「これがこの女の限界か」
と、冷めた気持ちでスマホの画面を眺める。画面の先にあるのは、私が10年余り観察を続けているスピリチュアル教祖のブログだ。
彼女は、かつて「子宮委員長はる」という活動名で、スピリチュアル界に「子宮系スピリチュアル」という新ジャンルを打ち立て、業界を席巻した人気ブロガーだった。
その人気の絶頂期には、テレビのバラエティ番組にもゲストで出演している。
ブログを更新するたびに2000以上の「いいね」を獲得していた絶頂期から早10年。
かつては絶大な人気を誇ったブログも、圧倒的だった求心力も、今では見る影もなく、すっかり「終わったコンテンツ」と成り果てている。
近頃は金集めにも人集めにも苦労しているらしく、春にオープンする予定のカフェの厨房には、スタッフを雇わず自らが立って料理を提供するそうだ。
ブログにアップされる試作メニューの数々は、お世辞にも「おいしそう」とは言えない。
人気が衰えた理由は、はっきりしているようで曖昧だ。
・若さが失われ、容姿が衰えたこと
・不倫や子供へのネグレクトを勧めるなど、不道徳な教義に対する世間からのバッシング
・ビジネスパートナーとしては理想的だった元夫との不仲・離婚・絶縁に至るまでの騒動
・壱岐島への移住
・宇宙、聖母マリア、龍、神道など。付き合う男が変わるたびに教義と信仰の対象がコロコロ変わり、一貫性がないこと
・活動名を何度も変えたこと
・欲望と直感に従い、本音をさらけ出して生きていれば男とお金に愛されて貢がれるはずが、金のかかるヒモと再婚し、元々の教義とは真逆の生き方をしていること
・頻発する内輪揉めと仲間割れ
そうしたいくつもの理由が絡まり合っているのだろう。
そのどれか一つが決定打になったわけでもない。これまでにいくつもの分岐点で彼女が選択を間違えるたび、少しずつファンが離れていったのだ。
かつて子宮委員長と子宮系スピリチュアル界隈の動向を熱心に追いかけ、Webメディアに記事を寄せて警鐘を鳴らしていたライターたちも、今では彼女に見向きもしない。
より旬でホットなトピックが巷に溢れているため、子宮系スピリチュアルのようなマイナーで、しかも流行遅れのカルトは世間の耳目もライターの注目も集めなくなった。
私を含めたネット上のトンデモウォッチャーたちが子宮系を熱心に追わなくなったのは、もはや子宮系スピリチュアルがウォッチ対象として「おもんない」のが1番の理由だが、社会に悪影響を及ぼす懸念がほとんどなくなったからでもある。
子宮系スピリチュアルは拡大しない。昔の新興宗教のように、信者を増やして全国各地に支部ができたり、莫大な資金力と政治力を持ったり、先鋭化して事件を起こしたりもしない。
その理由はひとえに、教祖に教祖たる器がなかったからだ。
教祖たる器とは、巧みな話術、威厳、包容力。
要するに、対面で他人をたらし込む強烈な魅力のことである。一目会っただけで圧倒されてしまう何か。その人が現れただけで、場の空気を変えてしまう何か。その何かを、俗にカリスマ性と呼ぶのだろう。
ネット社会におけるカルト教祖は、もとより対面で他者を魅了する能力には乏しいタイプが珍しくない。
リアルでの対人コミュニケーションスキルが低いからこそ、ネットに活路を見い出そうするのだから。
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記事の冒頭に、「子宮委員長はるは人気ブロガーだった」と書いたが、彼女は文章の力で世に出たインフルエンサーだ。
彼女を筆頭に、10年〜15年前に頭角をあらわしたスピリチュアル系インフルエンサーたちは、みな文章が巧みだった。
内容は荒唐無稽でバカげていても、短く断定的に言い切ることで説得力を持たせる。
それはブロガー界隈のインフルエンサーたち誰もが使っていたテクニックだが、そのテクの使いこなしが格段に上手い人たちが、ネット上で人気を博した。
しかし、情報発信の手段が文章から写真へ、写真から動画へとシフトが進むにつれ、大衆の人気もブロガーからインスタグラマーへ、インスタグラマーからユーチューバーやティックトッカーへと移っていく。
