「できるかぎり家にいろ」という非常事態が1年以上も続き、そんな日常にも慣れつつある今日このごろ。
しかしいくらおうちが大好きなわたしでも、これほどまでの長期間「出かけられない」というのは、なかなかのストレスだ。
そんななか、なぜ「日本」に『自粛警察』が生まれたのか、自分なりに答えが出たので、今日はそれを書いていきたい。
USJの新エリアは、マスクをつけた人で溢れかえっていた
わたしは人口が1万人以下の村に住んでいて、この1年、村から一歩も出ていない。
外出といえば、徒歩圏内のスーパーと犬の散歩くらいなものだ(クルマないし)。
髪の毛は伸び放題、毎年恒例の日本帰国もできていない。
週末の楽しみだった外食もやめ、たまにデリバリーで頼むくらいになった(唯一の楽しみである)。
「これほど本格的にステイホームしてる家もなかなかないよね〜」
と夫と笑いあっているが、本当にそう思う。
こんな状況で、3月8日、エヴァの新作映画が公開された。
まわりには見に行った人も多く、「このご時世でも映画館に行く人って結構いるんだなぁ」とちょっとびっくり。
わたしの頭のなかには、「映画館に行く」なんて選択肢、まったくなかったから。
さらに3月18日、USJの新エリア「スーパー・ニンテンドー・ワールド」がオープンしたとのこと。
Twitterのタイムラインで、「新エリアすごーい!」というUSJ内部を撮影した動画を見かけた。
……え、こんなに人いるの?
マリオのフィールドのようなドキドキワクワクする空間に、マスクをつけた人がたくさん歩いているのだ。
いやまぁ、個人の自由だし、経済も大切だし、ルールの範囲内なのであれば責めるようなことではないんだけど。
単純に、すごく驚いた。
だってわたし、1年間村から出てないから。
そして同時に、
「みんなふつうにお出かけしてるの? わたしめっちゃ自粛してるんだけど……」
とモヤモヤしてしまったのも、本当だ。
「わたしは我慢してるのに、なんであなたは楽しそうにしてるの?」という不公平感
重ねて書くけど、ルールを守ったうえでの外出に関して、どうこう言うつもりはない。
仕事で毎日出勤している人とわたしでは、外出のハードルもちがうだろう。
もしかして、ずっとステイホームしていて久しぶりの外出だったのかもしれない。
そもそもわたしはドイツに住んでいるから、状況もちがう。
だから、エヴァを見たりUSJに行ったりした人を責めるつもりはないんだ。本当に。
でも、「我慢せずにお出かけしている人がたくさんいる」と思うと、モヤモヤする気持ちがあるのも正直なところで。
「んじゃ、自分も映画を見に行けば?」というのは正論すぎるのだが、そうもいかない。
1年間ずっと家にいたのに、ちょっとした誘惑に負けて不要不急の外出をし、なにかあったら……いままでの我慢が水の泡になってしまう!
