いまけっこう話題になっている『スマホ脳』(アンデシュ・ハンセン (著), 久山葉子 (翻訳)/新潮新書)という新書を読みました。
このタイトルを見て、なんだか悪い予感がしたんですよね。
ああ、これはあの『ゲーム脳』の悪夢の再来ではないか、と。
脳科学者の森昭雄さんが2002年7月に出版した『ゲーム脳の恐怖(NHK出版)』では、ゲームを長時間プレイした子どもたちの脳の前頭前野の機能が低下し、物忘れがひどくなったり、突然キレやすくなったりする、という「テレビゲームの悪影響」が語られました。
現在では『ゲーム脳』の内容については、その研究方法や解釈の仕方が疑問視されており、「ゲームが子どもをキレやすくしたり、凶悪犯罪を助長している」ということはない、と考えられています。
子どもの凶悪犯罪は、統計上も減ってきていますし。
しかしながら、「ゲーム脳」は、学説として否定されたあとも、一部のゲーム嫌いの大人たちには影響を及ぼし続けているのです。
で、この『スマホ脳』なんですよ。
著者は、スウェーデンの精神科医、アンデシュ・ハンセンさんで、前作『一流の頭脳』は人口1000万人のスウェーデンで60万部が売れ、その後世界的ベストセラーになったそうです。
著者は、この本の「まえがき」で、こう述べています。
今あなたが手にしている本は人間の脳はデジタル社会に適応していないという内容だ。昨今のコロナ危機で、スマホが外界とのライフラインになった今、読むべき本なのだろうか。
そんな今だからこそ読むべきだ、と私は思う。まずは最初から説明させてほしい。
現在、大人は1日に4時間をスマホに費やしている。10代の若者なら4〜5時間。この10年に起きた行動様式の変化は、人類史上最速のものだ。それにはどんな影響があるのだろうか。
本書『スマホ脳』では、その点を突き詰めたかった。そして私は科学の力に頼ろうと決めた。これまでの研究で、デジタル社会についてどんなことがわかっているのだろうか。私たちの心の健康にどんな影響があるのか。睡眠や集中力への影響は? 子供や若者には? 学校教育は? 憶測や主観的な意見ではなくて、ちゃんと研究結果が出ている点はあるのだろうか?
まず気づいたのは、人間はスマホの使用時間云々よりもはるかに大きな問題に直面しているということだ。私は精神科医なので、精神的不調で受診する人がますます増えていることには気づいていた。
スウェーデンではなんと、大人の9人に1人以上が抗うつ剤を服用しているし、同様の統計が多くの国で見られる。この増加は、ここ数十年で私たちが裕福になり、GDPが上昇するにつれて起きた。良い暮らしができるようになったのにむしろ不健康になるなんて、いったいどういうわけだろうか。
著者は、人類は約20万年前にその起源が東アフリカに出現して以来、ほとんどの時間を狩猟採集生活で過ごし、生涯に出会う人間の数は200人、多くて1000人程度だった、と述べています。
日常でも常に周囲に危険がないか気を配る必要があり、何かひとつのことに集中するのは危険が高かった、とも。
ところが、この100年、とくに、インターネット、スマホの出現以降は、人間の脳がそんなに進化したわけではない(であろう)にもかかわらず、出会う人の数や、脳が処理しなければならない情報の量は激増し、注意が散漫にならずに「集中できる力」が重視されるようになりました。
その環境・状況の変化に人間はついていけずに、「心の病」が増えていっているのではないか、ということなのです。
こんな話も紹介されています。
IT企業のトップは、自分たちが開発した製品に複雑な感情を抱いている。その最もたるものが、アップル社の創業者スティーブ・ジョブズのエピソードだ。ジョブズは、2010年初頭にサンフランシスコで開かれた製品発表会でiPadを初めて紹介し、聴衆を魅了した。「インターネットへのアクセスという特別な可能性をもたらす、驚くべき、比類なき存在」と、iPadに最大級の賛辞を浴びせた。
ただし、自分の子供の使用には慎重になっている──ことまでは言わなかった。あまりに依存性が高いことには気づいていたのに。
