昔から無駄な時間というものが好きではなかった。
例えば何かの要件でもって呼ばれた際、本筋に入る前に身の回りの話をされる事がある。
内容は他人の批評だったり、その日の天気だったりと色々だ。
僕はこれが本当に苦痛だった。
「さっさと要件言ってください。時間の無駄なので」
そう心のなかで何度もつぶやいたものだった。
「なんでみんな生産性をキリキリあげていかないのだろう?」
「就業時間中は仕事にだけ一点集中。それで定時になったらピタッと仕事を止める」
「そういう密度の高い生活を心がけていき、オン・オフがしっかりした生活をすればいいのに」
少し前までの僕はこの生活こそが美だと思っていた。
だが、実際にそういう生活をやった結果、僕はこれがとんでもなく誤りだという事を痛感した。
この生活は想像を絶するほどに辛い。とてもじゃないが人間に耐えられるようなものではない。
極限まで切り詰めた9時5時はマジでココロが折れる
何度か書いているのだが、去年から僕は超激務な職場に務めている。
ここは人手不足もあって単純に仕事量が多いのに加え、業務の要求難易度も極めて高い。
それに加えて人件費抑制の目的もあって残業が一切禁止されている。
結果、ほぼ全てのスタッフが就業時間のあいだ殺伐とした雰囲気を身にまといつつ超生産に徹している。
正直にいえば、最初の頃はこのパキッとした環境が気持ちよかった。
ダラダラする要素が皆無な、本質だけが煮詰められたような環境にどこか憧れがあったからだ。
しかし実際にその環境に放り投げられてみて、僕はこの環境が理想郷どころか地獄としか形容できないような超絶環境だという事を心の底から痛感させられた。
極限まで生産し切ると、人は定時退社でも家で気を失う
転職してしばらくたってから、僕は妙に身も心も疲れ切っている事に気がついた。
最初は新しい環境に慣れていないからだろうとタカをくくっていたのだが、どうもそれだけでは説明がつかないレベルで疲れが抜けない。
何かがおかしい。そう思ってベテランの方に
「ここって…よくわからないけど物凄く疲れませんか?」
と聞いたところ、彼はフッと笑って
「帰宅して、一服しようかとソファーに座って缶ビールをプシュッとやろうとしてさ…」
「気がついたらそのまま寝落ちする生活がもう何年も続いてるんだよね…」
「ここ、マジでヤバイよね」
そう言うのである。
これには正直驚かされた。
この職場は週6勤務なのを除けば多くのスタッフは定時出勤・定時退社であり、ブラックかホワイトかでいえば形式上ではホワイトなはずだ。
就業中はハイスピード・超集中が求められるが、それでも一応みな定時にはあがっている。
だが…そんなホワイトな職場にも関わらず、みな心の底から疲弊しているのである。
どう考えてもこれはおかしい。
一体何でそんなに疲れるのかを改めて考えてみたところ、得られた結論は一つである。
それは無駄な時間が人の心を癒やしていたというものだ。
自分の時間?なにそれおいしいの???そう思っていた時期が私にもありました
かつて育児でシッチャカメッチャカになって「自分の時間が一切ないのが辛すぎる」というような叫びを目にした事があった。
僕は前からこの「自分の時間が欲しい」という人たちが一体何をいいたいのかがよくわからなかった。
そういった人がいざ時間を与えられると何をするかというと、だいたいのケースではスマホをいじってたりテレビをみたりと、こういっちゃなんだが時間を潰すような作業しかしていない。
「なにそれ。単に時間を無駄に消費してるだけじゃん。意識的にエンタメを消費するのでもなく、なにか趣味として生産的な事をしているわけでもないし」
「別にそんな時間、いらなくない?」
ちょっと前までは自分の中でそう結論付けていた。
自分の時間が欲しいだなんて、単に余裕があるダラダラとした生活を送りたいという、怠惰な心の現れだとしか思えなかったのだ。
無駄な時間は魂の充電時間だった
そんな風に「自分の時間がない」といっている人を怠け者として扱っていたバチがあたったのか、前述の通り昨年から僕も文字通り「自分の時間が一切ない」生活へと巻き込まれる事になった。
結果、僕は信じられないぐらいに疲れ果てた。
一切合切休憩無し、週6日9時5時で集中力を保ち続けるのは想像を絶するほどに僕の精神力を心底消耗させた。
そうして物凄く心が辛くなってから、僕が辛さを緩和する為にたまの休日に何をやったかというと…かつての僕が無駄と切り捨てたはずの行為であった。
そう、ダラダラだ。インターネットサーフィンだったりボーッとしたりといった、かつての僕が非生産的だと一蹴したはずの行いである。
これには愕然とさせられた。
以前の僕だったらバカの一言で切り捨てていた行いを自分で再演しているのだから、まるでトンチのようである。
しかし…そうして無駄な時間を過ごしていると、不思議な事に確かに自分の心はほんのチョッピリではあるが軽くなるのである。
「ひょっとして…ヒトは時間を無駄にする事で心を元の状態にリセットしているのではないか」
「生産的活動による夢中が魂の放電だとしたら…」
「退屈だったり無生産な時間って、魂の充電時間なのではないだろうか?」
人間はダラダラした時間を通じて、魂を癒していたのだ。
人はダラダラする事で己を強烈に意識する
ダラダラ行為中に思う
「本当はこんな事している場合じゃないんだけどな…」
という冷静な振り返りの瞬間は、本当は何をすればいいのかという重要な気づきを私達にフィードバックしてくれている瞬間だ。
