学校の歴史の授業中、よくふしぎに思っていた。

江戸時代に外国語を話せた人は、どうやって習得したのだろう?

 

辞書の入手も大変だっただろうし、そもそも最初はローマ字すら見たことがなかったはずだ。

それでも蘭学者は多くの蘭書を読んだし、オランダ商人と武器の取引をしたし、宣教師から洗礼を受けた。

いったい、どうやって?

 

杉田玄白はオランダ語の知識なしにどうやって翻訳したのか

そんな疑問を思い出したきっかけは、特許翻訳をしている水野さんによる『語学力ゼロで8ヵ国語翻訳できるナゾ』という本だ。

本書のなかでは、そもそも「翻訳=高い語学力が必須」というのは思い込みだと書かれている。

たとえば、日本語で「ジェット機」のウィキペディアを見てみると、

ジェット機(ジェットき)とは、ジェットエンジンを用い、その推力によって飛行する飛行機である。
ジェットエンジンにはターボプロップエンジンも含まれるが、ターボプロップエンジンでプロペラを駆動する飛行機は一般にプロペラ機に分類される。一方、高バイパス比のターボファンエンジンは推力のほとんどを燃焼ガスによるジェット噴流ではなくエンジン前方のファンによって得るが、この場合はジェット機に分類される。
出典:ジェット機(Wikipedia)

と書いてある。なるほど、わからん。

母語であっても、専門的な文章になるとまったく理解できない。外国語の専門文章となれば、語学力がいくらあっても足りないだろう。

 

本書の「オランダ語を読めずに『ターヘル・アナトミア』を訳せた秘密」という節では、杉田玄白の翻訳に関して、このようなことが書かれている。

 

・狭い範囲に絞り、必要な内容だけを勉強すればいい
・杉田玄白に必要なのは人間の身体に関するオランダ語の知識のみ
・そもそも特許翻訳なんて知らない言葉ばかりなので、それを語学力でカバーするのは非現実的
・語学力よりも論理的思考と母国語の能力を磨いたほうがいい
・そうすれば、辞書や専門書からの類推などで訳をあてることができる

 

つまり杉田玄白は、人間の身体に関するオランダ語のみに焦点を当てて勉強し、わからない単語は論理的思考と母語の能力で訳していったのでは、ということである(実際に訳したのは杉田玄白ではないらしいが……)。

 

未知の言語でも論理的な思考と母語の能力で訳語を見つけ出せる

語学力なしでの翻訳に関して、筆者・水野さんが、学んだことがないドイツ語の単語を訳した方法が紹介されている。

染色に関する「Klotz-Kaltverweil」という単語を独和辞典で引いても該当単語はなく、とりあえず「Koltz」が丸太や積み木という意味だとわかった。

 

ドイツ語は複合語が多いので、「Kaltverweil」は複数の単語がつながっているのではないかと推測。しかし、単語の切れ目がわからない。

なので、「Ka+ltverweil」「Kal+tverweil」「Kalt+verweil」と区切りをずらしながら辞書を引いていく。そこでkaltは冷たい、verweilは滞在という意味だと判明。

 

しかし、「冷たく滞在する丸太」では何のことだかわからない。

そこで独英辞典を引いてみると、「Klotz」が英語の「pad」に当たることがわかる。

 

そこで水野さんは、染色に関する日本語資料のなかに、「パッド」という言葉が含まれていた単語のことを思い出す。「コールドパッドバッチ染色」だ。

有料データベースの検索で訳語が適切だと確認できたので、「Klotz-Kaltverweil」は「コールドパッドバッチ染色」と訳したのだそう。すごいね……。

 

翻訳=語学力だと思いがちだが、「コールドパッドバッチ染色」なんて日本語は日本人でもたいていの人は知らないのだから、語学力ではどうにもならない。

翻訳は語学力の勝負ではなく、論理的な思考と母語の能力をフルに使い、ひたすら情報収集し、多くの可能性を検討していく、地道な作業だ。

 

ほかにも水野さんは、複数言語で出版されている専門書を見比べて訳語をあてたり、ときには海上保安庁に問い合わせて船に関する専門用語の意味を教えてもらったりしたらしい。

 

たったひとつの単語を訳すのに、いったいどれだけの時間を費やしているのだろう。

とてつもない根気だ。

そこでわたしは、「やっぱり根気は必要だよな」と確信したのである。

 

