「水谷さんのところは、もう断末魔の叫びをあげているような状態よ。商売をやめたくても、仕入れた在庫の代金を清算できないから、閉店することもできないの」

「へぇ、そうなのですか」

 

そんなことを私にバラしちゃっていいのだろうか。

地方のとある商店街組合事務局の仕事を岡田さんから引き継いでいる最中の私は、資料を整理する手を止めて、窓際の席でパソコンに向かう岡田さんを振り返った。

 

「そうよぉ。水谷洋装店と言ったら、昔は県内一の大店(おおだな)だったんだけどねぇ。水谷さんてね、若い頃はすっごい美人だったの。私たちは同じ高校に通ってたんだけど、高校時代の彼女はマドンナだった。高校卒業後は銀行に就職して、窓口の仕事をしてたんだけど、そこで水谷洋装店の社長だったお舅さんに身染められたの。『ぜひうちの息子の嫁に』って、お見合いを申し込まれてね。それで、水谷の跡取りと結婚したのよ」

「じゃあ、当時は羨ましいような玉の輿だったんですね?」

 

「そうなのよ。いいところにお嫁に行ったと思ったんだけどねぇ。それがこんな苦労をすることになるなんて。お舅さんが亡くなって、その後にご主人も50代の若さで死んでしまって、仕方なく彼女が会社を引き継いで、それからよね。商売が傾き始めたのは」

 

しみじみとした口調は、古くからの友人を哀れんでのものなのか、それとも世の無情を儚んでのものなのか、判断がつかない。

 

水谷洋装店は、商店街に軒を連ねる店舗の中では面積が広い。現在は80歳に近い岡田さんと水谷さんが20代だった頃は、確かに大店だったのだろう。

 

しかし、今ではユニクロをはじめ、郊外に行けば水谷洋装店よりも大きなロードサイド店がいくらでもあるので、現代における地方のアパレル店の中では、もはや店の面積も会社の規模も小さい方だ。

それでも、水谷洋装店は老舗中の老舗として、県内での知名度は今でも高い。ただし「高齢者の間では」という条件付きで。

 

「昔はテレビコマーシャルも流していたのよ。ほら、『オーダーメイドなら任せてちょうだい〜🎵』ってCMソング聞いたことない?」

「そうなんですか。私はこの県の出身じゃないので、昔のことは分からないです」

 

「あら、そう。まあ、とにかく昔はすごかったの。今では本店しか残っていないけど、昔は隣の◯◯商店街や△△商店街にも大きなお店があって、ご主人はこの地域の実力者だったのよ。ここの商店街が高度化する時も、彼は中心メンバーの1人でね」

「へぇ」

 

地域の実力者だったと言っても、先代の社長も親から譲られたものを漫然と引き継いでいただけで、商才は無かったに違いない。

その証拠に、かつて水谷洋装店と軒をつらねた他の地元アパレル店は、1990年代のうちにさっさと郊外へ進出したり、イオンに出店したりして、商店街には早々と見切りをつけているのだから。当然、そうした会社はECサイトでの販売にも早くから取り組んでいる。

 

時代を読む力のある社長が率いる会社が、この数十年の間に事業を成長させている一方で、水谷洋装店は縮小の一途を辿るばかりだ。

 

「今は組合もこんな状態だけど、昔は違ったのよ。平成の初め頃までは、ここらの商店主にはお金も時間もあったから、理事会や総会にもみんな出席してくれて、賑やかだったわ。昔の商店街にはパチンコ屋さんも多かったの。昔の商店って従業員が多くて、店主は店に居る必要がなかったから、旦那衆は昼間からパチンコを打っていたものよ。組合のゴルフコンペは月に2回。北海道から沖縄まで、視察旅行にもしょっちゅう出かけたわ。ハワイに行ったこともあったわねぇ」

「バブルでしたし、イオンもなかった時代には、商店街で買い物をするしかなかったですもんね。その時代は商店街にお店を出しているだけでお客さんが入ってきて、お金が稼げたんですね」

 

「そうそう。イオンが来てから変わっちゃった。みんな自分の商売が大変なことになって、街づくりやイベントどころじゃなくなってしまって」

 

イオンが来たらどうなるのかは、来る前から分かっていたことだっただろうに。迫り来る問題から目を背けて、ぼんやりしているからだ。

だいたい、実際にイオンの出店計画が持ち上がるよりも前から、地方のモータリゼーションと中心市街地の空洞化は始まっていたのである。準備と対策の時間はたっぷりあったではないか。

 

「高度化の事業を進めていた頃は、みんな夢を見ていたの。街をきれいに整備して、素敵なデザインのアーケードをかけたら、イオンにも対抗できるって信じていたのよ」

「だけど、商店街の高度化事業を進めながらも、同時に郊外にもどんどん進出して、しっかり稼いでる人たちは居るじゃないですか。なのに、水谷さんのお店ときたら…」

 

