数日前、「脱オタクファッション」について当時を知る人々とおしゃべりする機会があった。
1980~2000年代は、オタクとみなされることが社会不適応者の烙印たりえる時代だったから、そうしたマジョリティからのオタク差別をかわすための擬態として、「脱オタクファッション」を求める向きが存在していたわけだ。
ところで、オタクが差別の対象となる時代は、オタク界隈が日陰者の隠れ家たりえる時代でもあった。
オタクが社会不適応者の烙印だったからこそ、社会不適応者にとってオタク界隈がアジールたり得た、とも言える。
当時のオタク界隈はカウンターカルチャーとして機能していた、とも言えよう。
そのことは、当時の景色からも、そこで生まれたコンテンツからも、そこで育ったクリエイターからも言えるだろう。
社会のマジョリティからは蔑まれても、内部に独自の価値観やステイタスを持ち、「マジョリティの価値観やステイタスから距離を置ける社会空間」としてのオタク界隈。そこに救われた人はけっして少なくなかったはずだ。畢竟、成功したカウンターカルチャーとはそういうものではないだろうか。
ところが00年代後半以降、オタク差別は次第に解消され、オタク界隈で育まれていたコンテンツやクリエイターが広く支持されるようになっていった。オタクという言葉の響きも、のっぴきならないものからライトなものへと変化した。
それはカウンターカルチャーとしてのオタク/オタク界隈の終わりの合図でもあった。控えめに言い直すなら、オタク界隈がマジョリティに親和的になった、とするべきだろうか。
コンテンツで例示するとしたら、たとえば00年代なら『涼宮ハルヒの憂鬱』であり、10年代なら『君の名は。』であり、20年代なら『超かぐや姫!』あたりが事態をよく物語っていると思う。
それで良かった、とも言える。
オタクがマジョリティになっていくと同時に自分自身も社会に馴染んでいき、社会へと組み込まれていった世代にとっては特にそうだ。
しかし、カウンターカルチャーとしてのオタク界隈が終わった後、社会不適応者がたゆたっていられるカウンターカルチャーはどこに行ったのだろう?
サブカルチャーからカウンターカルチャーへ──オタクの誕生
本題に入る前に、カウンターカルチャーとしてのオタクについて少しだけ振り返っておきたい。
社会学者の宮台真司らは、『サブカルチャー神話解体』のなかでオタクの出自として1973~76年頃の東京有名私立校などの一部の若者たちを挙げている。
73~76年、東京の有名私立校などの一部の若者たちによって原新人類=原オタク文化が混融した形で担われていたが、77年以降にメディアを通じて性や恋愛と結びつく形で新人類的なものが上昇を開始すると、新人類的なものとオタク的なものの担い手が対人能力によって分化し始め、オタク系メディアの物語世界が「ついていけない人間」に対する「救済コード」として機能しはじめる──。
ここでいう新人類とは、1970年代にオタクと袂を分かち、20世紀末のサブカルチャーの主流派となっていったグループだ。
宮台らによれば、76年あたりまではオタクと新人類は首都圏の良い学校に通っている良家の子女を共通祖先としていたが、コミュニケーションを志向し異性関係に開かれていく新人類と、そうではないオタクに分派していったという。
1983年には新人類のオピニオンリーダーの一人である中森明夫によるエッセイ「『おたく』の研究」が雑誌『漫画ブリッコ』に掲載され、これ以降、オタクには根暗な社会不適応者の集まりというスティグマが貼りつけられるようになった。
当時を憶えている人なら、1988~89年に起こった東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の犯人についての報道がそれに拍車をかけたことも思い出せるだろう。
かくして、オタクとオタク界隈は社会の表舞台から遠ざけれた。
新人類が若者文化の雛型として持て囃されるのをよそに、アニメやゲームに傾倒している人も、外見からそのように見える人も、まともに区別されることなくオタクという一言でまとめられ、蔑まれ、アンタッチャブルな人物とみなされた。
この時期、NHKはオタクという言葉を放送禁止用語にしているが、それぐらい、オタクとみなされること、オタク呼ばわりされることは社会適応にかかわる大問題だった。
オタク界隈に通じている人々もそれは自覚していて、オタクたちは自分達の対義語として「一般人」や「カタギ」といった語彙を用いていたし、コンテンツの作中描写、たとえば『ああっ女神さまっ』などにはオタクが社会不適応者らしい姿で登場している。
だが、それは悪いことばかりでもなかった。大人たちや若者文化のマジョリティに忌避されたからこそ、当時のオタク界隈はカウンターカルチャー(のひとつ)として機能した、とも言える。
新人類とそのフォロワーの嘲笑をよそに、この時代のオタク界隈はコミュニケーションの苦手な者のアジールとして機能する側面を持っていた。
自分の好きなアニメの話になるとマシンガントークをしてしまう人、独り言がやめられない人、いつもオフ会の時間に遅れてくる人、新人類的なコミュニケーションや恋愛に嫌悪感を持つ人でも、仲間意識を持ちあえる場所だった。
社会から後ろ指をさされかねない者同士、そのようなコンテンツをシェアしている者同士という仲間意識が、お互いを結び付ける一助になっていたのは想像にかたくない。
少なくとも地方在住の私には、『アドバンスド大戦略』や『機動戦士Vガンダム』や『痕』といった個々のコンテンツの話題が通じる相手であるだけで「友達」のように感じられた。
それからクリエイターを揺籃する地としてもオタク界隈は機能した。
大人文化はもちろん、若者文化の主流派からも距離を置いていたからこそ、許される表現や試される表現があった。
