とても素晴らしい映画をみた。映画大好きポンポさんだ。

恐らく本年度の映画No.1だろう。

可愛い絵柄のアニメーション映画だけど、テーマはゴリッゴリに本格である。

まだみてない人は是非とも近くの映画館に出かけて見るべきだ。

 

この作品の特徴を一言でいえば”人が人と働く意味”である。

もっと言えば「なんで他人と働くの?面倒事がこんなにも多いのに」だ。

 

現代日本は極めて豊かであり、それこそ生きていくだけであれば一人であろうが何も問題はない。

というか一人の方が明らかに気楽だが、それにも関わらず私達の多くは一人でいる事をあまり良しとは思えない。

 

この相反する2つの感情の落とし所は極めて見極めが難しい。

この映画はそのヒントとなるようなものが詰まっており、そこにこの映画の価値がある。

 

以下、僕がこの映画をみて感じた事を色々と書いていく。

 

成長とは自分だけではなく世代を通じて行われる作業

仕事というのはなんらかの共通の目的に向かって、様々な人が手と手を取り合って、作業をするものだ。

その結果として、自分ひとりでは決してできない成果をあげることができる。

 

これは仕事のわかりやすい産物だが、それよりももっと大きなモノを仕事は生み出している。

それが人と人の系譜である。

集団としての成長といってもいいかもしれない。

 

よく仕事のやりがいの一つとして成長をあげる人がいるけれど、成長というのは実のところ自分ひとりの中だけ起きるものではない。

むしろ本質的には集団の中でより発生しやすいものだ。

 

私達は有限の生を持つ生き物であり、親から子、そして孫へと命が引き続かれていく。

この生命のリレーでもって、命は良くも悪くも様々な様相を示し続いていく。

 

ダメ親から優秀な子が生まれたり。

その優秀な子が成長し、親の本当の凄さを改めて実感したりなどなど…。

 

人間というものにはドラマがある。

個人だけならこんな煌めくような展開にはそうはならないだろうという展開を、集団は作る。

 

この世代交代のサイクルは家族関係に限ったものではない。

仕事だって起こす。私達は好む好まざるとに関わらず、誰かに仕事を伝授され、そしてその仕事を誰かに伝授し、技能のリレーをつないでいく。

 

こうして私達は人と働くという事を通じて、後の世にも繋がる大きな何かの一部へと組み込み・組み込まれていく。

後述するが、この大きな何かというものに自分が入り込めたかどうかという自意識が人生に対する満足度に直結する。

 

意図して描かれる権威の意味

個人的にこの映画で最も面白いなと思った部分にキッチリと権威の御来光を出している事がある。

これはとても意図的な演出で、この意義を読めると作品への理解がグッと深まる。

 

まず映画の舞台がハリウッド(ニャリウッド)だ。

単に面白い映画をとるだけなら、それこそ渋谷の雑居ビルが舞台でもいいわけだが、この作品は”あえて”ハリウッドを舞台としている。

 

何故か?

それは権威が映画業界にとっては何よりも大切だという事をキチッと示したいからである。

 

劇中でポンポさんはハリウッドの売れっ子プロデューサーとして伝説級の人物である事が明示されており、その師である祖父もまた伝説級の人物とされている。

そこに未だ無名である主人公が先人に導かれ、アカデミー賞(ニャカデミー賞)を獲得し、一角の人物になるまでがこの映画の筋書きなのだけど、この権威が人から人へと続いていく事に集団で成し遂げる”仕事”の本質のようなものが詰まっている。

 

どういう事か?

それは権威こそがメリトクラシー社会である現代における王の冠のようなものとして作用しているという事である。

 

権威とは王の冠である

この映画の主人公である青年ジーンはポンポさんに”死んだ目を持っているから”という理由で選ばれる。

この選定自体はポンポさんの勘で行われたものだが、この時点では青年ジーンはポンポさんに選ばれた後継者候補の一人でしかなく、周りからは正当な後継者として実は認められていない。

 

ではどうやったら正当たる後継者となれるのか。

それがアカデミー賞を受賞する事である。

あの儀式を通じて、映画のプロフェッショナル達は連綿なく続く伝統の系譜を”血統”とは異なる能力主義という純血でもって綴り続けているのだ。

 

消費者からみたら正直、何の意味があるのかさっぱりわからない映画のアカデミー賞だけど、あれはメリトクラシー社会における王位継承権のようなものだ。

この映画は全編を通じて王族貴族における戴冠式のようなものが、映画プロデューサーという仕事においてはどのように行われるのかを描いたものといえる。

 

映画の最後で青年ジーンがアカデミー賞を受賞するのは、彼が単に「いい映画を作った」という演出ではない。

あれはポンポさんから青年ジーンへと、権威の引き継ぎがキッチリと執り行われたという、戴冠式の場面なのである。

 

権威は引き継いでこそ、真の価値がある

劇中でポンポさんは祖父から偉大なる遺産を全て引き継ぎ、その上で業績を積み重ね、業界で一角の人物となった事が示されている。

そして彼女はその信用の価値を決して己のつまらない欲なんかで毀損させずに、高い位置で保ち続け、それを躊躇なく青年ジーンへと全力で引き継がせている。

 

なぜか?

