『チーズはどこへ消えた?』といえば、1998年に米国で初刷が発売され、日本国内で450万部、全世界で2,800万部を超える大ベストセラーになった一冊だ。

僅か90ページあまりという薄さ、子供にも理解できる容易さでありながら、大人にこそ刺さる奥の深さで記憶に新しい人も多いだろう。

日ハム時代の大谷翔平選手が愛読書の一つとして挙げたことでも、注目された名作だ。

 

ではこの一冊、一体何がそこまで世界の人々を魅了したのだろうか。

以下、ネタバレにならない程度で少し、要約してみたい。

 

この本では、2匹のネズミと2人の小人が主人公として描かれている。

彼らはある日、迷路の中で溢れんばかりのチーズの山を発見する。

そして毎日その場所に足を運び、お腹いっぱい食べ続け、幸せな毎日を過ごす。

 

しかしチーズを食べ続ければ、いずれ無くなるに決まっている。

そしていよいよチーズが底をついた時、真っ先にその場を離れたのは2匹のネズミだった。

もうそこに希望はないのだから、新しいチーズを求めて次の冒険に出掛けたわけだ。

 

一方、小人2人はいつまでもそこを離れようとしない。

今までここにいて幸せだったのだから、この毎日がまだ続くかもしれない。

もしかしたら、明日にはまたチーズがどこからか現れるかもしれないじゃないか。

そう考えて二人は、連日その「チーズの跡地」に足を運ぶ。

 

そんな無駄な毎日を過ごしているうちに、小人の一人はその場所に見限りをつける決心を固めた。

「もうここにチーズはないのだから、勇気を持って旅に出よう」

しかしもう一人の小人はそれに反対し、とどまり続ける道を選ぶ。

 

物語の結論はそれぞれで確認して頂ければと思うが、ネットや書評サイトにあふれる読後感の多くは、こういったものだ。

「変化する環境に適応する重要性」

「恐怖を振り払い、変化を受け入れる勇気」

確かにこれらのメッセージ性は、物語の骨格だろう。

主要通販サイトでの著作紹介でも同様のメッセージで説明されているので、その事を否定するつもりはない。

 

しかし世界中の愛読者にケンカを売るようで恐縮だが、そのような“学び”は、余りにも一義的に過ぎるということはないだろうか。

この物語は、人間が持つもっと大きな「弱点」をこそ、物語っているということはないだろうか。

 

“毒まんじゅう”

話は変わるが、かつて地方のメーカーで経営の立て直しに携わっていた時のことだ。

様々な手を尽くしたものの、経営は上向かず現預金の流出を止める事ができない。

このままでは、時間の問題で法的整理も選択肢か…というところまで、追い詰められていた。

 

この状況にやむを得ず、最後の手段として事業の部分的売却に踏み切ることを決める。

収益性は低いが安定している稼ぎ頭の事業を売却し、ベンチャー要素の高い先進事業に集中しようという考えだ。

 

この際、買い手候補として3社が手を上げ、条件交渉を経て最終的に2社がビッド(入札)にまで残ってくれた。

結果、A社が買収額として10億円を、B社は6億円を提示する。

しかしこの際、B社の6億円の内訳は、直接の買収価額は3億円で、残り3億円は存続会社に対し転換条項付き社債での融資をするという変則的なものであった。

要するに「存続会社も安く頂きます」という“毒まんじゅう”を忍ばせる、あからさまな下心である。

 

(いくらなんでも、ここまで見え透いた条件を出すか。舐められたもんだな…)

 

両社の提示価額、条件の意味を経営トップに説明すると当然のこと、A社と契約を進めることが決まる。

そして経営トップ同士で口頭合意したその帰り道、B社に断りの電話を入れるのだが、ここからまさかの流れが始まることになる。

断りを入れたB社の社長が経営トップに面談を申し入れ、追加の条件提示をしてきたのだ。

そしてその条件というのが、要旨以下のものだった。

 

(1)存続会社に対し、毎月黒字が出る十分な売上を流す

(2)次の社長に、経営トップの息子を就任させる

 

この鼻薬を嗅がされた経営トップは、一瞬で翻意してしまう。

そして私を呼び出すと、こんな事を告げた。

 

「すまん桃ちゃん!売却先はやはりB社にするんで、A社に断りを入れてくれ!」

「社長、何言ってるんですか!すでにA社とは経営トップ同士で合意してるのに、通るわけ無いでしょう!」

「そこをなんとかするのがキミの仕事やろう、頼む」

「社長、そもそもそんな口頭での約束、本当に履行などされるわけないでしょう。せめて契約書に巻いてから決めるべきです」

「桃ちゃん、キミは仕事はできるかもしれんけど、人を疑い過ぎのところがあるぞ。俺はB社の社長を信じたんや」

「信じられるのであれば、契約書にするくらいすぐでしょう。なぜ拒むんですか」

「もうええ、もう決めたんや、これは決定事項や!」

「…」

 

