地球は人類を養えるのか?
この前、国連かなにかの機関の奇抜な髪の色をした専門家が、「ロシアによるウクライナ侵攻と、世界的な干ばつにより、来年の世界の食糧事情が危険だ」というようなことを述べていた。
奇抜な髪の色はともかくとして、おれは、「ロシアによるウクライナ侵攻と、世界的な干ばつが重なったら、世界の食糧事情は危なくなりそうだなー」と思った。一つじゃない、二つだ。二つも大きな要素があったら、危ない。そう思った。
そう思ったおれは、「ひょっとして、地球の人口は地球が人類を養える上限を超えているのでは?」と思った。思って調べた。
まず調べて出てきたのはWikipediaの「適正人口」という項目であった。どこぞのだれかがいろいろな基準で算出した地球の適正人口は15億から20億人だという。
え、そんなに少ないの? というか、いろいろの基準がなかなかハードル高くない?
とりあえず、食えることが満たされることを目指そうじゃないか。そんな気にもなる。食えることがまず大事だ。偉大なるアナーキストの辻潤もこう言っている。
問題はまず食うことだ。みんなが食えるということだ。馬鹿でも無能でも、低能でも、生物である以上理屈なしに物を食う権利がある。万事それが解決されてからの話だ。腹の減っている人間にとっては、文化も、文明もヘチマもトーナスもかぼちゃもなんにもありよう訳がない。おまけにいくら働いても働いても、満足に飯が食えないでは頭もなにもかも混乱してくるのだ。
「文学以外」
まず、食うことだ。食えるということだ。
適正人口についてのダイレクトな本が見つけられなかったので、おれは食えることについての本を何冊か読んでみた。
食や食糧についての本である。
が、あまり参考にならない本が多かった。いや、自分に知識がないのだから参考になったかならないかとか言えはしない。しないけれど、大手種子産業が世界の農業を支配……までならなんとか耐えられるが、飛行機雲は「ケムトレイル」であって、有害な物質をわざと地上に振りまいているのだという陰謀論がいきなりさしはさまれては、「おう、ちょっと待て」となる。
信用できそうな出版社の新書などにそういう記述があると、「大丈夫か?」という気にもなる。あ、「ケムトレイル」もWikipediaあたりを読んで下さい。
で、ひょっとすると、食に関する問題は人を狂わせるものがあるのかもしれない、などと思う。
信用できそうな? 本
そんな中で、「これは信用できそうかな?」と思う本があった。アマンダ・リトル『サステナブル・フード革命 食の未来を変えるイノベーション』。これである。
タイトルからしてなにか偏りがありそうに思うかもしれないが、実にバランスが取れている本だと感じた。そのあたりは、実際に読んでいただきたい。原題は『The Fate of Food , What We’ll Eat in a Bigger, Hotter, Smarter World』。
この本のなにがすごいかといえば、著者がアメリカ13州、世界11カ国を実際に飛び回って書かれているということだ。
もちろん、飛び回ればいいというものではない。感受性のない人や、偏見に凝り固まった人が飛び回ったところであまり意味はない。
でも、この著者は自分の先入観や価値観を自認し、その上で世界を見て回っているのである。自分の意見と実践者の意見を突き合わせ、ときには柔軟に自分の意識を変化させている。
読むものはその旅に同行し、自分のいろいろな先入観が変化する体験を味わえるかもしれない。そんな本である。
なんとか賞をいろいろ受賞しているというが、なんとか賞の価値もわからないわけで、それでもなんとか賞受賞するだけあるな、と思わされる一冊だ。あ、あと、取材対象者も興味深い人ばかりで、その描写もよいです。
食の最前線へ
「食の、農業の最前線へ」と書こうと思ったが、話は「農業」とされるものにおさまらないので「食の最前線」とした。
しかし、「食の最前線」というと、まさにカウンターで提供される丼一杯のラーメンということになりそうで、それもどうかと思う。
まあしかし、「食の最前線」がどこかというと、供給するまさにそのラインにもありそうだからいいということにする。
本書では農業の他にサケの養殖、培養肉、食品廃棄物、水危機、3Dプリンターについても扱っている。それぞれの前線で戦っている人に取材している。
