「今年度から諸々の支払いを集金じゃなく振込にしてもらえて、本当に助かりましたよ。おかげさまで、すごく楽になりました」

「え〜。本当ですか?助かってるのは私の方なんですけど。集金作業って本当に手間がかかるし時間も取られるので、負担感がすごくて…」

 

「いやぁ、前の事務員さんはわざわざお店まで集金に来ていただいてたのに、こんなことを言うのは本当に申し訳ないんですけど、実はこっちとしても負担だったんですよね。
忙しくても接客中の手を止めて対応しないといけないし、集金のためにお店に現金を用意しておかないといけませんから。
その点、振込だと自分のタイミングでできますからね。アプリからの振込だと手数料もかからないですし。
請求書もデジタルにしていただいて、管理がグッと楽になりました」

 

商店街にあるヘアサロンのオーナーにシャンプーをしてもらいながら、思わず口元がゆるんだ。

地肌を流れていく温かいお湯も心地よいが、何より「助かりました」「楽になりました」という言葉が胸に沁みる。

 

「そう言ってもらえると嬉しいです。請求書や領収書を紙で発行するのは大変なんですよ。

デジタルのままメールで送付させてもらえればあっという間なのに、発行した請求書をわざわざ紙でプリントアウトして、それを各店舗まで歩いて持参していたら、その作業だけで一日が潰れてしまいます。

現金での集金をご希望の場合は、領収書も用意しないといけません。

集金に来て欲しいタイミングはお店によって異なるので、それに対応していたら、集金だけで何日もかかる仕事になってしまうんです。

あと、集めたお金を入金のために銀行まで持って行く手間だって、地味にストレスですよね」

 

「そうそう。僕なんて、もう銀行の支店には全く行かなくなりました。最後に窓口を利用したのはいつだったのか、思い出せないくらい。現金を使わないので、近頃ではATMもほとんど利用してません。おかげで時間を節約できてますよ。時間って、本当に大事ですよね。
そもそも、お店に現金を置いて置くのも怖いんです。盗難や横領の恐れがありますから。キャッシュレス化やデジタル化は、お互いにとって良いことしかないと思いますね」

 

あぁ、商店街組合の組合員が全員、このヘアサロンのオーナーみたいな人だったらどんなに助かるだろう。

せめて、理事の中に一人でも話の分かる人が居てくれたらと思うが、現実は厳しかった。商店街組合の理事会は、その場所で代々商売を営んできた街の古株たちが中心となっており、その中に自ら事業をおこした若い起業家は一人も居ない。

 

昔ながらの商売から手法も意識も脱却できないままの人たちは、変化を嫌う傾向にある。

変わろうとするより変わるまいとする方向に努力するのだ。そのため、業務のデジタル化やキャッシュレス化は進めたくても進まなかった。

 

私が商店街組合の事務局を引き継いだ際、まず着手したのは業務の大幅な効率化だ。

前任の事務員である岡田さんは、昭和世代であるため仕方がないと言えば仕方ないのだが、現代のテクノロジーとは全く無縁の人だった。

 

計算は電卓。書類は紙に手書き。お金のやり取りは対面が原則で、支払いも受け取りも現金が基本というように、いまだに数十年前と変わらないやり方で仕事を続けていたのだ。

銀行では、振込はもちろん、預け入れや引き出しですらわざわざ窓口に並んでいたのには驚かされた。

 

「窓口だと手数料が高いですし、預け入れや引き出しなんて、すぐそこのATMで済ませばいいでしょう? どうしてキャッシュカードを作らなかったんですか?」

「だって、カードなんて必要ないもの。同じことが窓口でもできるのに、どうしてわざわざ機械を使うの?
毎日のように窓口に通っていたら、係の人だって私の顔と名前を覚えてくれるし、『今日は暑いですね』なんて声もかけてくれるようになって、お話ができて楽しいのよ」

「だけど、窓口で対応してもらおうと思ったら、わざわざ支店まで出向かないといけませんし、順番を待たないといけないでしょう?そういう移動と待ち時間って、無駄じゃないですか?
もちろん手数料も窓口だとATMより余分にかかりますが、そういう目に見えるコストだけじゃなくて、双方に時間と手間という大きなコストがかかっているんですよ」

「ええ?コストってどういうこと? 人と会って、話をすることがコストになるの?」

 

ここで、私たちはお互いに相手を宇宙人だと認識する。何をコストと考えて、何を便利だと感じるかの感覚が違いすぎるのだ。

私にとっては、例え歩いて10分とかからない距離でも移動の手間と時間が惜しいし、待ち時間は無駄の極みだ。窓口の人と対面でやりとりをするのもストレスに感じる。

 