ニューヨーク・タイムズ紙の記者が、あるインタビューでジョブズにこう尋ねている。「自宅の壁は、スクリーンやiPadで埋め尽くされているんでしょう? ディナーに訪れたゲストには、お菓子の代わりに、iPadを配るんですか?」
それに対するジョブズの答えは「iPadはそばに置くことすらしない」、そしてスクリーンタイムを厳しく制限していると話した。仰天した記者は、ジョブズをローテクな親だと決めつけた。
テクノロジーが私たちにどんな影響を与えるのか、スティーブ・ジョブズほど的確に見抜いていた人は少ない。たった10年の間に、ジョブズはいくつもの製品を市場に投入し、私たちが映画や音楽、新聞記事を消費する方法を変貌させた。
コミュニケーションの手段については言うまでもない。それなのに自分の子供の使用には慎重になっていたという事実は、研究結果や新聞のコラムよりも多くを語っている。
スウェーデンでは2〜3歳の子供のうち、3人に1人が毎日タブレットを使っている。まだろくに喋ることもできない年齢の子供がだ。
一方で、スティーブ・ジョブズの10代の子供は、iPadを使ってよい時間を厳しく制限されていた。ジョブズは皆の先を行っていたのだ。テクノロジーの開発だけでなく、それが私たちに与える影響においても。
絶対的な影響力を持つIT企業のトップたち。その中でスティーブ・ジョブズが極端な例だったわけではない。ビル・ゲイツは子供が14歳になるまでスマホは持たせなかったと話す。
現在、スウェーデンの11歳児の98%が自分のスマホを持っている。ビル・ゲイツの子供たちは、スマホを持たない2%に属していたわけだ。それは確実に、ゲイツ家に金銭的余裕がなかったせいではない。
だからといって、著者は、「スマートフォンなんて不要だ、もうやめちまえ!」と叫んでいるわけではないのです。
「スマホが欠かせない世の中」になっているのを認めたうえで、付き合い方を考えるべきだ、ということなのです。
コロナ禍でのコミュニケーションの手段として、スマホは大いに役立っていますし、これだけ世の中に普及してしまうと、「スマホを持っていること」が大前提になってしまっていて、スマホなしでは友達同士のコミュニケーションから疎外されやすく、アルバイトや仕事を探すのも難しいのです。
むしろ、「スマホ無しで生活できる」のは、「お金持ちで生活に余裕がある人の特権」ですらあるのかもしれません。
僕は小学校高学年のとき、1980年代のはじめにマイコン(パソコン)に出会い、ずっと親しんできたおかげで、今のIT社会にスムースに適応できたと自分では思っています。
しかしながら、最初は周りの人たちよりも圧倒的に速かったブラインドタッチは、あっという間に若い人たちに追いつかれてしまいました。
スマホをすごいスピードでフリック入力する若者たちをみると、もうお手上げです。
「コンピュータに早く接していたこと」のアドバンテージは、残念なくらいに小さかった。
「趣味」として、コンピュータの進化を見守ることができる時代を生きられたのは、幸せではありますが。
「今の世の中、小さいうちからコンピュータやスマホに触っておくのは、メリットも大きいはず」だと思う一方で、長い目でみれば、子供の頃には、その時期に合った遊びや、さまざまな体験を積み重ねておいたほうが、プラスになるのでは、とも感じるのです。
大学生500人の記憶力と集中力を調査すると、スマホを教室の外に置いた学生の方が、サイレントモードにしてポケットにしまった学生よりもよい結果が出た。学生自身はスマホの存在に影響を受けているとは思ってもいないのに、結果が事実を物語っている。ポケットに入っているだけで集中力が阻害されるのだ。
同じ現象が他の複数の実験にも見られた。そのひとつに、800人にコンピューター上で集中力を要する問題をやらせるというのがあった。結果、スマホを別室に置いてきた被験者は、サイレントモードにしたスマホをポケットに入れていた被験者よりも成績がよかった。