具体的には、ただ化学的でも回帰的でもない「第三の道」を探り、気候変動と戦うリンゴ農家を訪ね、遺伝子組み換え種子がアフリカを救う事実を見て、AIロボットが農薬使用量を減らす未来を見つめ、中国のスマート農業を取材し、垂直農業のデジタル・テロワールを味わい、サケ養殖の「ニョルド」に会い、培養肉を食し、食品廃棄物のごみ捨て場に入り、イスラエルの水漏れ水道管技術を学び、人工降雨のための飛行機に乗り、古代植物を求めてメキシコに渡り、米軍のレーション開発技術に立ち会うのである。
……って、13章をまとめるの大変だったよ。まあ、そういう本だ。
アメリカで2019年に出て、新型コロナウイルス流行を盛り込んで増補されて日本で2021年12月に出版された本だから、情報も新しい。おすすめじゃ。
今回は、この本で取り上げられている農業について考えてみたい。
工業型農業の功罪
まず、とりあえずこの著者も「人口が増えているのに都市生活者が多くなって、化学肥料の影響で良い農地も減って、気候変動まであって干ばつも進んだりしたらやばいんじゃないの」みたいなことを考えていた。農業の危機、フードの危機である。
と、その前に。
食料供給への脅威、とりわけ近代農業の危機がどれほど切迫しているかを考える前に、工業型農業の功績をざっと振り返ってみよう。農業関連産業(アグリビジネス)が誕生しなかったら、地球の人口は現在より20億は少ないかもしれない。今日世界中の農場が生産するカロリーは、1990年よりも1人につき17パーセントも多い。慢性的な食料不足に苦しむ人は8億人近くいるが、30年前よりもほぼ2億人減った。
食料は安価になってきた。一方で、もちろん問題も多い。農業の集約化、大規模化にはデメリットもある。
さらに今後、今より気温が上昇し、人口が増えてますます不安定になる世界で、サステナビリティと公平性をもって、世界は食っていけるのか? というのが本書のメーンテーマということになる。
とはいえ、ずっと昔にも「人類は食っていけなくなる」と心配していた人はいる。心配というか、計算だろうか。
経済学者のトマス・マルサス。マルサスの『人口論』という言葉はなんとなく聞いたことある、というか教科書に載ってたかな。これを1798年に発表した。
「人口が増える力は、土地が人間の食料を生産する力よりもはるかに大きい。人類は近い将来、何らかの形で滅びるに違いない」
この説は発表時にはほとんど無視されたが、1840年代半ばにイギリスで飢饉が起こり、見直されたのだという。
しかし、科学と技術がマルサスの予想を上回った。
ハーバー・ボッシュ法による合成肥料の生産、そして農具の機械化だ。
1903年にはもう内燃機関式トラクターがアメリカで製造されている。これによる農業の効率化は大きかった。
また、同時に、メンデルやダーウィンらの研究をもとに、トウモロコシやコムギの品種改良が始まった。
これらが発展し、組み合わされ、「緑の革命」と呼ばれるパラダイムシフトが起きた。Wikipediaによれは1940年代から1960年代のことだという。
緑の革命で達成されたものは何だろうか? 爆発的な増産だ。第二次世界大戦後の50年で、世界の食料供給量は3倍に跳ね上がった。その結果、人口も倍以上に膨れ上がった。
めでたし、めでたし。
……ではない。化学肥料や農薬なしには達成できなかったことである。
土壌が汚染されたりとか、そのまま人の害になるとか。また、このような工業化により農民にも格差が生まれたとか、そういう経済的な話もある。
ここに、疑問の声があがるのは当然ともいえる。工業型農業への批判、そしてイズムの対立。
そして、今もその対立はおさまっていない。というか、激しくなっているかもしれない。
動機が何であれ、議論はふたつの陣営に分かれている。ほとんどの持続可能な食の推進者は、「食の改革」をいまいましく思っている。昔のやり方に戻りたいのだから、改革など大きなお世話にほかならない。したがって、産業革命や緑の革命以前の、化学肥料を使わないバイオダイナミック農法などに戻ろうと主張する。当然のことながら、懐疑派はこう返す。「それはいいね、でも、そのやり方は拡大できるかい?」確かに身体によいものが採れそうだが、生産量は足りるだろうか?