けれど、岡田さんは逆なのだろう。後期高齢者である彼女にとっては、若い頃からの習慣を変えることこそがストレスであり、機械の操作を覚えることは大きな負担(コスト)となるのである。

人は便利にお金を払う。岡田さんにとっては、機械を自分で操作するより係にお任せする方が便利なため、窓口で高い手数料を払うのだ。

 

岡田さんのような人は、決して珍しくない。商店街には銀行の支店がまだ置かれているけれど、窓口はいつも朝から高齢者たちで賑わっている。

 

「こんなに利用者が多いんだから、ここの支店が閉鎖されるなんて事にはならないよ。何と言ってもここは商店街の支店なんだし、商売に利用している人たちが多いんだから」

商店主たちは自信たっぷりにそう言うけれど、どうしてそんなに呑気でいられるのか分からない。地方では、これから住民の高齢化と人口減がものすごいスピードで進もうとしている。つまり、今までは当たり前に受けられていたサービスやインフラが無くなるのは、もはや時間の問題なのだ。

 

彼らにも危機感はあるのだろうが、対策を先延ばしにしたまま「近頃はどこもサービスが悪くなった」「求人を出しているのに、ちっとも応募がない。いい人が来ない」と文句ばかり言っている。

 

変化を嫌うのは、必ずしも高齢者とは限らない。

ヘアサロンのオーナーは40代だが、彼と同じ世代の商店主でも、私がペーパーレスやキャッシュレス、押印廃止を進めようとすると怒り出す人たちがいた。

 

「ペーパーレスだのキャッシュレスだの、誰も喜ばないことは言わない方がいいと思うね。みんな、今まで通り請求書と領収証は紙で持ってきてもらって、現金集金してもらうのがいいに決まっているだろう! そんなことを言ってたら嫌われるから、気をつけた方がいいぞ?」

「うちは取引が多いから、何でも銀行振込にしちゃうと、記帳が大変なことになるんだよ。まったく、勘弁して欲しいね」

「給料をもらってるくせに、印鑑を押す手間さえ惜しむなんて信じられない。ちゃんと働けよ」

 

そう言われて唖然とした。

けれど、デジタル化に反対する人たちが居る一方で、提案を歓迎してくれる人たちもちゃんと居るのだ。

 

「ぜひぜひ、今後はデジタルにしてください。紙と現金のやり取りがなくなれば、こちらとしても大変助かります」

「あぁ、やっとですか。今どき紙の請求書や現金集金って、古いなと思ってたんです。失礼ながら、うちの社長は『組合が現金にこだわるのは、裏で何かやましい事でもやってるんじゃないか』って、疑ってたくらいですよ」

 

と、喜びの声も上がったからこそ、私も自分の正しさを信じられたのである。もし組合員である商店主たち全員と話が通じなかったら、とっくに心が折れていただろう。

 

デジタル化推進派と反対派の違いは明確だった。数は少ないものの、デジタル化を歓迎する事業者たちの店は評判も良く、こんな時代でも業績が上向きだ。

その一方で、「今まで通り」にこだわる人たちは斜陽だった。人が足りないのはどこも同じだが、彼らの店は特に離職率が高く、普通以上に人手不足に喘いでいる。

 

その様子を見て「そりゃそうだろうよ」と、心の中で悪態をつかずにいられない。人に手間をかけさせるコストを度外視して、業務の効率化に取り組まない経営者の元に、もはや若いスタッフや有能な人材が居着くはずがないのである。

それなのに、彼らは一体いつまで安い賃金で人をこき使えた昔の意識を引きずっているのだろうか。

「昭和の亡霊と平成の夢はいいかげん忘れろよ」と言いたくなる。

 

今はもう、かつてのように「どんな仕事でもいいから働きたい人」がだぶついていた時代とは違う。経営者からの理不尽な要求に労働者が耐える必要がないのはもちろんだが、これからは業種に関わらず、省力化していかなければ現場が回らなくなっていく。

どんなに経営者や消費者が人手をかけたサービスを望んでも、サービスを請け負う側の人間が猛スピードで社会から消えているのだから。

 

私も、この先いつまでも非効率な集金サービスを続けるつもりはない。いずれ仕事自体を辞めるつもりだからだ。私が辞めた後、この仕事を引き継ぐお人好しは居ないだろう。

私の辞職が早いか反対派の閉店が早いか、果たしてどちらだろうか。

 

 

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【著者プロフィール】

マダムユキ

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