そうした抗いようのない時代の移り変わりの中で、上手く発信手段のシフトチェンジが出来なかった者は、次第に時代遅れな存在になる。
けれど、一個人が持つ能力には限りがあるのだ。
文章、写真、動画。たった1人で全てのジャンルにハイセンスなスキルを持つハイパークリエイターは存在しない。
自分と相性の良かった媒体が時代遅れになっても、ビジネスをやめるつもりがないのであれば、生き延びる道は2つ。
自分より高いスキルを持つ他人を使って流行にキャッチアップするか、例えファンが限定されてしまっても、己の道を貫き、残ったファンを大切にし続けるかだ。
平成に一時代を築いた新興宗教の教祖たちは、対面でこそ威力を発揮するカリスマ性を持っていた。
教祖のエキセントリックな魅力に魅了された多くの信者たちが、「教祖様に認められたい。気に入られたい。お側にいたい」と強く願ったからこそ、忠臣となって働いたのである。
教祖の能力は限られていても、それを補完する人材が多く揃えば揃うほど、カルトは組織化されて大きく育つ。
しかし、子宮系スピリチュアルにそうした動きは生まれなかった。信者の中に使える人材がいなかったからだ。
忠誠心が厚く有能な人材が集まらない原因は、教祖のカリスマ性不足に由来するところもあるが、そもそも子宮系スピリチュアルは「欲望に忠実であれ」とする教義の性質上、自らを律することのできる有能かつ勤勉な人間は集まらない。
努力と勤労を嫌う社会の落ちこぼれ集団になるのは必然なのだ。
そうした社会的弱者をいかに包摂していくのかが、カルト教祖として腕の見せどころだったはずなのだが、残念ながら子宮委員長は弱者がお嫌いだった。
壱岐島に移住した当初は、自分を中心とした子宮系コミュニティーを作ろうと私財と労力を投じていたが、その熱意は長続きしなかった。
口では「女たるものワガママであれ」と説きながら、いざ身の回りにワガママ女ばかりが集まってくると、彼女らの無能さと怠惰な性根にウンザリさせられたのではないだろうか。
子宮委員長は、見限ったファンに対して冷淡だ。生活基盤を捨ててまで壱岐島に移住してきたファンであっても、気に入らなければ罵倒し、約束していた仕事と給料を取り上げ、あてがっていた住居からも容赦無く追い出した。
現在はファンに向けた移住支援プログラムを終了させ、働き者で信頼のおける親族を呼び寄せて仕事を任せている。
ただ一つ大きなミスは、ファン以上に役に立たない金食い虫でコブ付きのヒモと再婚したことだ。
ヒモの扱いと金の工面に苦労させられているせいなのか、近頃は一気に老けこんで見える。生えてくる髪はほとんど白髪だと本人が告白しているが、加工済みの写真ですらフェイスラインのたるみやほうれい線が目立つようになった。
いかにうわべを装っていても、女の顔には苦労がにじみ出てしまうものなのだろう。
「女は仕事をしなくていい。家事や育児にも向いていない。嫌なことはせず、好きなことだけをして自分の機嫌をとっていれば、自然に男とお金に愛されるようになる。それが宇宙の法則なのだから」
と、うそぶいていた子宮系スピリチュアル教祖が、今では男に振り回されて、頭を白くしながら馬車馬のように働き、金の苦労をしているのである。
人間の一生とは、何と数奇で奥深いのだろうか。
カルトとしての子宮系スピリチュアルに、もはや見どころはない。けれど、現実の過酷さを味わうリアリズム文学としては、まだ見どころがある。モーパッサンの「女の一生」や、エミール・ゾラの「居酒屋」がお好きな方なら、私の言わんとするところを分かってくれるだろう。
「ある女スピリチュアル教祖の一生」という物語の結末を見届けるために、私はこれからも観察を続ける。
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【著者プロフィール】
マダムユキ
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