根性論は悪だが、同時に「継続は力なり」が正しいという矛盾

ちょっと話は変わるが、ゆとり世代はつねづね、「根性なし」のレッテルを貼られてきた。

新卒がすぐ辞めるだの、怒ったら仕事に来なくなっただの、ただの指導をパワハラだと騒ぐだの……。

 

しかし「やる気あんのか! できるまでやれ!」という一昔前の主張は時代遅れとなり、いまは「無理しなくていいよ~。自分の気持ちが大事だよ~」という風潮に変わってきている。

 

一度きりの人生なのだから、つらい思いをしてまでなにかに固執するよりは、もっと楽しいことに時間を使ったほうがいい。

そう思う人が増えているし、わたしもそう思う。

 

でもその一方で、「なんでもかんでも『イヤだから』と投げ出すのはいかがなものか」とも思っていた。

なにかを成し遂げるためには、継続が必要不可欠だ。

 

無理してまでやり続ける必要はないにせよ、だからといって「自分がやりたくないことはやらなくていい」という結論でいいのだろうか。

いやでも、「なにがなんでもやり遂げるべき!」という根性論には賛同できないしな。うーん……。

こんなモヤモヤがあったのだが、翻訳の話を読んで、わたしは「根性」と「根気」を混同していたことに気が付いた。

 

根性という忍耐力と、根気という継続力のちがい

ここで、この記事内における「根性」と「根気」の、わたしなりの定義を示しておこう。

 

「根性」をオンライン辞書でひくと、「物事をあくまでやりとおす、たくましい精神。気力」と出てくる。

「根性なし」はすぐ諦める人のことを指すことを考えても、「根性」はつらくても我慢する忍耐力という意味のようだ。

 

では根気はとうと、辞書では、「物事を飽きずに長くやり続ける気力」と書かれており、継続力に重きが置かれている。

忍耐力の「根性」と、継続力の「根気」、という感じだ。

まぁ「根性」の意味に「根気」を挙げている辞書もあるから、あくまでわたしなりの解釈だけども。

 

根性論が「悪」だと言われる理由は、単純に「限界がくるから」だ。

根性で耐えた結果、スポーツ選手がケガしたり、従業員がストレスによって病気になったり、なんて話はどこにでもある。

 

限界を迎えて不幸な結果になるかもしれないから、「根性論はもうやめよう」となった。

その一方で、継続の大切さに異議を唱える人はいないだろう。

 

いくら根性論が悪になったからといって、「じゃあ気に食わないことはすぐに投げ出していいんだね」と言われると、「いやそれはちがう。ちゃんと続けるべき」となるし。

矛盾しているように聞こえるこの2つの考えは、「根性という忍耐力で無理する必要はないが、根気をもって継続することは大切」という意味だったのだ。

 

根性はなくとも継続スキルの根気は失うな

特許翻訳者である水野さんは、根性という忍耐力で翻訳しているわけじゃない。

継続力という根気強さで、ひとつひとつ丁寧に言葉を調べ、翻訳しているのだ。

 

継続力とは、ひとつのスキルである。

時間を決めて習慣化する、小さな目標を着実にクリアしてモチベを上げる、自分のためのご褒美を用意する、など、継続スキルを身に着ける方法はいろいろある。

 

「つらいならやめてもいい」「諦めてもいい」というのは精神的な根性の話であって、「面倒ならやらなくていい」「投げ出していい」というスキル的な根気の話ではない。

 

スキルは習得できるものだから、「継続力がないから投げ出します」は、ただの甘えなのだ。

「それならばスキルを身に着けてちゃんと最後までやりとおせ」という話である。

 

とはいえ、言葉を使うほうも使われるほうも、根性と根気を混同しがちだ。

「つらいならやめてもいい」と言われたからって、面倒な作業を任されるたびにすぐに投げ出すのは、ただのワガママ。

「継続は力なり」だからといって、やりたくないことを無理に続けてストレスをためこむのは、自分を追い詰めるだけ。

 

嫌なことからは逃げてもいいのだ。わざわざつらい思いをする必要はない。

でもいつの時代でもどんな状況でも積み重ねは大事だし、継続することではじめて実を結ぶことも多い。

 

言語力の習得だって、ダイエットだって、ゲームのレベル上げだってそう。

恋人との愛情や職場での信頼関係だって、日々の積み重ねでつくりあげていくもの。

だから、根性はなくてもいいが、根気は失っちゃダメなのだ。

 

 

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【著者プロフィール】

名前:雨宮紫苑

91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&写真撮影もやってます。

ハロプロとアニメが好きだけど、オタクっぽい呟きをするとフォロワーが減るのが最近の悩みです。

著書:『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(新潮新書)

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