ルプガナと工藤くんの話をする。

 

俺がまだ小学校低学年くらいの頃の話だ。あなたも知っているであろう、「ドラゴンクエストII(以下ドラクエ2)」というゲームがファミコンで発売された。

 

当時の俺たちの間では、「ゲームの貸し借り」というものはそれ程盛んには行われていなかった。

僅かな機会にしがみつくようにゲームを買ってもらっていた俺たちにとって、手に入れたゲームは「貸す」にはあまりに貴重過ぎた。

手元から一瞬でも離すのが惜しかった。

カートリッジに油性ペンでデカデカと自分の名前を書いて、それでも尚俺たちは「ゲームを人に貸す」ことに躊躇していた。

 

しかし、自分が手に入れられるゲームだけでは、新しいゲームを遊べる機会はあまりにも少ない。

そこで何が行われていたかというと、「友達の家に遊びにいってゲームを遊ばせてもらう」という行為だった。

新しいゲームを誰かが手に入れると、途端その子の家には友達が詰めかけて、わいわい騒ぎながらゲームを遊ぶことになる。

当時の親たちは「一体何が起きたのか」と毎度首をひねっていたことだろう。

 

ご存じの通りドラクエ2というのは大人気のゲームで、近所のおもちゃ屋はどこもかしこも「ドラクエ2売り切れました 入荷未定」という貼り紙を貼り付けているところばかりだった。

3や4程の社会問題にはならなかったものの、2だって十分人気だったし、品薄だったのだ。

 

そんな中、「あの貼り紙は実は嘘で、入荷してもすぐには外されない」という、嘘か本当かよく分からない噂を元に、どうやってかドラクエ2を手に入れたのが工藤くんだった。

当然のこと、俺たちは毎日毎日徒党をなして工藤くんの家におしかけて、ドラクエ2を遊ばせてもらうことになった。

後のシリーズと違って、ドラクエ2は「ふっかつのじゅもん」というパスワード制だったのでセーブファイルの問題もなかった。

 

そう、俺が初めてドラクエ2を遊んだのは、工藤くんの家でのことだったのだ。

 

悲劇は、当時の俺たちも、また工藤くんの親も、「RPG」というのがどんなジャンルなのか全く分かっていなかったことだ。

当時の俺たちがそれまで遊んでいたのは、エクセリオンやら、パックランドやら、ソンソンやら、魔界村やら、サーカスチャーリーやらだった。

そう、「死んだらそこでゲームは一区切り」というタイトルばかりだ。

一区切りついたら交代すればいいので、大人数でも特に問題は生じなかった。

 

その結果どうなっていたかというと、工藤くんの親によって、ドラクエ2にも「死んだら交代」「死ななくても一人30分まで」という縛りが設けられてしまったのだ。

 

もちろん、魔界村ならそれで何の問題もなかった。

魔界村というゲームは1面のレッドアリーマーまでをくり返し遊ぶという内容の横スクロールアクションゲームなので、一人当たりのプレイは長くても2分弱で済む。

 

しかし、RPGというジャンルには基本的に「区切り」というものがない。

例え全滅しても「しんでしまうとは なさけない…。」と理不尽に怒られながら、「そなたにもういちどきかいをあたえよう」とゲームは続くのだ。

自分の息子である第一王子に「しんでしまうとはなさけない」とか、ローレシア王マジ非道。

 

しかし、工藤くんのお母さんはローレシア王より遥かに厳しかった。

彼女は、全滅のBGMを聴いたら「はい交代ね」と台所から情け容赦なく交通整理をしてきた。

「ちょっと待って!ふっかつのじゅもんだけメモするから!」という必死の歎願さえ無視されることがあった。

俺たちにとってのキラーマシーンは工藤くんのお母さんだった。

 

そして、これも皆さんご存知の通り、ドラクエ2は極めて高難度のゲームだ。

ドラクエシリーズで最も難しいタイトルだと言っても異論は出ないだろう。

結果どうなったかというと、俺たちは誰一人「ルプガナ」にたどり着けなかったのだ。

 

ドラクエ2というと必ず取沙汰されるのが、終盤のダンジョンである「ロンダルキアへの洞くつ」の高難度だ。

複雑なマップ、無限ループの回廊、落とし穴だらけの5階、複数のドラゴンによる不意打ち、やっと抜けたと思ったらその先のブリザード。

なるほど、ロンダルキアへの洞窟がゲーム最難関のダンジョンであることに異論はない。

 

ただ、俺や、当時工藤くんの家に集まった友人たちには、恐らくロンダルキアへの洞くつの印象はそれ程強くない。

何故かというに、当時の俺たちはベラヌールどころか海底の洞くつにすらたどり着けなかったのだから。

「じゃしんのぞう?何それ?」という状態だったのだから。

 

「死んだら交代」「死ななくても一人30分まで」という絶対のルールに縛られた俺たちにとっての最難関は、ドラゴンの角であり、そしてルプガナだった。

 

知らない人のために解説すると、ドラクエ2には中盤に「凄まじい長さのセーブ不能エリア」がある。

最初の大陸を抜けて初めて降り立った町、ムーンペタ。そこから目指す次の街「ルプガナ」では、ついに船が手に入って、行動範囲が一気に広がるのだが、そこにたどり着くまでがドラクエシリーズ全体を見渡しても屈指の長さの苦難の道程なのだ。

 

「ルプガナには船がある」という断片的な情報だけを耳にした俺たちの前に立ちふさがるのは、以下のような障害の数々だった。

 