改革派と回帰派の対立は、ノーマン・ボーローグがコムギの品種改良をはじめたときから存在し、いまや誇大広告と反動思想、ありきたりな言いぐさの激しい応酬に発展している。一方は、テクノロジーは生態系を蝕むと主張する。もう一方は、テクノロジーであらゆる問題が解決すると譲らない。
これである。「誇大広告と反動思想、ありきたりな言いぐさの激しい応酬」とは著者もなかなか辛辣ではある。
ちなみに、ノーマン・ボーローグは「緑の革命」によってノーベル平和賞を受賞した人。Wikipediaの「緑の革命」の項目には、ボーローグのこんな言葉が載っていた。
西欧の環境ロビイストの中には耳を傾けるべき地道な努力家もいるが、多くはエリートで空腹の苦しみを味わったことがなく、ワシントンやブリュッセルにある居心地の良いオフィスからロビー活動を行っている。もし彼らがたった1ヶ月でも途上国の悲惨さの中で生活すれば、それは私が50年以上も行ってきたのだが、彼らはトラクター、肥料そして灌漑水路が必要だと叫ぶであろうし、故国の上流社会のエリートがこれらを否定しようとしていることに激怒するであろう。
そんな中、著者はそのどちらでもない、「第三」の道を探る。昔ながらの方法を取り入れ環境や人体に悪影響のない食べ物を作り、アクセシビリティ格差なく供給できる道はないのか、と。
アフリカとGM作物
さて、いきなりケニアの話になる。その前に、GM作物(遺伝子組み換え作物)……についてはべつに説明いいですか? まああれだ、おれ個人の話をすると、まったく気にしていない派だ。「しています」(という表記はないけれど)と「していません」表記のものが並んでいても、なんとなく「していません」を選ぶということもないだろう。
まあ、しかし、嫌う人は嫌うし、疑う人は疑う。それもわからんでもない。
しかし、敵視するばかりでいいのか、という現実がある。たとえば、アフリカ、ケニア。
「アフリカの収量はまだまだ増やせます。ケニアとアフリカの農家の大半は、アメリカで1910年か1920年ごろに使われなくなったような種子を、いまだに植えているんです」。
遺伝子組み換え以前に、品種自体が古い。干ばつにも害虫にも弱い。収穫量も少ない。そして、ときには飢饉も起こる。
実を言うと、ケニアに到着したときの私は、懐疑派のひとりだった。多くの欧米人と同じように、GM作物、モンサントと聞いただけで、科学的な根拠もなく反発を覚えていた。GM作物は、アメリカの工業型農業の元凶だ。そう考える一方で、生物化学から生まれた種子が、アフリカ僻地の農場と住民を救えるのか知りたかった。さまざまな圧力が高まるこれからの時代には、賛否両論あるこのツールが有効なのかもしれない。
著者はどちらかというとGM作物に懐疑的だったようだ。だが、実際に現場に行き。話を聞く。ケニアでWEMA(「アフリカ向け水有効利用トウモロコシ……これは厳密にはGM作物では「ない」)プロジェクトを取材する。
ケニアと近隣諸国で小規模農家にハイテクのトウモロコシ種子を提供し、農業の近代化、いや、現代化を行おうというプロジェクトだ。この種子はモンサントが開発したもので、モンサントを買収したバイエルもプロジェクトを支援している。ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団も2700万ドル提供したりしている。
そして、現地では、アメリカの大学を出て祖国に戻ったケニアの農学者などが現場で地道にワークショップを行っている。それでだんだんと成果も出ている。
けど、もちろん、批判の声がある。一つにはGM作物そのもの、そしてまた、特定の種子により市場を独占しようというのではないかという批判だ。
実際、ケニアでもGM作物は法律で禁止されていた。それでも、切実な現実がある。
