「ダビデ像」。

 

イタリア・フィレンツェのアカデミア美術館に展示されている、世界的にも有名な彫刻である。

この「ルネサンスの傑作」と呼ばれる彫刻は、美術の授業では必ず現れる存在であり、その名を知らない人はいないほどである。その姿を多くの人が何らかの形で知っていることだろう。

 

先般、そのダビデ像をめぐるこんなニュースが飛び込んできた。

場所はアメリカ・フロリダ州の小中学校。授業でこの「ダビデ像」の写真を授業で扱ったところ、校長が辞職に追い込まれたというのだ。

「ポルノだ」と訴えた保護者がいたため、と報じられている。

 

「うんこちんこうんこちんこ」

筆者の自宅は、小学校の隣にある。自宅で仕事をしている筆者にとって、午後の下校時間や放課後の校庭で遊ぶ子供たちの声は賑やかなものである。

そして、学校の近くを通れば、校庭から

 

「うんこ!ちんこ!うんこ!ちんこ!」

 

といった呪文が聞こえてくるのも珍しいことではない。

昭和の時代から変わらず「うんこ」「ちんこ」は、これくらいの年齢の子供にすれば、声に出して読みたい日本語の中でも上位を占めるようだ。それが何を指す言葉かも知っている。

 

そして、件のダビデ像をめぐる騒動である。

 

BBCなどによれば、同校では昨年はダビデ像を授業で扱うにあたって事前に保護者に通知があったとのこと。

「物議を醸しそうな話題や写真」について、学校が自分の子供に教える際、親は常にそれを知る権利があるそうで、今年はその通知がなかったことにえらく腹を立てた保護者がいたという。

 

そもそも、この学校が所在するフロリダ州では小学校3年生まで性の話題に触れることが禁じられているというから驚きだ。

 

正直に言おう。こんなものは、保護者による性教育の放棄、あるいは責任のなすりあいでしかない。

しかも今回は州法の規定を外れる小学6年生の授業だったというのだからなおさら呆れる。しかも、親一人の抗議がきっかけだというのだ。

 

仮に小学生の関心がおちんちんに向いたとしても

筆者は随分前に、実際にアカデミア美術館でダビデ像を見たことがある。

エントランスを抜け、最初のホールに足を踏み入れるといきなり現れるのがこのダビデ像である。5メートルを超えるこの彫刻がいきなり目の前に現れると、さすがに息を呑む。

(写真:筆者提供)

 

正直、いい大人の筆者だって、おちんちんに目は向く。筆者に限ったことではないだろう。

しかし大人だから、この筋骨が石で表現されているのだからすごい、ということを冷静に観察して、再び息を呑むのである。

 

子供ならなおさら、おちんちんをじっと見てしまうだろう。もしかしたら、そこにしか反応しないかもしれない。

しかし、それの何が悪いことなのだろうか。

 

「先生、なんでダビデさんはおちんちんを出しているの?」

 

そう聞かれたら教師や親が答えればいいだけのことだ。

他にもね、筋肉や骨を見てごらん。これが石でできているんだよ!5メートルもあるんだよ、すごいでしょう!

とも教えればいい。親がそこから逃げてどうするというのだ。

 

宗教的な背景については筆者にはすべては理解できないが、この騒ぎは「ポルノか否か」という話である。

「物議を醸しそう」という予言を、親が勝手に実現しただけ。いわば自作自演でしかないとすら感じている。

 

だいたい、6年生にもなれば、国柄に関係なく、少なくとも男児は自分のおちんちんをじっくり見たことだってあるだろう。いや、3歳児くらいでもそうなる。

 

線を引くのはいつだって外野

さて筆者が知りたいのは、この授業についての「子供たちの素直な感想や意見」だ。

そこについての情報を得られないのは残念なことだが、海外メディアでしか出来事を知ることができないので仕方ないのかもしれない。

 

しかし、世の中の様々な局面においていわゆる「ポリコレ」を叫ぶのは、外野の人間であることが多いということを感じている。

 

日本でもそうだ。

例えば、「障害者」という言葉は不適切だとして「障がい者」と表記すべき、という話である。

この際だから言っておこう。筆者は行政的にも「障害者」と認定されている一人だ。

 

そして筆者だけでなく、当事者からすれば、表記の話なんてどうでもいいことだと考えている人は案外多い。

なぜなら、表記が変わったことによって自分達の障害が楽になるわけではないからだ。ただ、外野が「害」という漢字はよろしくない、という重箱の隅をつつくような議論で盛り上がっているだけである。

 

当事者からすれば自分達をネタにしてこのような騒ぎを勝手に起こされ、障害を経験したことがないくせに騒ぐ人たちが「美しい」と評価されるほうが不快である。

昔からよくある「障害は個性」?ふざけるな、と言いたい。

 

外野が勝手に「普通の人」「そうではない人」という線を引いているのである。

そして的外れな余計なお世話を焼く。そのことによって困惑するのは当事者だ。

 

「グレー」の排除は是か否か?