・リザードフライやらマンドリルやらマンイーターやらしにがみやらの超強敵がわんさか出てきて悶絶する

・マンドリルにサマルトリアの王子が瞬殺されて悶絶する

・ムーンブルク西のほこら→砂漠地帯→ドラゴンの角→ルプガナという過程で、一切回復・セーブ拠点が存在しなくて悶絶する

・ドラゴンの角から満を持して飛び降りてかぜのマントを装備していなかったことに気付いて悶絶する

・北側の塔にも何かあるのかな?と思って登ってみても何もなくて悶絶する(本当はあまつゆのいとがあるんだけど当然そんなことは知らない)

・北側の塔から飛び降りたら何故か川の南側に移動していて悶絶する(注:かぜのマントの外し忘れ)

 

悶絶・オンザロックである。

まあ、ここに至るまでにラーの鏡を探したりムーンブルクの王女を助けたり風の塔で全滅したりとこれまた色々あるのだが、それ全部省略してもこれだ。

砂漠地帯にわざとらしくあるオアシスに拠点がある筈だったが容量不足で削られた、という話も聞く。

 

当然のこと、ただでさえ難関だというのに、「30分以内」にここを突破するのは俺たちにとって至難の業だった。

俺たちは、代わる代わるルプガナ行きに挑戦しては、「全滅」か「30分の時間制限」によって叩き返された。

冷静に考えると持ち主である工藤くんまで30分ルールに縛られるのは気の毒だったが、まあ工藤くんのお母さんが決めたルールなので仕方ない。

 

俺たちにとってのロンダルキアは、ルプガナだった。

俺たちにとってのロンダルキアの洞くつはドラゴンの角だった。

 

こうなったら誰か一人でもいい。なんとか、なんとかルプガナにたどり着いてくれ。船に乗っているところを見せてくれ。

当時の俺たちの合言葉は、「今日こそルプガナへ」だった。

 

今でも覚えている。

ちょうど持ち主である工藤くんがドラクエ2を遊んでいる時、工藤くんのお母さんが「ちょっとナフコ(愛知県のローカルスーパーの名前)行ってくるねー。ちゃんと交代するのよー」と言って出かけてしまったのだ。

 

俺たちは顔を見合わせた。工藤くんのお母さんが、俺たちにとってのローレシア王が、キラーマシーンが、いない。

これは、もしかするとチャンスではないのか?俺たちは子どもなのだから、ちょっとくらい時計の読み方が分からなくても仕方ないのではないか?

 

その時、工藤くんはマンドリルの猛攻を必死に凌ぎながら砂漠を渡っているところだった。

工藤君のお母さんが帰ってくるまで、短く見積もっても20分程。

それだけあれば、ドラゴンの角を突破してルプガナまでたどり着けるかも知れない……!!

 

ドラゴンクエスト2 そしてルプガナへ。俺たちの心に勝手なサブタイトルが刻まれ、皆は心を一つにして工藤くんを応援した。

おばけねずみに不意打ちされては手に汗握り、しにがみの痛恨の一撃ですけさん(サマルトリアの王子)のHPが一桁になっては悲鳴を上げ、バブーンにラリホーが効かなければもうダメかと絶望した。

 

「かぜのマントつけてる!?」

「つけてる!オーケー!」

「向き良し!装備良し!」

 

指さし確認までしてドラゴンの角を突破して、マップに街のマークが現れた時のあの感動。

全員が声を合わせて「ルプガナだーーー!!!」と叫んだ時のあの一体感。

あの瞬間の鮮烈さは、今でもはっきりと記憶に残っている。

 

まあそのあと、街中でふっかつのじゅもんを教えてくれる人を必死に探し求めて、どこにもセーブポイントが存在しないことに絶望し、知らんうちにグレムリンと戦うことになって全滅したりもするのだが(最寄りのふっかつの呪文エリアは船に乗った先にあるラダトーム)。

そんなほろ苦い思い出も含めて、この「ルプガナ行き」が強烈過ぎる記憶であることは間違いない。

俺にとっての「ドラクエ2」の5割近くが、この「ルプガナ行きの挑戦」に詰まっている。

 

ちなみに、私自身がドラクエ2をクリアしたのはこのずっとずっと後、既にドラクエ3が発売されてからのことだった。

ドラクエ2というゲームは本当にBGMが素晴らしく、3人そろっての「果てしない世界」も良いのだが2人旅での「遥かなる旅路」もこれまた滅茶苦茶良い。

また、アレフガルドに入ったらちゃんと「1」のBGMになるのも「やられた!」と言う他なかった。

 

先日逝去されたすぎやまこういち先生を偲びながら、今日も「遥かなる旅路」をBGMにこの記事を書いた。

 

正直なところ、ドラクエ2自体についてはちょっと理不尽な難易度に感じる部分もあり、今一からあの難易度を遊ぶのはキツいな、とも思う一方、あの時のあの感動があの高難易度あってのものだった、ということも間違いない。

あそこまで「たった一つの目的」の為に試行を繰り返すことがまた出来るのかどうか、自分のゲーマーとしての衰えを感じながらも、「いつかまた」と考える次第なのである。

 

今日書きたいことはそれくらい。

 

 

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安達 裕哉(あだち・ゆうや)
ティネクト株式会社 代表取締役/ワークワンダース株式会社 代表取締役CEO
Deloitteにてコンサルティング業務に従事後、監査法人トーマツの中小企業向けコンサル部門立ち上げに参画。大阪・東京支社長を経て、2013年にティネクト株式会社を設立。
ビジネスメディア「Books&Apps」運営。2023年には生成AIコンサルティングの「ワークワンダース株式会社」も設立。
著書『頭のいい人が話す前に考えていること』(ダイヤモンド社)は累計82万部突破。2023年・2024年と2年連続で“日本一売れたビジネス書”に(トーハン/日販調べ)。
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(2025/6/2更新)

 

 

 

【著者プロフィール】

著者名:しんざき

SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。

レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。

ブログ:不倒城

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