オニアンゴの見解は慎重だ。「これは善悪の問題じゃない。私がこれまで得た科学知識では、GM作物のメリットはリスクを大きく上回る。それに、そのリスクもコントロールできる」。彼女は、モンサント反対派をこう評する。彼らは「高額な食べ物を買う余裕があり」、環境の変化や人口増加に対応できない昔の農業を美化している。「ケニアでは、そんな贅沢は言っていられない。わたしたちは食べ物を恵んでもらう立場から、輸出する側になろうとしている。自力で食べられなければ、前に進めない」
ルース・オニアンゴ教授。検索してみると、日本財団のブログが出てくる。
彼女は「ササカワ・アフリカ財団(SAA)会長」で、アフリカ食糧賞を受賞したという記事だった。こんなところで笹川良一の名前が出てくるとは、ちなみに「ササカワ・アフリカ財団」は「1986年、当時の笹川良一会長、ノーベル平和賞を受賞したボーローグ博士、カーター元米大統領によって設立された」とのこと。ボーローグ博士も出てくる。
まあ、話が横道に逸れたが、著者も「懐疑派」から「賛否両論あるこのツールが有効なのかもしれない」と思ったりしたわけだ。
おれなどは、科学的な根拠もなく「ハイテク技術で、干ばつや害虫に強いアフリカ向けの種子があるなら、食うためにガンガン使えばいいじゃん」とか、これまた無責任に思ってしまうのだが。まあ、これはこれでちょっと問題だな。とはいえ、文系に科学は難しい。
農薬は少ないほうがいい
GM作物には大甘なおれだけれど、たとえば普通の野菜と無農薬をうたった野菜が「同じくらいの価格」で並んでいたら、無農薬を選んでしまう。
スーパーで同じくらいの値段のワインが並んでいたら、やはり「オーガニック認証」とか書いてあるを選ぶ。
なんとなく美味しいような気もする。情報を飲んでいるのだ。
というわけで、農薬はできることならあまり使用されないほうがいい、とは思う。
科学的な根拠はない。とはいえ、「無農薬だからすごく高いです」となると、「だったら農薬使ってよ」となる。
農薬などの使用によって土地が悪くなり、世界中で収穫が減りましたとなっても困るが、無農薬だから収穫量は少ないです、というのも困る。わがままだ。
とはいえ、技術によって「昔ながらの農法」ではなく、最新技術を使って農薬使用量を減らそうという話なら、いいじゃねえかとなる。たとえば、「シー・アンド・スプレー」という除草ロボット。
ロボットが画像のアーカイブから情報を取り出し、雑草と苗木の区別をして決定を下す。この能力を「深層学習(ディープラーニング)」という。
AIロボット様の登場ということになる。バーっとセスナで空から散布するとかではなく、ロボットが畑を回って、雑草だけ狙ってピンポイントに除草剤をスプレーする。
使用量はすごく少なくて済む。悪くない。深層学習は学べば学ぶほど的確になっていく。
雑草だけに当たるなら、今は禁止されているより強力な農薬も使えるという(それはちょっと怖い)。AIロボット様どころではなく、これがトラクターくらい一般的になっていったら、そりゃあいいだろう。
それにあれだ、この本では紹介されていないけれど、レーザーで除草する自律型ロボットとかも開発、販売されているだろう。
それなら無農薬だろうか。もっといいかもしれない。
いずれにせよ、おそらくまだまだ世界中に普及するには規模の小さい試みで、コストも高いだろうが、それは普及していくに従ってより高性能に、より安くなっていくだろう。たぶん。
そして、昔ながらの農業派も、さすがに雑草を手で引っこ抜いたかロボットが殺したかにはあまりこだわるまい。海原雄山はこだわるかもしれない。
精密農業と屋内農業
さらに進むと、屋外で植物育ててるなんて昭和? みたいなことになるかもしれない。
たとえば、中国。
中国はアメリカとほぼ同じ面積だが、農家が支える人口はアメリカの3倍も多い。国土の西半分は山で覆われ、北東部は寒冷で乾燥している。一方、南東部は温暖でとても肥沃だ。ここに都市開発の波が押し寄せ、この20年で貴重な農地が失われた。その結果、国民1人当たりの耕作可能地はわずか0.2エーカー(アメリカはその約5倍)に縮小し、その大半は汚染物質にまみれている。
