先日、僕が住んでいるマンションで、管理組合の総会が行われました。

総会、とはいっても、新型コロナウイルス感染予防への配慮もあり、基本的には事前に配布した議案に対する回答や委任状に基づいて、必要最低限の参加者で議決する……はずだったのです。

 

僕自身、何年か前に管理組合の役員の順番がまわってきたとき以来、ほとんど総会には参加していなかったのですが、今回、諸事情(というか、また順番がまわってきただけなのですけど)で参加してみて、現在のマンション事情を痛感することになりました。

 

僕が住んでいるマンションは、築十数年で、昨年、大規模修繕工事を終えたばかりです。

立地は良いほうだと思うし、修繕も終えて、まあ、しばらくは大丈夫だな、人口が減っていき、みんなが街の中心部に集まりつつある日本で郊外の一軒家に住むより、マンションのほうが便利だし、この先も安泰だろう、と思っていたのです。

 

ところが、マンションの管理組合総会で出された議題は、毎月の修繕費積み立ての増額、だったんですよ。

それもかなり大幅の。ついこのあいだ、修繕したばかりなのに!

そして、まだ新型コロナの経済的な影響も続いているのに!

 

侃々諤々の議論となり、結局、修繕費の値上げは当面見送る、ということにはなったのですが、30分と説明書きには書いてあったのに、3時間あまりも総会は続き

「こういう話はもっと大勢の住民の前でやるべきだ」という意見と

「さんざん呼び掛けても、どうせみんな来ない。これまでもそうだったのだから、もう今回の回答書と委任状の結果で決めてしまおう。そうしないといつまで経っても決まらない。早く積み立てを増やしたほうが、将来の負担を減らせるのだから」

という意見がぶつかり合っていたのです。

 

僕は「値上げは必要だとしても、とりあえず今は値上げには適切な時期ではないと思う派」だったのですが、値上げが嬉しい人なんていないし、どこかで強引にでも決めないとキリがない、というのもわかります。

自民党の偉い人たちって、こういうジレンマにいつも直面しているのかな、などと、あまりにも長時間の話し合いでボーっとしながら考えていました。

 

このマンションの管理組合って、まさに今の日本の民主主義の縮図なのではなかろうか。

 

マンションというのは、一戸建てよりも自分で管理する手間がかからない、と思っていたけれど、「自分だけのものじゃない」というのは、かえっていろんなことを複雑にしている面もありますね。

 

 

5年前に『2020年マンション大崩壊』(牧野知弘著/文春新書)という本を読んだんですよ。

いまがまさに、その2020年。

この本のなかで、紹介されていた話です。

マンション管理会社に勤める私の友人が語るには、「クレームを言ってくる住民は昔は子供のいない夫婦や独身者だったのですが、今は違います。子供は育って独立して社会人になったような高齢者が言ってくるのです。中にはお孫さんもいらっしゃるだろうに。身勝手に自分の権利ばかり主張する人が本当に多くなっています」

マンションという共同社会は建物内だけでなく、建物の周囲も含めて一定の社会のルールの中で営まれるはずのものです。ところが、最近特徴的なのは、コミュニケーション能力に欠けたクレーマーが高齢者に目立つようになっていることです。高齢になるといろいろなことが煩わしくなったり、社会からの疎外感、孤立感が高じてうつ病を発症する人も多いようです。

こうした高齢者が主体となった老朽化マンションでは、コミュニケーションがうまく機能しなくなっているのです。大規模修繕などを提言しても、経済的な事由はあるのでしょうが、とことん反対して議論に参加しない高齢者も多いと聞きます。

ましてや、空き住戸が増え、住民も少なくなったマンションでは問題はさらに深刻なものとなります。空き住戸となっている区分所有者との連絡もままならない中、マンションにとって本当に必要な修繕や建て替えといった議論がそもそも叶わない状況に陥っているのです。

このことが行き着く先は共同体の崩壊です。みんなが勝手に生きる、他人のことはどうでもいい。建替えなどの議題があがると、色をなして反対する高齢者がよく口にするセリフがあります。

「ワタシは死ぬまでここに住むんだ。ほっといてくれ!」

「わしの眼の黒いうちは勝手なマネはさせない。出て行ってくれ!」

テレビドラマにでも出てきそうなセリフですが、こうした発言者の多くは、もはや共同体の構成員として発言する資格はありません。

マンション住まいのメリットとして、一戸建てに比べると、隣人との人間関係に気を遣わなくてもすむ場合が多い、というのがあります。

 

しかし、マンションの場合は、より多くの人と利害を共有する関係になってしまうということもあるのです。

もし自分が独居・高齢で、そのマンションを誰かに相続する予定もないにもかかわらず、将来の建て替えに必要な費用を頭割りで請求されたら、「個人的には、拒否したほうが得をする」はずです。

それが「マンションという社会全体の利益」に反するとしても。

 

いまでも、「管理費を払ってくれない居住者」は、けっこういるようですし。

僕も数年前、持ち回りで、住んでいるマンションの役員をやったときに、「管理費延滞者への対策」が毎回議題に挙がっていたのです。

ああ、こんなことまで管理組合がやらなければならないのか……と驚きました。

 

