※「自業自得」と思える人工透析患者が身内にできてしまったが、社会正義とどのように折り合いをつけるべきか、という話です。前半はなぜ自分が「自業自得」かという家族史とその一例の具体的なエピソードが延々と続くので、興味なければ飛ばしてください。あと、当然のことながらおれの視点による解釈であり、また、意図した上での、あるいは無意識での脚色が含まれています。

 

父のいた我が家

まだおれも弟も子供だったころ、まだ実家があったころのことだ。父が出張などで家にいないと、空気が軽くなるのを感じた。実に不思議なものだと、当時から思っていた。

 

べつに父は常に暴力を振るったり、過度に厳格な人間だったりはしなかった。それはなかった。

手を挙げることはなかったし、厳格な躾、教育方針とはかけ離れた人間でもあった。

どちらかというと放任、教育についても自分の思想を披瀝して対話をしたがるタイプだった。子供相手でも。

 

ただ、満点の父親像ともまったく違っていた。ちょっとしたことで機嫌を損ねると、じつに嫌ったらしい人間になるのだ。

人間を不愉快に、不安にさせることについてかなり秀でた人間だった。家族であろうと、そうでなかろうと。

そして、大量に飲酒しては物に当たることもあった。良くない酒飲みであった。おれも今では酒を飲むが、一人で黙々と飲むだけだ。ともかく、人に嫌な思いをさせることについては秀でた才能を持っていた。

 

秀でているといえば、学歴などは大したものだった。学生運動盛んな時期に早稲田の政経を出た。当時の進学率などを考えたらエリートだろう。頭はよかったのだ。

もっとも、本人も学生運動にはまったため、エリート企業や、役所に進むことはなかった。運動の伝手である出版社に勤めた。そこそこ有名な雑誌の編集長をしていたともいう。その会社は今も健在である。

 

お見合いで銀行員だった母と出会ったが、母曰く「何人かとお見合いしたが、そのなかで一番頭が良くて話が通じたから」とよく言っていた。決まってそのあとに酒乱と性格の悪さまでは見通せなかったと言うのだが。

 

没落へ

そんな父だったが、なにか気が変わって小さな会社に転職した。おれが生まれたころのことだ。

その後、さらに独立して会社を起こした。おれが小学生のころだ。勤めていた会社と揉めて、同僚を何人か引き連れて独立した。

ときはバブルのころだ。羽振りは悪くなかった。父は仕事においても大風呂敷を広げるのが得意で、舌先三寸で仕事を取ってきた。時代に比べて早めにIT化を取り入れるなど、先見の明もあった。

 

が、バブルは崩壊した。小さな会社もその影響を受けた。イケイケで社員を増やしていた父の会社はたくさんの負債を負うことになった。その頃から、大事な打ち合わせなどにも寝込んで行かないようになった。当時はただの仮病、現実逃避と思っていた。ただ、いま、自分が当事者になって思うのだが、あれは双極性障害(躁うつ病)の症状ではなかったのか。この障害は遺伝とは無縁でない。そうだとすれば同情の余地はあろう。

 

とうぜんのことながら、会社は傾いた。さらに父は糖尿病(2型)を患っていた。それでも酒は飲みつづけ、寝込むことは多くなった。会社はだめになった。借金で実家は売り払うことになり、一家離散となった。おれも育ってきた街から夜逃げのように去ることになった。

 

一家離散その後

おれは一人暮らしをすることになった。父と母が同居した。父はもう働くのをやめ、家に引きこもるようになった。母が働いた。それでも、母に対する精神的な嫌がらせは続いた。その頃はDVという言葉もなかったか。その後、弟が父と母に合流した。おれはだいたいの場所以外、三人がどこに住んでいるのか知らない。父とは二十五年くらい顔を合わせていない。会ったらどうなるかわからない。

 

長男として母をサポートしなくてはならないし、母にはいろいろと迷惑をかけてきたので、その恩は返さなくてはならない。とはいえ、おれ自身も精神疾患を発症して、手帳持ちの障害者になってしまった。生計も身の回りのことももなにも自分のことで精一杯というのが正直なところだ。精一杯やったところで、できることも限られる。そこで、訳あってかなくてか働いていない弟に父と母のことは任せた、ということにしている。働かなくてもいい、母を支えてやってくれ。弟がなにを思い、考えているかはしらない。弟も父を憎んではいる。まあともかく、おれは少ないながら金を稼ぐ……。

 

