先日ふと、以下の記事を読み返してみた。
「煩わしいものが視界に入らないようにすると快適」と書かれたものだ。
個人の幸福は「お金」ではなく「不快なやつは全員ブロック」で実現される。
現代社会では多様性が、なんでこんなにも尊ばれているのだろうか、と。
本当に「多様性」は我々に幸福をもたらすのだろうか、と。
残念ながら逆だ。
前述したポール ドーランは「幸福になりたいのなら、自分を幸せにしてくれるものに多くの注意を払え」と指摘する。
人間はひとつの事に注意を向けると、ほかのことに注意をむけられなくなる。
だから、ものすごく嫌いな人の事を考えて過ごせば、あなたはたぶん不快な気持ちになるだろう。
それと比較して、例えば子犬やら子猫がじゃれてる動画でもみていれば、あなたの意識は”カワイイ”に焦点が定まり、少なくともその瞬間はある種の多幸感が産まれるだろう。
そして、思い出したことがある。
もう20年近く前のこと。
新卒でコンサルティング会社に就職したとき、先輩から「日経新聞は読んどけ」と言われた。
彼からすれば「社会人の常識」を教えるという、親切心だったのだろう。
実際、その先輩だけではなく、ビジネスパーソンとして、日経くらい読んでおけ、新人にそういうアドバイスをする人は当時、結構多かった。
右も左もわからない私は、「先輩が言うならば」と、日経新聞を購読することにした。
ところが。
正直に言おう。私にとって日経新聞を読むのは結構な苦痛だった。
理由は簡単。
「私に関係のない話」「経営者の自慢」「煩わしい話」が多すぎるから。
まあ、要は読むと疲れるし、めんどい。
購読して2~3か月は無理して読んでいた新聞も、徐々に家に届くだけで読まなくなり、ポストから古紙置き場に直行、ということも珍しくなくなっていった。
唯一、日経を毎日読んでいたのは、株をやっていた一時期だけだったが、株を売却した瞬間に、まったく興味がわかなくなった。
では、私は日経を読まなくて困ったことがあったのか。
もう、これは「まったくなかった」と言い切れる。
確かに、ビジネス上の話し相手から「今日の日経で見ました?」という話を持ち掛けられることはあった。
しかし、そんなときには「あ、まだ見てません」といい、あとから社内に転がっている日経新聞をチェックすればいいだけだ。
あるいは、連載の一つに「大企業の経営者が自分の経歴を語るコラム」があり、よく社内で話題になっていた。
が、私にとっては、そうした個人の経験談は再現性も法則もなく、一つの語り草でしかない。
要は伝記なので、楽しめなければ読まなくていい。
とはいえ、最初は「話題についていくこと」が重要なのかな、と思っていた。
だから無理しても読んだ。
が、ある時、「昨日見たテレビの話をしている小学生と同じじゃないか?」と気づいてから、そういった話は全部「関知せず」で通すことにした。
しかも、そうしても仕事で特に困ることは何もなかった。
*
このような話をすると
「いや、でもビジネスパーソンとして、日経に載っていることぐらい、知っておかなきゃならないんじゃないですか?」
と言われることもある。
もちろん、否定はしない。
そういう考え方の人がいたって良い。
でも、私にはそういう情報の摂取方法が「合わない」と思った。
知らない誰かが決めた、「知っておかなければならない情報」に、貴重な時間を投入する気には全くなれないし、付和雷同も嫌だった。
もちろん世間に興味がないわけではない。
webでニュースを見るし、RSSで購読しているブログは今でも400以上ある。
本も読む。
だが「自分にとって煩わしいと感じる情報」にわざわざアクセスすることに、あまり価値は感じない。
欲しくもない情報を、わざわざ受け取るのは人生の無駄づかい
誤解をしないでいただきたいのだが、この記事は何も「日経は役に立たない」と言いたいのではない。
そこは強調しておく。
読みたい人は読めばいい。
むしろ、日経を面白いと感じるなら、ぜひとも読み漁るべきだ。
そうではなく、言いたいのは「欲しくもない情報を、周りに合わせるために、わざわざ無理して摂取することは不合理」と言いたいだけだ。
だから、今は「内容を取捨選択できる情報源」だけを意識的に使うようにしている。
雑多な情報を垂れ流してくるメディアは使わない。
そうすると、利用メディアは大体、ブログとSNS、そして書籍になる。
スマートフォンのアプリ通知は切る。
私が情報を欲しくないときに通知されるのが煩わしいからだ。
Youtubeはよく見るが、「登録チャンネル」からの通知は同様にすべて、切る。
SNSは「ミュート」と「ブロック」を積極活用する。
ここまでやっても完全に「煩わしい情報」をシャットアウトできるわけではない。
それでもかなり、快適さは増す。
そういう意味では、私は冒頭のコラムにある通り、「不快だと感じたら全部ブロック」も、まあアリだなと思う。
「知りたくもないことは、知らないままでいる権利」
こういう話に「見識が狭くなる」「思い込みが強くなる」「エコーチャンバー云々」という方もいよう。
それは、そうだ。否定しない。
ただ、個人的には、万事がメリットとデメリットの比較だと思っている。
そして今のところ、無造作にスマートフォンを眺めることによって、「ほしくない情報を受け取るデメリット」が、「見識が広がるメリット」を上回っている。
そもそも、人間には「知る権利」はあるが、「知る義務」はない。
むしろ、「知りたくもないことは、知らないままでいる権利」があってもいいはずだ。
そして何より「知らなければならないこと」なんて存在するのだろうか、と思ってしまう。
人生の時間は有限だから、次々入ってくる無駄な情報を、積極的に切り捨てていく技術のほうが、むしろ重要だ。
フィルタをやや強めるくらいがちょうどよいのではないかと思う。
*
SNSには毎日のように、「不快な思いをしました」とか、「こんなことをするなんて信じられない」といったコメントが流れてくる。
でも、実はその大半は、自分には関係がない。
また、こんな状況下で、相互に監視しあう人々や、人のいがみ合う姿やを見ても、うんざりするだけだ。
年末年始には思い切って「SNS断ち、スマホ断ち」をしたが、悪くなかった。
こんな時期だ。
毎日の生活に、見知らぬ誰かの情報を入れるのは、ほどほどにして、自分のことに集中する。
役に立って、面白くて、愉快なものしか見ない。
多様性なんて気にしない。
そうすれば、いくぶん、快適になること請け合いだ。
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【著者プロフィール】
安達裕哉
元Deloitteコンサルタント/現ビジネスメディアBooks&Apps管理人/オウンドメディア支援のティネクト創業者/ 能力、企業、組織、マーケティング、マネジメント、生産性、知識労働、格差について。
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