こんな現状だ。日本人も中国産の野菜に忌避感を持っている人も多いと思う。
かくいうおれもその一人である。スーパーで国産野菜使用と書かれた加工食品と、どうも中国産らしいものが並んでいたら、国産を選ぶだろう。かつてほど「日本」や「日本製」に信頼が置けなくなっているけれど(たとえば自動車メーカーが長年に渡って不正を行っていたというニュースを見たら、食の分野で同じことが起きていないとは言い切れない。というか食の分野でもいろいろ不祥事あったよな……)。
ともかく、土地がやばい。とはいえ、養わなくてはいけない人口は増えていく。
国連の予測によれば、2050年の世界人口はいまより33パーセントも増え、98億に達する。そのうち約3分の2は、都市部に住むと予測される。現在の都市人口は、世界人口の半分強だ。2050年には、東京、上海、ムンバイに加えて、ジャカルタ、マニラ、カラチ、キンシャサ、ラゴスなど、世界最大20都市のうち14がアジアとアフリカの都市で占められるだろう。人口増加と食習慣の変化を考慮すると、それまでに2009年の70パーセントも食料を増産しなければならない、と国連は予測している。
おれは最初に、「来年にも世界的に食糧不足が起こるかもしれない」というニュースのことを書いた。今現在でも多すぎるかもしれないのに、さらに増える。
しかし、日本もかつて恩恵に預かってきた「人口ボーナス」を、今現在の発展途上国だけに「人口がこれ以上増えるから、増やすなよ」とは言えない。
もっとも、現代において人口が増えることで国が発展することに直結するかどうかは知らない。減ると困るということは、日本の少子高齢化問題ということで盛んに論じられている。
で、土地がなかったらどうするの? というところで、たとえばやばい土地を浄化した上で、各種センサーを用いて、それこそiPadで機械に指示を出して生産を管理して安全な農作物を作ろうみたいなブームが中国に訪れたりしている。とはいえ、それには金がかかる。著者が中国で取材した経営者は行方不明になってしまった。
ならば、さらに精密に管理する垂直農業(植物工場)はどうか。ビルの中で野菜作ってるやつだ。
土すら使わないから浄化のコストもかからない。というか、土地が減っているから工場で野菜を作ろうということになる。
スタンフォード大学の先生曰く、干ばつ、汚染、侵食のせいで、「過去40年で世界中の上質な食糧生産地の3分の1が消えた」ということだ。
最大の原因である土壌侵食は、過剰な耕起、化学肥料、殺虫剤によって表土が劣化し、自然再生が追いつかないために起きる。
そこで、土を使わない垂直農業だ。ほんのわずかな水と肥料で行う食料生産。
「これまでの農業は、植物を環境に適応させていた。垂直農業では、環境を植物に適応させるんだ」
垂直農業もホットな投資の対象になっている。とはいえ、まだまだ高級レタスの生産者に過ぎないと、著者の取材対象は語る。
趣味的に気耕栽培(噴霧耕、エアロポニックス)をはじめたら、いつのまにかでかい会社になっていた大学教授だ。
大きな手芸店で「種子が土と錯覚する」生地を探すところから始めた。いずれにせよ、「世界の飢餓がなくなるまで、まだまだ先は長い」。
とはいえ、この農法では水の使用量が95%も削減できる。
むしろ二酸化炭素は植物の生長を促進させるために使うくらいだし、太陽光発電なども合わせて行えばエネルギーの使用も抑制できるし、LEDの性能は年々高まっている。
いずれは、SF世界のように、でかいビルの中で人々の食べ物がすべて作られる……ことはないかもしれない。
いや、生野菜にこだわらなければ可能かもしれないが。