それは権威とはキチンと引き継がなければその本当の価値を失ってしまうものだからだ。

 

大きな仕事を成し遂げる事を通じて、人は象徴の一部となる事ができる。

ポンポさんにおけるその象徴はハリウッドでありアカデミー賞だが、こういった巨大な象徴の一部となるという幻想を持つ事で、人はアイデンティティという一つの帰属意識を獲得し、不死なる存在を己の内に宿す事ができるようになる。

 

人間は命に限りがある生き物だが、この世には自分よりも長生きをするものがたくさんある。

その代表的なものが伝統や系譜といったもので、そういう大きなものの一部に自分の一部を組み込ませる事に人は強い執着心を示す。

 

ある程度年齢を重ねた人が、日本人である事に誇りを持つようになったり、所属する組織や出身大学といったものに強い愛着を示す姿をみたことがある人も多いだろう。

 

これは「いつか訪れる死への恐怖」を和らげる為の心の一つの防御機構だという事がわかっている。

人は自分よりも大きなものに包まれるという認識を通じて、死の恐怖から逃避するのである。

<参考 なぜ人は困った考えや行動にとらわれるのか?: 存在脅威管理理論から読み解く人間と社会>

 

人間は必ず死ぬ。そして生物である限り、その死の恐怖は必ず刻々と迫ってくる。

その差し迫ってくる恐怖に対抗する為に私達ができる事は、個人から概念やシステム、象徴といったものに自己を投影する事だ。

 

そしてその投影する概念やシステム、象徴といったものに新しい命を与えられるかどうかは、自分の後継者に貰ったもの以上のモノをキチンと与えられるかどうかで決まる。

だから”王位は”キッチリと後継者に引き継がなければいけないのである。

 

王の冠がしっかりと後継者へと引き継がれる事で、自分だけでは決して達成し得ない”不死”が達成される。

この”不死化”こそが人が人に仕事を教える本当のインセンティブで、教育というのは教える事を通じて教えられる側が実は救われる作業なのである。

 

そういう観点でみると、ポンポさんは青年ジーンを何も優しさや善意でもって導いたというわけではない事も理解ができる。

キッチリと自分の後を引き継ぐ人間に、アカデミー賞という公の場で戴冠式を執り行えられるぐらいには自分の弟子を育ておえられたと確信できたからこそ、彼女はようやく映画を席を立たずにエンドロールまで見続けられる位には”肩の荷が下りた”のだ。

 

成長には2つの段階がある

2021年は成長をテーマにした作品が評判となった年だったように思う。

 

ジャンププラスにて掲載された藤本タツキさんのルックバックは個人の成長をテーマにして描かれた作品だ。

表現者は巧みな演出や仕組まれたギミックの妙に感心しつつ、消費者は「夢中で頑張る事の尊さ」のようなものを感じ取り、そこにある種のカタルシスを感じていた。

<参考 ルックバックを読んでのあれこれ|takasuka_toki|note

 

ルックバックはとても内向きな作品で、漫画というテーマに向かって、個人がどのように向かっていくかが延々と書き綴られている。

それに対して、映画大好きポンポさんは”そこから先”が描かれている。

 

実のところ仕事において”何かができるようになった”というのは成長における初段階でしか無く、その先にある”できるようになった事でより多くの人を巻き込んで、もっと大きな事をする”というもう一つの成長の始まりにすぎない。

 

さて、ここで冒頭に書いた「なんで他人と働くの?面倒事がこんなにも多いのに」という問いに対して答えよう。

それは他人働くことで、私達は共同体や権威といった不死なるファンタジーな存在を皆に宿す事が容易になるからだ。

 

もちろん個人だってキリストや手塚治虫のように仕事のみを通じて”神”となり系譜を作る事も可能ではあるが、そういうのは偉人クラスの業績だ。

普通の人にはまず無理である。

 

人は、人をよりたくさん巻き込む事で、より巨大なアイデンティティを形成する事ができる

仕事に他人を巻き込めるようになると、概念の出現がとても容易になる。

 

例えばこの映画に登場した出資シーンをみてみよう。

見方によってはニャリウッド銀行は青年ジーンの作る映画に出資しただけだが、その出資という作業を通じて、出資に関わった人もあの映画の一員となる事ができた。

 

お金を出すという仕事だって映画制作という巨大なファンタジーの一部に繋がる事ができる。

だからハリウッドという巨大な街がアメリカの地に概念として存在し得るのである。

 

人は、人をよりたくさん巻き込む事で、より巨大なアイデンティティを形成する事ができる。

それが組織としての成長の本懐であり、個人の成長ではたどり着けない強固で長寿なアイデンティティの形成へと繋がる。

そうして人は、やっと孤独である事から癒やされるのだ。

 

この映画をみることで、人は仕事を通じてより大きなものの一部になれる事が理解できるようになる。

 

この大きなものに包まれる為の功徳を積む事こそが、個人としての成長に限界を感じた人が向かうべき先であり、その先にこそ人が働いたり家族を形成したり友人の輪を繋げたりといった活動の本当の価値に気がつけるのである。

 

というわけで映画大好きポンポさんは本年度最高傑作なので、ぜひキチンと劇場でみる事をオススメします。

 

 

 

 

 

【著者プロフィール】

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高須賀

都内で勤務医としてまったり生活中。

趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。

twitter:takasuka_toki ブログ→ 珈琲をゴクゴク呑むように

noteで食事に関するコラム執筆と人生相談もやってます

Photo by Emilio Labrador