実験報告書のタイトルが実験の結論を物語っている。「脳は弱る──スマートフォンの存在がわずかにでもあれば、認知能力の容量が減る」
モニター上に隠された文字を素早くいくつも見つけ出す、そんな集中力を要する課題をさせる実験もあった。その実験を行った日本の研究者も、同じような結論を出している。被験者の半分は、自分のではないスマホをモニターの横に置き、触ってはいけないことになっていた。
残りの半分は、デスクの上に小さなノートを置いた。その結果は? ノートを与えられた被験者の方が課題をよく解けていた。そこにあるというだけでスマホが集中力を奪ったようだ
それでは、若者の精神状態が悪化した原因はスマホにあるということだろうか。必ずしもそうとは限らない。もともと孤独で不安な若者がスクリーンに長い時間を費やしているのかもしれないのだし。
ここでまた、『ニワトリと卵』の永遠の問いに戻ってしまう。その答えをはっきりさせるため、スマホの利用がうつと不安のリスクを高めるかどうかを長期にわたって調べた研究者たちがいた。4000人の若年層にアンケートに答えてもらい、さらに1年後にもう一度アンケートを取った。その回答からは1回目のアンケートでスマホをよく使うと答えた人ほど、その後の1年間で睡眠障害やうつ、ストレスを感じる率が高いことが読み取れた。
つまり、スマホがうつや睡眠障害の原因となることを示唆している。幸せではなかったり、ストレスにさらされていたり、よく眠れなかったりする人がスマホを多く使うというわけではなく。
この調査では、子供よりもティーンエイジャーのほうが、スマホやタブレット端末の使用と心の不調が結びついていることがわかった。
考えられる説明としては、子供はゲームで遊んだり動画を観たりするが、ティーンエイジャーはSNSを使うからだろう。ここまで見てきたとおり、SNSは私たちの精神状態に影響を及ぼす。常に他人と比較することがストレスになり、心に不調をきたすのだ。
たしかに、スマホは依存性が強すぎる。
大人の場合はある程度自己責任だとしても、子供の使用には慎重になるべきなのでしょう。
スマホには、世の中を良い方向に変えてきた面もあるのです。
多くの人が、自分の意見を社会に表明できるようになり、「スマホで拡散される可能性」が、悪事や不正の抑止力にもなっています。
それは「監視社会」と表裏一体のものだとしても。
スマホは、人間の「地道にコツコツやる能力」を低下させてもいるのです。
著者は「最近の若者は、習得するのに時間がかかることを敬遠するのになった。クラシック音楽を学ぶ子供が減った」という話も紹介しています。
僕自身がヘビーネットユーザーなので、「アップロードしたことが、すぐにPV(ページビュー)数や『いいね』に反映されるネットのスピード感」の魅力は身に染みています。
何ヵ月、ときには何年もかけてデータを集めて論文を書く、という仕事を、以前より「だるいな……」と敬遠してしまうのです。
でも、世の中を本当に変えられるような仕事には、それなりの準備や手間、検証が必要なんですよね。
正直、この本に書かれていることも、これからデジタルネイティブ世代の割合が増えていくなかで、間違っていたり、杞憂だったりすることが証明される可能性はあると思うのです。
『ゲーム脳』とタイトルは似ているけれど、読んでみると、なんだか当たり前のことばかり書かれているな、という感じなんですよ。
だからこそ、この本には、読んでおく価値があるような気がします。
スマホなしでは、生きていけない世の中、だからこそ。
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【著者プロフィール】
著者:fujipon
読書感想ブログ『琥珀色の戯言』、瞑想・迷走しつづけている雑記『いつか電池がきれるまで』を書きつづけている、「人生の折り返し点を過ぎたことにようやく気づいてしまった」ネット中毒の40代内科医です。
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