しかし、たとえば劣化しやすく輸送や保管にコストがかかる野菜は都市近郊で垂直農業、穀物などは従来どおり農産地で、みたいなミックスは期待できるかもしれない。
古代作物の再発見
また、今の世界線ではコムギやコメが主な主食的な穀物になっている。が、キヌア生産者に言わせるとこうだ。
「もしいま人類が文明をはじめるなら”主食用にコメとムギを栽培しよう”とはならないはずだ。どちらも大量な水が必要なのに、栄養価は標準以下だからね」
『Civilization』(人間の生活時間を壊すゲームの一つ)かよ、という話だが、そうなのか、という話でもある。
たまたま昔の人類の前にコメとムギがあって、なんかいい具合になった。それ食ってた文明が進歩した。偶然だぞ。
ならば、植物の成長に必要なコスト、含まれる栄養素などがはっきりと明らかになっている今であれば、もっと効率的でナイスな主食を生産するべきなのかもしれない。
もちろん、それらのナイスな作物もさらに品種改良されれば、ベリー・ベリー・ナイスになる。
ほかにも、モリンガ・オレイフェラ(Moringa oleifera、和名:ワサビノキ)なんかも紹介されていた。
健康食品として一部でブームになっているらしいし、Wikipediaの「ワサビノキ」の項目も充実している。メキシコで世界中のモリンガ属を集めて研究している博士を取材しているが、現地の人には「飢饉のときしか食べないよ」という扱いらしい。
モリンガもまだ常食に適した作物とは言えないが、選抜や品種改良によって人類の栄養に寄与する可能性もある。
そういう植物も、まだまだあるだろう。
というわけで、現代の工業型農業で忘れられた植物というものもある。なにも、コメやムギの生産をやめろという話ではない。
しかし、代わりの選択肢があるというのは悪くない。人間、べつにキヌアを主食にモリンガのおかず食って生きていてもいいだろう。食えること、栄養のあるものを食えることが大事だ。
なんとなく未来の農業に期待はもてた
さて、おれはこの本を読んで、「未来の農業はそんなに暗くないかもな」と思うようになった。
技術の進歩によって、より地球に負荷を与えない農業ができるようになるのではないのか。一気にある技術が支配的になることなく、先に書いたように、さまざまな手法のミックスだ。
そして、遺伝子組み換え技術やなにかも使い、古くて新しい作物にも目をつける。悪くない。
ただ、少し残念だったのは、世界を飛び回った著者の取材対象に日本がなかったことである。
なにかすごい農業の技術はないのだろうか。よくわからない。
食料自給率が低い国だけに、コメさえ収穫できればいいという話でもないだろう。まあいいか。
……とはいえ、これはいつの話になるのか。技術の進歩は早い。本書で挙げられていた新しいやり方は、すでに実用段階というか、商売として始まっているものばかりだ。
だが、まだ始まったばかりでもある。規模は小さい。少なくとも、来年の食糧不足を救うのには間に合わない。
というわけで、未来の農業はともかく、飢える人は今もいるし、さらに増えてしまうだろう。そして、世界のどこかの他人の心配をしながらも、スーパーで食品の値札を見るのが怖いという、ちっぽけな自分というのもまた確かに存在するのである。嗚呼。
ちなみに今回は農業の話をしたが、肉についてまたこの本で得た知識をまとめてみるかもしれない。とりあえず、以上。
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【著者プロフィール】
著者名:黄金頭
横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。
趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。
双極性障害II型。
ブログ:関内関外日記
Twitter:黄金頭
Photo by :Ratapan Anantawat