ガチステイホーム組は、引くに引けないのだ。
いろんなものを我慢したうえでのステイホームだから、いまさら「これくらいならいっか」とはなれないのである。
引っ込みがつかないからこそ、より一層、「なんでわたしは我慢してるのにあなたは楽しそうにしてるの?」というモヤモヤが生まれるのだ。
そこで、ふと思った。
「自粛警察って、『行き過ぎた正義感』から生まれるんじゃなくて、根底には『あなたばっかりズルイ』という嫉妬心があるんじゃないか?」と。
「自分は正しい」という正義の盾と「抜け駆けは許さない」という嫉妬の剣
『自粛警察』の大暴れっぷりは、時折ニュースになるほどである。
営業していた飲食店に営業中止を求める張り紙をしたり、県外ナンバーの車を煽ったり、公園で遊ぶ子どもに嫌がらせしたり……。
そういった人たちは、「行き過ぎた正義感」とセットで語られることが多い。
自分は正しいことをしていると信じているから、他人に対して攻撃的になれる……という論調だ。
でも本当に、純粋な正義感で、「県外ナンバーのクルマはNG! 飲食店の営業なんてもってのほか!」と憤っているのだろうか。
それより、「遠くまでドライブしててずるい! 自分は飲み会を控えてるのに酒を飲むなんてムカつく!」と腹を立てている……と考えた方が、納得しやすい。
自分はちゃんとステイホームしてるんだぞ。
悠々自適に遊んでいる人が許されたら、我慢してる自分がバカみたいじゃないか。
ユルセナイユルセナイユルセナイ……。
とまぁ、こういう気持ちで「自粛警察」が生まれるのであれば、賛同はできないにせよ理解はできる。
「自分は正しいことをしている」という正義の盾を持って、「抜け駆けは許さない」という嫉妬の剣を振るうのなら、そりゃ過激で執拗な攻撃になりますよね、という話だ(繰り返すが、共感はしても賛同はしない)。
ルールで行動規制すれば、嫉妬は生まれない
そしてこの『自粛警察』は、「日本特有のもの」として語られがちだ。
まぁ実際のところどうなのかはわからないけど、とりあえずドイツのわたしの身近な範囲では、似たような話は聞いたことがない(そういったニュースがあったらぜひ教えてください)。
では、海外には「自粛しないのはズルい!許せない!」という気持ちは存在しないのだろうか。
いやいや、同じ人間なんだから、それはさすがに考えづらい。
じゃあなぜ、『自粛警察』は「日本特有のもの」として語られるのか。
それは、日本はあくまで『自粛』で対応しようとしたからだと思う。
ドイツはコロナ禍の早い段階から、さまざまなルールを設けることで人々の統制を取ろうとした。
「呼びかけ」ではなく、「違反すると罰を受けるルール」で感染防止を試みたのだ。
マスク着用義務の範囲が定められ、スポーツやイベントなどにも人数制限がかかり、友人や親戚の私的な集まりでも、その地域の過去7日間の感染者数に応じて最大人数が決められる。
博物館や美容院、劇場、飲食店など、業態によって細かなルールが定められている。
ルールは状況に応じて適宜変更されていき、そのたびに厳守を求められた。
ルールを破れば問答無用でその人が悪いし、ルールがなければ個人の自由。それだけの話。
「みんな同じルールのもとで暮らしている」という前提がある社会では、「あいつだけ抜け駆けしてズルい」という嫉妬は生まれづらい。
だから、自粛警察がいないのだ。
まぁ、かわりに「個人の自由と権利を侵害するな」というデモが起こってるんだけどね。
不公平な『自粛』だからこそ、公平を求める『自粛警察』が生まれた
『自粛警察』は日本人の国民性と紐づけられ、日本特有の現象だと語られがちだ。
でもそもそも、『自粛』で非常事態を乗り切ろうとした国自体が相当レアなわけで。
日本がとりわけ相互監視社会だとか、日本人は正義感が暴走しやすいとか、そういうわけではないんじゃないかなぁ。
いやまぁ、そういう側面もあるかもしれないけど、ルールではなく『自粛』で規制しようとした日本で起こったこと、というのは、見過ごせない要因だ。
空気を読んでまわりと同じ行動をする人が多い日本だからこそ、『自粛』が成り立った。
でも個人の判断に委ねるぶん、ルール化して取り締まるよりも「不公平感」が生まれやすい。
その「不公平」を「公平」にしようという心理が働き、足並みを揃えない人を排除しようとする『自粛警察』が生まれた。
そう考えれば、しっくりくる。
要は、「行き過ぎた正義感」ではなく、「抜けがけ禁止」の心理が、自粛警察をつくったのだ。
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【著者プロフィール】
名前:雨宮紫苑
91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&
ハロプロとアニメが好きだけど、
著書:『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(新潮新書)
ブログ:『雨宮の迷走ニュース』
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