実はこれは自我を意識する極めて重要な瞬間だ。
時を忘れて物事に熱中するだなんて表現があるが、ダラダラはまさにこの逆である。
人はダラダラする事で自我を強烈に意識できる。
この瞬間こそが人間のアイデンティの確立にとって、最も重要な時なのである。
しかし残念な事に僕にはダラダラする暇がない。
潰れないためには、どうにかダラダラする事なくダラダラするのと同じような効用を得なくてはいけない。
どうしたもんかな…と思ったところ、ふと何故か「走れば心が軽くなるに違いない」と思いついた。
結果、僕は1人のランナーへと生まれ変わった。
今では毎朝5時に起きて1時間程度かけて10キロ走るのがルーティンとなっている。
走れば純度100%で自分に向き合える
少し前にこれからランニングをやってみようという人が、知っておいたら役に立ちそうな知識たち。 | Books&Appsという記事を書いた。
この記事を書いた際、知り合いから「よくそんな超忙しいのに走ろうと思えるな。タフすぎだろ…」と言われたのだが、僕からすればこれは因果関係が完全に逆だ。
毎日1時間走って、虎視眈々と自分自身に向き合い続ける。
この純度100%の”自分の為だけの時間”がないと、心の健康を保ちつつ生産性100%の時間なんて絶対に継続不可能だ。
人間は走っていると本当に色々な事を考える。
人生の意味だとか、最近あったイライラ、こんな苦境に突き落とされる事になった因果などなど…
本当にビックリするぐらい”自分”の事を考えられる。
無我の境地の逆、我の境地…これをやることで本当に心が分厚くなるのである。
たぶん瞑想とかマインドフルネスの本質はここにある。
我の境地をやることで、人は己の魂を高速充電する事が可能となるのである。
我の境地は心の掃除もできる
また、我の境地にはダラダラ行為にはない心の掃除機能のようなものもある。
何かの本で「部屋の中はその人の精神状態を反映する」というような記述を読んだことがある。
そういう風に言われてみればだが、荒んだ精神状態の時に部屋がキレイになっているイメージは全く無い。
このように部屋や家の整理整頓は心の健康の為にも大切だとよく言われている。
定期的な部屋掃除を心がけることで、身も心も健康になりましょうというわけだ。
だが、改めて考えてみるとこの言説は物凄く肝心な部分を無視している。
それは心自体の掃除の方法を全く説いていないのである。
生産性純度100%の生活をおくってみて心底痛感したが、実は心の部屋もほおっておくと無茶苦茶に汚れる。
皆さんも、日々を過ごす中でいろいろと納得できない事だったり、ムカっとした事があるだろう。
本当だったら、このような感情を人はキチンと整理整頓しなくてはいけない。
だが、忙しい現代社会では多くの人がこれを無視して仕事だったり家庭だったりに精を出し続けており、自分という心の部屋にモノを投げ込みまくって放置している。
そんなテキトーな管理をしてたら、そりゃ魂もパンクするってもんである。
傍からみれば下らないような事でも、人間は納得できないと悶々としてしまう。
逆に言えば、ロジカルではなくても人間は納得さえできれば意外とスッと心が落ち着く。
部屋だけではなく、心の掃除も定期的にやらねば駄目なのだ。
我の境地をやり、己の人生に向き合わなければ心もいつか真っ黒になる。
どうしても走りたくないのなら…山に登るのもいいですよ
とはいえどうしても走りたくないという人もいるだろう。そういう人にオススメなのは山登りだ。
山と聞くと何やらエグい活動を思い浮かべる人もいるかもしれないが、調べてみれば意外と気軽にいけて日帰りできる場所は多い。
例えば都内在住の方なら高尾山はアクセスも簡単だし、装備もほぼ必要ない。
負荷が足りない人は上の図のように高尾山~陣場山まで縦走し、藤野駅までいけば結構なアクティビティにもなる。
山に登って何が得られるかだが、それは己に向き合う時間である。
淡々と黙々と1人で山に登っていると、ランニングとはまた違った形で己に向き合うことができるようになる。
人生の意味とはなにかみたいな壮大なテーマを考える事だってできるし、嫌いな上司を心で腐し続ける事だってできる。
とにかく、心の掃除にはもってこいである。
山頂からのいい景色だとか山飯だとかも悪くはないのだが、個人的には山登りは登る行為自体に意味があると思う。
適度な負荷を通じて、己の人生を哲学し続ける時間はちょっと他では得られない極上のものだ。
なお楽しすぎて時間を忘れて真夜中に突入すると真っ暗闇に包まれてオワコン化するので、ヘッドライトだけは持っていく事をオススメする。
というわけで皆さんも心の掃除、やりましょう。思ってる以上にココロが軽くなる事、間違いなしですから。
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【著者プロフィール】
都内で勤務医としてまったり生活中。
趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。
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noteで食事に関するコラム執筆と人生相談もやってます
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