医者を見下す傲慢の果て

父は、あらゆる人間を見下す人間であった。自分の頭の良さについて非常に傲慢だった。自分がこの世で一番頭がいいと思いこんでいる。狂っているといってもいい。センスについてもそうだった。

 

だが、今のおれが客観的になろうとつとめて見るに、確かに父は頭がよかった。センスもあった。家族としてではなく、見ず知らずの他人として会話するのに魅力的とも言える人間である。それゆえに、会社を起こしてついてくる人間もいたのだし、一時はイケイケになれたのだろう。……思えばそれも双極性の人間らしいと思うのだが。

 

医者についてもそうである。なぜか医者というものを見下し、毛嫌いした。自分の不摂生を責められることが我慢ならなかったのだろうか。病院で少しでも気に入らないことがあると、すぐに喧嘩になり、出入りできなくなる。暴力行為をして警察を呼ばれるようなことはしない。ただし、トラブルになる。暴言を吐く。もう、そこには行けなくなる。これを繰り返す。しまいには、通える医者がなくなる。

 

そんなわけで、あからさまに異常な精神状態もどうにもならなかった。まだ実家があったころ、母が一人で精神科を頼ったこともあったが、「本人が来なければ話にならない」と門前払いであった。本人には病識がなかったので、いくら勧めようとも精神科にかかることもなかった。おそらくは双極性障害的ななにかと、アルコール依存、それを深めるばかりである。大の大人のそういう家族がいた場合、どうすればいいのだろうか? あらゆる手段を使って、強制的に入院させる必要があったのだろうか。

 

一家離散のあとは、糖尿病の治療も受けなくなった。引っ越した先でも、行ける病院がすぐになくなったのだ。そして、自分で食餌療法と称するものを始めた。これがだれかのインチキ療法や教祖様に頼ったのならまだましだったのかもしれない。プライドだけは高い父にそういう発想はなかった。まったくの自己流にすぎなかった。病院にも行かないので、数値がどのようになっているかなどもまったくわからなかった。ただ、生きているから問題ないというスタンスで本ばかり読んでは、テレビに文句を言う、そんな生活を送っていた。

 

人工透析へ

そんな父が、二年ほどまえだろうか、脳梗塞だかなにかで救急搬送されることになった。もう命が危ないということで、おれは100円ローソンで黒いネクタイと黒いソックス、そして数珠を買った。喪服は持っていた。準備は万端だ。だが、父は死ななかった。

 

死ななかったが、手術の際の検査結果で、内臓の方がかなりやばいことがわかった。今すぐ人工透析が必要ということになった。医者嫌いの父も、さすがに目の前の死は怖かったらしい。人工透析を受けることを選んだ。

 

脳をやったせいで、身体の移動もますます悪くなった。それでも家の中では暴君のように振る舞うのは変わらなかった。しばらくは透析にも大人しく通っていた。

 

しばらくは、だ。しかし、ある日ブチ切れた。自分より後に入室した患者が先に透析をはじめた。送迎のバスで遠回りになって先に帰れない。そんなことで、もう透析には行かないと暴れ出した。そして、ネット通販で買って隠していた酒を飲みはじめた。

 

病院もパニックだ。透析は、しなければ死ぬ。とにかく迎えにいくという話になった。しかし父は、もしも迎えに来たら警察を呼ぶとさらに暴れる。それを知らされたおれは「死んだあと保護責任者なんとかになったら厄介だから、証人として警察を呼ぶというならそうさせたほうがいい。あと、自分の意思で透析に行かないという証拠の発言を録音しておおいた方がいい」と母に言った。

 

おれはそのまま父が死ぬと思って、少し安心した。今度こそ。しかし、厄介なことにまた死ぬのが怖くなったらしい。まだ通える、透析ができる新たな病院に通うことになった。もう、他に通えるようなところはないらしい。ここでトラブルを起こせば最後だ。転院にともなうしばらくの間、送り迎えなど、また母が苦労することになった。母はまだバリバリ働いている。そしてまだ、父は透析を受けて生きている。

 

ちなみに、父には軽度の知的障害と重大な内臓の身体障害を持った双子の弟がいる。おれの叔父である。祖父の死後、かなりの額を寄付した施設に入って暮らしている。その叔父がこのごろ癌の宣告を受けた。その叔父の世話も母の役割になっている。自動車が必要なのだが、おれも弟も車がない、自動車の運転もできない。

 

思い出すネットの炎上

このような状況になって思い出したのが、フリーアナウンサーがブログで炎上した件である。「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!」。世間の避難を浴びて、彼はいろいろな仕事を失った。

