もうずいぶん前のことになる。

あるIT業の業務改善プロジェクトに、私はいちメンバーとして参加した。

 

その会社のプロジェクトメンバーは全部で8名。期間は約9ヶ月だった。

経営陣肝いりの、それなりに大きいプロジェクトである。

 

そのため、プロジェクトマネジャーは、掛け値なしに優秀であった。

指示は的確で、果敢に新しいことにチャレンジするが、無用なリスクは取らず、守りが堅い。

メンバーとの関係も付かず離れずとバランスが良く、理想的な人物だった。

 

だが経験的に、プロジェクトメンバー全員が優秀であることはほぼない。

政治的な理由からか、教育効果を期待してなのか、リストラ予備軍だからなのか、それとも単なる人手不足なのか。

理由は様々だろうが、プロジェクトメンバーの中に、必ず2,3名はボンクラが含まれているのである。

 

そして、プロジェクトは一定の期間内に成果を出す、という厳しい制約があるため、無能の扱いを間違えると影響は甚大だ。

だが、もちろんカネをもらってやっている以上、プロジェクトの失敗を無能な人物の責任にはできない。

「◯◯氏が無能で、仕事が進みませんでした」

という発言は考えられる限り、最悪の弁明だ。

 

それゆえ「誰が優秀で、誰が無能か」をきちんと判定することは、プロジェクトの初期の大事な仕事の一つであった。

 

無能を見極めるのはたやすい

ただ、誰が有能で、誰が無能かを判断することは、実はそれほど難しいわけではない。

それは、「ボリュームは小さいが、ちょっと考えなければならない仕事」をいくつか投げてみて、その仕上がりを見ればよいのである。

 

例えば

「検査を行う場合、その合否の判定基準を出せ」

「レビュー項目を洗い出してほしい」

「下半期の営業のターゲットをどのように設定すればよいか」

のような非定型的なタスクは、一つの判断材料になる。

 

そして残念ながら、無能の人は、この手の仕事がとても苦手だ。

締切ギリギリになって、表面的に取り繕った物が出てくれば良い方で、ひどいと

「考えてみましたけれど、わかりませんでした」

とか、締め切り当日になって「質問があります」などと言ってくる。

 

要は、彼らは非定型的な仕事について、目的や成果品のイメージを持つことができないので、「自分が今までやってきた作業」から逸脱すると、途端に仕事がスタックしてしまう。

 

逆に有能な人は、仕事の目的を把握するのが早く、アウトプットの粒度や、所要時間などについてのイメージを形成するのが早い。

また、本質的に「良いアウトプット」を出すことへの強い決意がある。

 

そして、当時私に仕事を教えてくれた人物である、リーダーのUさんは、「無能」の見切りが恐ろしく早く、正確だった。

「ベテランだけど彼は無能だから、このタスクはあの若手に振れ」とか

「彼女には任せるな。絶対遅れるぞ」とか

「彼は返事だけはいいが、考えるのが苦手だから、指示はできる限り詳細化しろ」

と言った具合だ。

 

無能には会議のときに話を振るな、恨まれる。

そのUさんが、仕事を進める上で、とても注意していたことが一つあった。

 

それは、ある会議でのことだ。

私は、意見を募ろうと、一人ひとりに発言を求めようとした。

しかし先輩は、途中で私を制止した。

「一人ひとりに聞く必要はない」

 

Uさんはプロジェクトマネジャー、および僅かな「有能」と目される人物だけに意見を求め、さっさとディスカッションを終わらせた。

 

私はUさんに休憩中に尋ねた。

「なぜ、一人ひとりに聞く必要はない、とおっしゃったのですか?」

Uさんは冷徹に言った。

「無能なやつには、意見を聞いても、ろくな話は出てこない。時間がもったいないし、会議の場は誰かを貶める場所ではない。」

「しかし……プロジェクトのまとまりを出すために、参画意識は重要では?」

 

Uさんは首を振った。

「やめとけ。無能に話を振っても、安達さんが恨まれるだけだ。」

「なぜです?」

「彼らはろくな意見を言えない、すると周りの人間はそいつをバカにする。」

「そんな嫌な人はいないでしょう。みんな大人です。」

「そうかもしれないが、内心は「なにいってんだこいつ」と思うだろう。無能は自分がどう思われているかを非常に気にするから、そういった空気には敏感なんだよ。」

「……」

「で、そういう奴は「意見が言えないのは自分が無能だから」とは絶対に思わない。」

「どう思うんですか?」

 

Uさんは笑った。

「話を振ったやつが悪い、と思うんだよ。」

「……。」

「だから、無能には会議のときに話を振るな、恨まれる。」

 

Uさんは信用できない

告白すると、私はUさんのあまりにも合理的すぎる態度を「信用できない」と感じていた。

 

それはUさんが人を「無能」呼ばわりすることについてではない。

無能なのは事実だし、仕方がない。

私が彼を「信用できない」と感じたのは、「無能」と「有能」の評価が天と地ほども違うのに、それを絶対に表に出さないことについてだ。

 

Uさんは表面的には、「無能」と「有能」を全く区別していなかった。

「態度」

「会議への出席頻度」

「与える情報量」

そういったものものはすべて「平等」だった。

 

しかし、実際に仕事をやらせる上では、非常に厳しく区別をしていた。

発言を求めず、仕事を任せず、期待もしない。

裏では「あいつには絶対に任せられない」とか「最悪の発言だな」とか、「こんな仕事もできないのか」など、ひどい発言もあった。

 

そういった、裏表の激しい態度を、まだ若かった私は欺瞞だと思ったのだ。

 

だが、Uさんのプロジェクトは、ほとんどいつも成功した。

しかも興味深いことに、Uさんが「無能」と評していた方からも、ほとんど例外なくUさんは感謝されていた。

 

そう。驚くべきことに、感謝されていたのだ。

なぜなら彼は無能に優しかったからだ。

 

プライドを維持してやるコストを払った方が、仕事はうまくいく

ある時、私はUさんに尋ねた。

「なぜUさんは、無能な人に優しいのですか?厳しく接して成長を促す、ということもあるのでは?」

 

Uさんは私を蔑んだ目で見た。

「まだそんなことを言ってるのか。お前。」

私は何も言えなかった。

「いいか、まず大前提として、30歳近くになっても無能、ということは、そいつはほとんどの場合、一生無能だ。改善することもあるが、まあ、稀だ。」

「……。」

「だが、無能なやつはどこにでもいる。というか、世の中は無能がデフォルトなんだ。」

 

Uさんは言葉を継いだ。

「だが、無能を責めても、敵を増やすだけで何一ついいことはない。仕事なんてものは、多少我慢しても、無能たちのプライドを維持してやるコストを払った方が、うまくいくんだよ。」

 

私はUさんの実績を知っていたので、言い返すことは出来なかった。

「あとな、成長を促すなんて無駄だからやめとけ。ほとんどの育成は、費用対効果が合わない。育つやつは、勝手に育つ。」

「……そうですかね。」

「そもそも、全員が有能でなくとも、回る仕組みを作るのがリーダーだろうが。それをやっているだけだ。」

 

正直に言うと、私はUさんの意見を当時理解することは出来なかった。

だが、今振り返れば、Uさんのやっていたことは「最も合理的なリーダー像」の一つであることは間違いない。

その考え方が好きかどうかは別として。

 

 

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