さて、こうしたことは社会的な課題とされるレベルだけでの話ではない。日常的に起きていることである。

 

もとより日本には「路地裏」という場所があった。「吹き溜まり」と呼ばれるようなエアポケットも常にあった。そして今でもそこを必要としている人たちがいる。

しかし、全てにおいてクリーンで明るくしましょう、白黒つけましょう、という行き過ぎた風潮のために居場所を失ってしまった人たちは少なくないはずだ。

 

白か黒かはっきりと言い切れない、いや、あえて言い切らない「グレー」という場所を黙認し、それと共存していくことがこの国は上手だったはずである。

しかし、欧米文化への擦り寄りだろうか。線を引かなければ気が済まない人が増えている。

 

例えば、組織においては「ハラスメント」だ。

セクハラ、モラハラ、パワハラは論外としても、「テクハラ(=テクノロジーハラスメント)」、「セカンドハラスメント」なる言葉も出てきている。

テクハラというのは、ITスキルの高い人がいわゆる「情弱」をいじめるなどの行為。そしてもっと驚くのは「セカンドハラスメント」つまりハラスメントを受けたとして上司にハラスメントを起こすというものである。

 

もちろん筆者は、行き過ぎた根性論で部下を病ませてしまうのは違うとは思う。

しかし、そこには「ハラスメントか否か」という線引きはなかった。また、この線引きの正体は「マウント合戦」であることも少なくないと感じている。

 

もうひとつ筆者が衝撃を受けたのは、喫煙者に対して「タバコ休憩はずるい」という話が持ち上がっていることである。

筆者は喫煙者だが、タバコ1本、3〜5分。いや、急ぐ時は30秒で終わらせる。

 

ひと昔前なら、喫煙家かそうでないかについては「まあ人それぞれだよね」程度のことだった。しかし「休憩がずるい」となり始めているのである。

それならば、タバコを吸わない人も、通路でゆっくりコーヒーでも飲めばいい。なのに、やたらと対立を煽る文化はいつどこからやってきたのか。それはいいものなのかどうか。

 

これらの「線引き」が行きすぎると、ではタイマーをつけて休憩してくるように、となってしまう。

筆者には疑問しか残らない。

 

マウント合戦は何も生まない

筆者からすれば、これら全てのことは単なる「マウント合戦」ではないだろうかと思う。

 

「私は意識高い系」それは良い。ただ、他人を貶めることで満足することしかできない。

それは自分磨きでもなんでもない。他人の悪いところを必死で、重箱の隅まで探しているのである。

 

「私は社会問題を解決したい系」それは良い。ただ、何か特殊な事情を抱える人を下に見ているから、弱者と自分を比較して満足しているだけの人は少なくはないと思う。

 

「粗探し大国・ニッポン」。

 

それが何も生まないということに、薄々気づきながらごまかしながら生きることにどれだけの価値があるか?

「意識高いマウント」「弱者に寄り添う自分は優しいマウント」よりも、自分と向き合う時間を作ったほうが良いのではないだろうか。

 

見下す相手を探して余計なお世話を焼いている暇はないだろう、そういう人が山ほどいる。

はたまた、自分とじっくり向き合うことが怖いのだろうか。

 

 

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安達 裕哉(あだち・ゆうや)
ティネクト株式会社 代表取締役/ワークワンダース株式会社 代表取締役CEO
Deloitteにてコンサルティング業務に従事後、監査法人トーマツの中小企業向けコンサル部門立ち上げに参画。大阪・東京支社長を経て、2013年にティネクト株式会社を設立。
ビジネスメディア「Books&Apps」運営。2023年には生成AIコンサルティングの「ワークワンダース株式会社」も設立。
著書『頭のいい人が話す前に考えていること』(ダイヤモンド社)は累計82万部突破。2023年・2024年と2年連続で“日本一売れたビジネス書”に(トーハン/日販調べ)。
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(2025/6/2更新)

 

 

 

【プロフィール】

著者:清水 沙矢香

福岡県出身。2002年京都大学理学部卒業後、TBSに主に報道記者として勤務。社会部記者として事件・事故、テクノロジー、経済部記者として各種市場・産業など幅広く取材、その後フリー。
取材経験や統計分析を元に多数メディアに寄稿。

Twitter:@M6Sayaka

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Photo:Mateus Campos Felipe