しかも、マンションの修繕費というのは、老朽化していくにつれて、どんどん高くなっていきます。

十数年後の再修繕のための費用は、昨年の修繕費よりもずっと高くなる見込みで、それをまかなうためには、毎月の修繕費積み立ての大幅アップが必要……

 

建築の専門家ではない僕としては、そのお金のどこまでが妥当なのか、よくわからないんですよ。

中には「そんなにお金をかけて修繕して見た目にこだわらなくても、最低限、安全に住めれば、外観なんてどうでもいいよ」という人もいます。

 

資産として考えると、ボロボロのマンションだと評価が下がる、とも思うのですが、リタイアして年金生活で、ここを終の棲家にしようと考えている人にとっては、月の修繕積立金が1万円以上もアップする、というのは、まさに死活問題でしょう。

 

このマンションはまだ若い世代が多いし、ほぼ満室の状態なので、修繕費の原資を集める環境としては、まだ恵まれているほうだと思います。

でも、これから日本の人口はどんどん減り、マンション住民には高齢者の割合が高くなり、空き室も増えていくでしょう。

 

十数年とか、二十年以上も先のことを考えて、いま、積み立て額を増やすと言われても、そのときまで自分がここにいることを想像できる人と、そうでない人とでは温度差があるのは当然です。

だからといって、修繕費をその人の状況に応じて変える、というわけにもいきませんし。

空き部屋が増えれば増えるほど、マンション改修工事の際に、そこに住んでいる人の負担は増えていきます。

 

先日、Twitterで、「タワーマンションで子どもがエントランスの大きなガラス窓を割ってしまい、その子どもの親が100万円くらい弁償することになった」というのを見かけました。

都心のタワーマンションを買えるような人は、それなりにお金を持っているのだろうとは思うけれど、こんなアクシデントも起こりうるわけです。

 

そもそも、あれだけの大きさで、元の価格も高いタワーマンションの10年とか15年おきの修繕費って、すごい金額になるはず。

マンションを買うときに修繕費を意識する人はそんなにいないと思うのですが(売る側だって、あまり積極的にアピールするところではないでしょうし)、僕が住んでいるマンションのように、十数年後には修繕費を1.5倍とか2倍とかにしないと、次の修繕のときにお金が足りない、という状況は、ある程度普遍性があるはず。

 

もとが高価な都心のタワーマンションで、修繕費がそんなに上がったら、すごい金額になりそうです。

ましてや、人口減で空き部屋が増えてしまっていたら……

すでに、「費用がなくて、修繕ができなくなった老朽化マンション」が少なからず出てきているそうですし。

 

マンションを買ってしまえば、家賃を払わずに済むし、自分のものになる、というのは魅力的に感じますが、毎月の管理費や修繕費の積み立て、老朽化などを考えると、本当に良い選択なのかどうか、考え込まずにはいられません。

どんどん価値が下がり、コストも大きくなっていくものに、大金を投じるのは危険ではないのか。

 

いまから30年くらい前には、みんな郊外に「夢のマイホーム」を建てて、何時間もかけて都心に通勤していたのです。

ところが、人口減が進みつつある日本では、郊外は交通機関や買い物をする場所などのインフラがどんどん衰えてきて、子どもたちも住みたがらず、高齢者は郊外の持ち家を叩き売って(なかなか売れないみたいですが)駅に近い便利なマンションを終の棲家に選ぶようになってきています。

 

建物は100年もったとしても、人々の暮らし方のトレンドというのは、数十年単位で、けっこう大きく変わっているのです。

マンションというのは、まったく自分とは立場の違う、さまざまな人の都合や動向に左右されるというのも知っておくべきなのでしょう。

 

今回あらためて考えたのは、この築十数年のマンションというのは、まさに「日本」という国そのものだな、ということでした。

 

自分が逃げ切れればいい、という人もいれば、将来のためにお金を積み立てておこう、という人もいる。

必要なのはわかるけれど、今はそのお金がない、という人もいる。

やる気がある人たちが決めればいいよ、と丸投げしておきながら、決まったことには「自分は議論に参加していなかった」と反発する人もいるし、「ただ感情的に反対したいだけなんじゃないか」という人もいる。

みんな丸投げなんだから、「みんなのために」自分が決めるしかない、と突っ走る人もいる。

 

このままでは将来大変なことになる、というのはわかっていても、いまの家計を考えると、目先の負担増には耐えられない。

それもまた、現実なわけで。

 

もし、これからマンションを買おうという人は「今」だけじゃなくて、十数年後のこともしっかり考えて検討することをおすすめしておきます。

これが、地方都市のごく一般的な築十数年のマンションの現実だから。

 

 

 

 

 

【著者プロフィール】

著者:fujipon

読書感想ブログ『琥珀色の戯言』、瞑想・迷走しつづけている雑記『いつか電池がきれるまで』を書きつづけている、「人生の折り返し点を過ぎたことにようやく気づいてしまった」ネット中毒の40代内科医です。

ブログ:琥珀色の戯言 / いつか電池がきれるまで

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