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Photo:Petras Gagilas