まるでシーラカンスみたい。

と、口に出すのは流石にはばかられた。岡田さんは水谷さんと親しいのだ。もごもごと口ごもる私を見て、岡田さんは「分かっている」という風にため息をついた。

 

「古いよねぇ、水谷さんのところは。いまどき生地から選んでドレスやスーツを仕立てる人なんて、ほとんど居ないもの」

 

そうなのだ。

高品質な生地と、腕の確かな仕立て職人が揃っていることが水谷洋装店のウリだが、もはやそうした服は消費者に求められていない。

噂をすればなんとやらなのか、そんな話をしているタイミングで、水谷さんから岡田さんに電話がかかってきた。

 

「はいはい。どうしたの?えっ?!えーーー…、う〜ん、そう…。分かった。ううん、気にしないで。大変ねぇ。仕方ないわよ、もうそういう歳なんだから。じゃあ、みんなにも伝えておくわね。はい、はいはーい。じゃあ、またねー」

「水谷さん、どうかしたんですか?」

 

「来月に予定してた温泉旅行がてらの高校同窓会、やっぱり行けないって。水谷さんのご兄弟が入院してて、どうも容体が良くないみたい。いつどうなるか分からないから、旅行はやめておくって」

 

「えぇっ。いいんですか?岡田さん、これが最後の同窓会になるからって、来月の旅行をすごく楽しみにしてたじゃないですか。水谷さんとも一緒に参加したかったんでしょ?予定を立て直したらどうですか?」

 

「いいのよ。他のみんなの都合もあるし。いいの、いいの。彼女が来れないのは残念だけど、楽しんでくるから」

「…そうですか?あの、ちなみにその温泉旅行のツアー代金って、おいくらなんですか?」

 

「…4万2千円」

「そうですか…」

 

「…………」

「…………」

 

「水谷さんは、その4万2千円が払えなくなったんじゃないですか?」なんて、わざわざ聞けなかった。けれど、岡田さんもその可能性を考えないわけじゃなかっただろう。

 

それから数ヶ月が経つ頃、私はある秘密を抱えるようになった。水谷洋装店の銀行口座から、遂に組合費の引き落としができなくなったのである。

 

銀行から受け取る振替不能通知書には、「残高不足」と記載されていた。

商店街の組合費は7,000円なので、つまり水谷洋装店の銀行口座には、もはや7,000円の預金も無いということだ。

 

こんな少額の支払いもできないほど窮しているのだろうか。

いや、もしかしたら幾つかの支払いが重なってしまっただけで、たまたまなのかもしれない。

確認を取りに水谷洋装店を訪ねてみたが、特に変わった様子は見受けられなかった。

 

「あの、水谷さんはいらっしゃいますか?」

「社長は外出中ですけど、何の御用でしょう?」

 

「いえ、あの。えっと…」

恐らく何も知らないであろうこの店のスタッフたちに、うかつなことは言えない。

 

「あっ、社長かえってきましたよ」

「良かった。あの、水谷さん。ちょっとすみません」

 

「あぁ、えぇ。組合費の集金よね?」

なんだ、引き落としができてないのを分かっていたのか。

 

「あの、それが。今月は、ちょっとピンチで…」

 

「そうですか!あっ、じゃっ、いいです!本当に!」

気まずさからなのか、汗と一緒に笑みを浮かべる水谷さんの表情に、こちらも何だか気まずくなって、無駄にテンション高く応じてしまう。

 

「払えるようになったら持っていきますから」

「いえいえ!ホント大丈夫なんで!」

払えるようになる日なんて来ないだろう。だいたい、組合費は無理して払うようなものではないのだ。あくまで任意加入の団体なのだから、今すぐにでもやめてしまえばいいだけの話だ。

 

そう勧めたいところだったが、それもできなかった。

 

もし組合を抜けるとなると、理事会にて水谷洋装店の脱退と、組合費未収の報告をしないわけにはいかなくなる。

けれど、他の理事(商店主)たちに水谷洋装店の資金不足を打ち明ければ、あっという間に商店街どころか地域全体に噂が回ってしまうに違いない。

せめて組合費の減免なり免除ができれば良いのだけれど、それも事務員の一存で決めることはできないのだ。

 

誰にも何も言えないとなると、私にできることはなかった。「水谷洋装店は遠からず倒産する」という秘密を抱えたまま、黙って成り行きを見守るしかない。

 

実を言うと、私が胸に収めている秘密はこれだけではなかった。ゼロゼロ融資で借りた借金返済の目処が立たないと聞く会社は、水谷洋装店に限らないのだ。

 

ゼロゼロ融資の返済や最低賃金の引き上げ、物価高騰、インボイス制度、深刻化する人手不足によって、ただでさえ経営の苦しかった中小企業は、これからますます事業の継続が難しくなっていく。

 

2024年以降は、これまで商店街を支えてきた企業の倒産、閉店、商店街からの撤退が相次ぐだろう。それらが明るみに出るまでの間、私はいくつもの秘密を抱え続けるのである。

 

 

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【著者プロフィール】

マダムユキ

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