先日、小学校時代の友人と会った時のことだ。
30余年ぶりの友人は風貌も変わり、お互いに子ども時代の原型をまったく留めていない。
しかし自転車で遠くまで遊びに行った時のこと、思い出の駄菓子屋、ガムくじで100円を引き当て50円アイス2本にして食べたことまで、お互いに鮮明に覚えていた。
全く無意味な会話かもしれないが、100円の幸せが一生モノの思い出になっていることに心温まり、美味しい酒をともにすることができた。
思えば私たちは、いつからこんなふうに“無意味な友達”を作れなくなるのだろう。
小学校時代には、一度肩を組んで野球でもすれば親友だったのに、中学、高校・・・と年を重ねるに連れ、友達づくりのハードルが上がる。
社会人にもなると、気のおけない人間関係を0から構築するのは恋人を作るよりも至難の業だ。
友達作りというスキルにおいて、大人は小学生にすら敵わなくなる。
しかし問題は、「それはなぜなのか」ということだ。
そんな漠然とした疑問の答えを、いい年のオッサンになってようやく見つけた気がする。
「私は出世に興味がありません」
話は変わるが、私は朝日新聞が嫌いである。
朝日新聞に限らず、大手のマスメディアはだいたい好きではない。
それは思想的な話ではなく、何度か一緒に仕事をして嫌いになった体験によるところが大きい。
取材を受けても、記事になる時は違う話に変わっている。
技術的な説明も、適当で間違った内容に変わってしまっており、面倒な事になったこともたびたびだ。
他人に厳しく自分に甘い仕事の姿勢など、法人であれ個人であれ愛されるわけがない。
これは何も朝日新聞だけではないのだが、近年、特に悪目立ちしてしまっているからなのだろう。
どうしても、朝日新聞=そんな大手メディア代表、という印象に、少なくとも私は支配されてしまっている。
そんなある日のこと、朝日新聞の記者からメールを頂くことがあった。
朝日新聞の別冊、globe+で副編集長をしている関根和弘氏(以下敬称略)だ。
メールの内容は要旨、「8月15日の終戦記念日に配信する記念記事を書いて欲しい」というものだった。
しかし相手は、私にとって「あの朝日新聞」である。しかも関根は40代の半ばで、“なんでもやる”経験を積んでいるような世代の記者だ。
きっと社の方針に沿って適当に内容を変えられ、面倒なことになるのだろう。
そんなふうに考えて一度はお断りしたのだが、関根は「不要な編集は一切いたしません」と食い下がる。
であればと、朝日では載せられないような思いきり保守に寄せたコラムを書き上げ、関根に引き渡すことにした。
要旨、私が敬愛する自衛隊の元陸将の活躍をなぞり、そこから日本の敗因を浮かび上がらせようとする以下の記事である。
終戦の日に考える「日本はなぜ負けたのか」元陸自幹部の言葉、国民と報道の責任とは
ところが関根は本当に、内容をほぼ一切編集すること無く、そのまま掲載してしまった。
そして、「リベラルだろうが保守であろうが、価値のある言説を読者の皆様にお届けするのが私の仕事です」という趣旨のことを言い切った。
するとこの記事は、ネット上でちょっとした騒ぎになる。
「終戦の日に、朝日が配信している記事がヤバイ」
と言った形で様々なSNSにコメントが溢れ、保守系の人気youtuberなども
「朝日のくせに良い記事書きやがって」
という趣旨の動画を作成・配信し、12万以上の再生と900件近いコメントを稼いだ。
完全に、私の負けである。「朝日の記者」という偏見に囚われていた自分の狭量さを、私は嫌というほど思い知らされた。
しかしもしかしたら、これが関根の狙いだったのだろうか。
「朝日新聞は思想信条に偏ったメディアではありません」ということを、別紙を使ってアピールしようとしただけなのかもしれない。
私はそのための、コマの一つということだ。
いずれにせよ関根は、「読まれてナンボ」のメディア運営責任者として新しい読者を引き入れることに、キレイに成功した。