こうして私は本当に、一度契約に合意したA社にその破棄を申し入れるため、一人で東京まで行くことになった。

いうまでもなく5分ほどで叩き出されるのだが、訴えられなかっただけまだマシである。

もちろん主要株主にもお詫び行脚に回るのだが、こんな形での主要事業の売却など誰からも理解を得られず、法人としても個人としても致命的に信用を失った。

 

こうしてB社に事業の売却を完了させると、程なくして私は取締役を辞任し、同社を去った。

言うまでもないことだがその後、“毎月黒字が出る十分な売上”などという口約束は1度も履行されず、さらに「毒まんじゅう」も行使され、同社はB社の100%子会社として吸収される。

わかり切っていたことであり、何の驚きもない元部下からの報告だった。

 

私はもういい年のオッサンなので、ビジネスパーソンとして経営者として悔しい思いをしたことなど、数えきれない。

理不尽な交渉や筋の通らない要求も、トータルで利益が出るなら条件次第で、笑顔で握手することも余裕だ。

しかしながらこの時の記憶だけは、今でも慣れることができない。

 

どうすればあの時、No.2としての職責を果たし、社長を止めることができたのか。

なぜ、あんな見え透いた毒まんじゅうを食わされることすら、阻止できなかったのか。

きっと死ぬ瞬間まで、あの時の申し訳無さと無力感を背負いながら、生きていくのだと思っている。

 

絶望という希望

話は冒頭の、『チーズはどこへ消えた?』についてだ。

「変化する環境に適応する重要性」

「恐怖を振り払い、変化を受け入れる勇気」

なぜこのような理解を、一義的に過ぎると考えているのか。

 

繰り返すが、このような理解は物語の骨格であり、何も間違っていない。

しかしそれは、文字を追っていけば自然に流れ込んでくるメッセージであり、いわば目に見える情報だ。

 

その一方で、もはやチーズなどないのに、そこに留まり続けることを決める人の心理は、何を表しているのか。

「偽物の希望ほど、タチの悪いものはない」

人が持つ、そんな心の弱さを描写しているのではないだろうか。

 

想像してほしいのだがある日、突然解雇され、預貯金も底をついた時、それはつまりチーズを食い尽くした状態だが、その瞬間にこんな声を掛けられたらどうだろう。

「指定されたところに行って現金を受け取るだけで30万円。そんなアルバイトしませんか?」

 

子供の学費や住宅ローンの支払いがあり、目先どうしてもお金が必要であれば、そんな偽物の希望に抱きつきたくならないだろうか。

これはさすがにあからさまであっても、もっと巧妙な誘いは世の中にいくらでもあるだろう。

人は心身ともに追い詰められると、まるで砂漠のオアシスのような偽物の希望を心に作り出して、それにすがってしまうということだ。

 

そして話は、私の失敗談についてだ。

あの時、経営トップは心身ともに追い詰められ、“偽物の希望”をキレイに見せてくれたB社の社長に一瞬で抱きついてしまった。

A社との話はセカンドベストで妥協をしたと思っていたところ、B社の提案はまさに理想に思えたのだろう。

しかしそれは、「その場に留まれば、またチーズが現れるかも知れない」という、心の中に作り出した偽物の希望に過ぎない。

そんな現実は、永遠にやってこない。

 

意外に思われるかも知れないが、「絶望」というものは、時に人を強くしてくれる。

もうそこに望みはないと諦めがつき、次に何をすべきかの選択に迷いが無くなるからだ。

チーズが無くなった瞬間に迷いなく旅に出た、2匹のネズミのように。

 

人生では時に、絶望のどん底で覚悟を決めることが、希望への最初の一歩になること。

偽物の希望を心に生み出し、それにすがることこそ、終わりのない絶望に沈んでいく本当の恐怖であること。

『チーズはどこへ消えた?』の本質的なメッセージは、そこにこそあるような気がしてならない。

 

 

 

 

 

【プロフィール】

桃野泰徳

大学卒業後、大和證券に勤務。
中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。

私はとにかくモフモフの生き物が大好きなのですが、中でもツンデレのウサギさんにはメロメロです。
先日は空気清浄機のコードを齧られたのですが、モフモフなので許しました。
モフモフなのでなんでもありなんです。

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fecebook:桃野泰徳

運営ブログ:日本国自衛隊データベース

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