 

さて、おれはあの件が起きたときどう思い、どうネットに書き込んだか。無論、あの元フリーアナウンサーを非難したと思う。事実にも誤認はあるし、社会正義や倫理にも反している。ろくでもない人間にもそうなった理由はあるし、本人の責任だけに帰せる話ではない、などなど。

 

が、今のおれはどうだろうか。身内に自業自得としか思えない、社会の迷惑でしかない透析患者がいるのだ。社会の迷惑かどうかはともかくとして、家族の迷惑であることは確実だ。いや、やはり社会にとっても害でしかない。これに金銭的、人的コストがかかってよいものだろうか?  このような人間まで助けていたら、いよいよ社会は成り立たないのではないか? 社会のために、となると、社会の人々を人殺しにしてしまうので、そのせいにはできない。あくまでおれ一人、おれ一人の感覚としては、一刻も早く死んでほしいと思っている。

 

さて、フリーアナウンサー氏とおれの間に何の差があるのか。そのように自問自答しないわけにはいかない。根っこのところで、あの意見に賛成する自分がいたのではないか。ただ、実感としてわかっていなかっただけで。はたして、おれに他人を非難できるような資格があったのか? あるのか?

 

社会、家族、個人

社会正義と個人の事情の間にあるもの。これについて考える必要がある。「どんなろくでもない人間でも、基本的人権がある。生きる権利がある。みんな救われなくてはならない」。正論だ。だが、我が身についてそうなると、心が納得していないので、正論を言う資格をとたんに失ったような気持ちになる。
我が身、と書いた。無論、父と子は別人である。他人である。よく知らぬ他人の事情を知って、それに死ねと言えるだろうか。言う権利があるだろうか。そういう意味では、おれが父と子の関係を「我が身」と言うのは誤りかもしれない。

 

とはいえ、おれはこの人間がいたから生まれてきたのも確かな話である。べつにおれが望んで生まれてきたわけでも、これを父と選んだわけでもない。それでも、血のつながりというものは否定できない。そして、血のつながりばかりでなく、その家庭で育てられてきたのも否定できない。ある家族という名前の共同体の一員ということになる。

 

社会と、家族、個人の感情。ますますわからなくなる。連帯責任というべきなのか、おれは社会に対して頭を下げる必要があるのかもしれないと感じるのは確かだ。おれには自分の父をどうにかすることができなかった。その責任は感じる。あるいは、母を十分に助けられないという責任も感じる。

 

自助、共助、公助などというが、その逆をなんというのだろうか。人間というものは、自分自身以外について、家族について、どれだけの責任があるのだろうか。責任をとるべきなのだろうか。

 

まあ、少なくとも一つはグッドニュースがある。おれも弟も、この血統を残すことがないということだ。不幸は再生産されない。おれも弟も生きている限り社会にとって迷惑だろうが、それが終わるまでは我慢してほしい。

 

介護は多くの人に他人事でない

この現状を介護と言っていいかどうかわからないが、今後高齢化社会に突入して、介護の問題も大きくなっていく。人間老いれば認知症その他脳の疾患などで、人格が様変わりすることはある。昔から厄介な親を抱えているような人もいるだろうし、とてもよい親が突然様変わりすることもあるだろう。そんなとき、社会正義、常識、倫理観と、自分のなかに生じる憎悪、悪意、差別意識とどのように折り合いをつけるかということも問題になってくるだろう。実務的な面も大いに論じられるべきだろうが、このような人間内面の心持ちについても考えなくてはならないだろう。

 

おれについて言えば、畢竟、自分の手で始末をつけなくてはいけないと思うところがある。べつに母のためでも弟のためでもない。他人を言い訳にしてはならない。人は一人で生きるしかないし、一人でなさねばならないこともある。すべては自分が背負ってきた人生のことであるし、自堕落に生きてきたおれにも、決断というものが必要になるときがくるかもしれない。そのときできるか、できないかで、おれの人生の最終的な価値も決まるだろう。

 

しかし、なにが本当に価値なのか、考える必要はある。そしてそれは、誰にとっても「わがこと」になる可能性がある。そのときに対応できるように備えておいたほうがよいだろう。金を稼ぐ能力のある人は、金を貯めておいて間違いはないとは言える。余裕ができる。それは悪いことじゃない。そのくらいしか言えない。

 

 

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【著者プロフィール】

著者名:黄金頭

横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。

趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。

双極性障害II型。

ブログ:関内関外日記

Twitter:黄金頭

Photo by :Marcelo Leal