そんなある日、仕事を重ねある程度仲を深めた私は、関根との雑談中、そのことを単刀直入に質問したことがある。
「あの時の記事、よくそのまま配信できましたね。しかし朝日さんの論調に合わなかったのでは?」
「そうかも知れませんが、私は朝日で出世することに興味がないんです。自分が新聞記者として信じることをやりきりたいと思っています。それで認められなくても、後悔はありません。」
「・・・」
言葉が出てこなかった。
彼は、自分とは違う思想信条であっても耳を傾け、価値があると思えばそれを世に知らしめることを恐れていない。
その価値観を、個人の成功よりも優先し言動一致で守り抜いている。
そしてそれこそが、本来新聞記者が果たすべき「社会の木鐸」としての、役割であったのではないのか。
大手メディアが嫌いという私の考え方は、おそらくこの先も変わらないだろう。
しかし関根のような記者は大好きだ。
そしてそんな記者に“好き勝手に”仕事することを許容している朝日新聞のことも、いつか好きになれる日がくるかも知れないとも思えた。
そんな可能性を感じさせ、狭量な私に多くのことを教えてくれた関根には、本当に感謝している。
失敗は恐怖ではない
話は冒頭の、「友達作りのスキル」についてだ。
なぜ私達は歳を重ねるにつれて、友達を作ることが極端に下手になるのか。
思うに私達は、成功体験よりも失敗体験を優先的に学習する本能のようなモノに、支配されてしまっている。
命に関わるような大失敗はもちろん、一度体験した辛い出来事には二度と遭遇しないよう、行動の選択肢をどんどん狭くしながら“学習”し年齢を重ねる本能である。
ひ弱な生き物としての記憶がDNAに刻み込まれている以上、これは避けがたい習性なのだろう。
子猫はノラでも人を恐れないが、ノラ親で人懐こい個体などほとんどいないように。
であれば、恐怖、屈辱、悲しみ、絶望といった負の感情に繋がる可能性を積極的に選択するのは、ムリというものである。
だから私達は、年齢を重ねるに連れ失敗の記憶が積み重なり、特定のモノの見方に支配され視野狭窄になっていく。
初めて会う人に抱く感情も、相手の属性から連想される失敗や不快な体験の記憶が優先的に呼び出され、「面倒くさい」と感じて消極的になる。
これでは、初めて会う転校生にワクワクして話しかける小学生にも、友達作りのスキルで劣るのは当然ではないか。
それこそ私が、「朝日新聞の記者」という一方的な“モノの見方”に囚われ、関根との出会いをぶち壊そうとしたように。
会社経営とはおそらく、人同士・会社同士の掛け算で新しい付加価値を生み出す、「出会いと可能性の芸術」だ。
いわば究極の「友達作り」である。
私たち個人のレベルでもきっと同じだろう。
失敗ではなく可能性を見れば、実は子どもの頃のような親友を作ることも、決して難しいことではないはずだ。
人脈などという大層なものは、案外その程度のことなのかも知れない。
だからこそ経営者や組織のリーダーには、100回でも1,000回でも「失敗は恐怖ではない」と、部下たちに言い続けて欲しいと願っている。
新しい出会いと友達を恐れる集団に、新しい価値など生み出せるわけがないのだから。
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【プロフィール】
桃野泰徳
大学卒業後、大和證券に勤務。中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。
先日、実家で使っていた子ども部屋を整理していたら、天井に貼ったペナントの裏から伊藤博文の1,000円札が出てきました。
そう言えば、「自分へのサプライズ」で部屋の色々なところに、お金を仕込んでいたことを思い出しました。
子どもの発想って、本当に自由ですね。
過ぎたるは猶及ばざるが如し・・・。twitter@momono_tinect
fecebook桃野泰徳
Photo by Andrew Moca