『Fate』シリーズなどの那須きのこ、『魔法少女まどか☆マギカ』などの虚淵玄、『君の名は。』などの新海誠は、この時代・この界隈で頭角を現したクリエイターだ。
ボカロやゆっくり実況、今日のアニメ表現の少なからぬ部分でさえ、この時代のオタク界隈から受けた影響は小さくない。
若者文化の主流派からパージされていたからこそ、2010年代以降に台頭していく表現や感性の種が蒔かれたといえる。その種を育てたのは、クリエイター自身であると同時にそれらを支持した当時のオタクたちだったのは言うまでもない。
若者文化の主流派としての始まり、カウンターカルチャーとしての終わり
ところが00年代の中頃、『電車男』や『涼宮ハルヒの憂鬱』が人気になったあたりからオタク差別がなりをひそめていく。マスメディアにおけるオタクの扱いも変わり、「クールジャパン」なるシュプレヒコールまで聞かれるようになった。
それからは皆さんもご存知のとおりだ。
ライトノベル的なもの、ガンダム的なもの、推し活的なもの、そういったものが若者文化の主流派へと繰り入れられ、それらを愛好していることが差別に直結する事態は緩和された。
オタクという言葉も希釈され、洒落た服装をした男女が気軽に自称できるものにもなった。
今ではもう、オタクを自称すること、オタク呼ばわりすることにたいした社会的意義は存在しない。たとえばもし、推し活する人をオタクと呼ぶなら、今日の若者文化の主流派はオタクということになる。そこまで希釈された言葉に、もはやたいした意味などない。
しかし、そのこともオタクたちにとっていいことづくめとは限らない。
00年代後半の段階から、ライト化・カジュアル化していくオタク界隈、あるいはコンテンツたちに不満な目線を向けるオタクは存在したが、それは「にわか」に難癖をつける以上の意味があったよう、2026年からは回想される。
オタクとオタク界隈が若者文化の主流派に転じたことに伴い、それらはコミュニケーションを不問に付すアジールとしての機能を喪失していった。
もちろん、コンテンツを観ているだけで本当の本当に誰ともコミュニケートしないなら、それすらどうでも良いことだったかもしれない。
が、しかし、同好の士と繋がろうと思ったら今後はコミュニケーション能力が問われることになる。
かつてのように、個々のコンテンツの話題さえ共通していれば無条件に仲良くなれるのではなく、たとえば空気も読まずにマシンガントークしてしまう人は同好の士のあいだでも浮いてしまう可能性がにわかに高まった。
旧来のオタクたちに比べて、若者文化の主流派をなすマジョリティのマスボリュームは巨大で、コミュニケーション能力に下支えされた影響力は強大でもあった。
コンテンツだけ見ていて人間を見ていない人間が、コンテンツも人間も見ている人間、ひいては本当は人間のほうを見ていてコンテンツはそのために選択している人間に影響力で伍するのは難しい。
SNSで全員が繋がり合った世界で「いいね」や「シェア」を利用しコンテンツを遠く高く飛ばしていくのは、コンテンツと専ら一対一で向き合っているような影響力ゼロの人ではない。
コンテンツをみんなと一緒に推せる人、そしてコンテンツ(と自分自身)をアッピールできる人だ。
そうなると、アニメもゲームも次第にマジョリティのほうを向いたジャンルへと変質していき、たとえば2000年前後につくられたビジュアルノベルにあったような、「マイノリティのためにつくられた作品」は相対的に少なくなっていく。
さきほど『サブカルチャー神話解体』から引用した際に、コミュニケーションの可否によって新人類とオタクが袂をわかち、前者が若者文化の主流派となったと書いた。
これが示すように、元来オタクはコミュニケーションに苦手意識を持つ人々が構成員に多かったカテゴリーで、オタク界隈のコンテンツもコミュニケーションに苦手意識を持つ人々のほうをある程度は向いていた。
その傾向は、たとえば『Kanon』や『CROSS†CHANNEL』や『灼眼のシャナ』といった往時の作品を振り返ってもわかることだし、くだんの『サブカルチャー神話解体』にも、たとえば「青少年マンガのコミュニケーション」の章にもそれは詳述されている。
2026年第一クールの秀逸なアニメにしてもそうだ。
コミュニケーションに苦手意識を持つ旧来のオタクのほうを向いた作風は主流ではない。
それらの作品はそもそもクオリティが高いからコミュニケーションに苦手意識を持つ人でも十分楽しめる。だが、旧来のオタク「のために」作られた作品とは違う。
コミュニケーション強者におもねる作品とまでは言わないにしても、コミュニケーション弱者に格別な配慮をはからう作品ではない。
母屋を乗っ取られるとはこのことだ。支持層の傾向から言っても、作中描写やキャラクターの造形から言っても、90~00年代にオタク界隈で育まれ成長してきたコンテンツ、ひいてはジャンルは、若者文化の主流派に占拠された。
例外がないわけではないにせよ、アニメやゲームはカウンターカルチャーとしての性質をおおむね失い、大人文化や若者文化の主流派とも接続し、アジールと呼び難い場所に変わってしまった。
カウンターカルチャーとしてのオタク界隈は、終わってしまったのである。
コミュニケーションの苦手なオタクはどこへ行った?
そうなると、即座に疑問が立ち上がってくる。
コミュニケーションできないオタク、たとえば人間集団に溶け込めないオタクやオフ会の片隅で無口だったオタクはどこへ行ったのだろうか?
答えの半分は、「今でもオタク界隈に残っている」だ。
友達はできづらくなるかもしれないし、オフ会にも気軽に参加できなくなるかもしれない、しかしアニメやゲームに向き合うことはできるし、SNSで「いいね」や「シェア」をやってのけることだってできる。
ソーシャルゲームの片隅でなら承認欲求をみたせなくもない。マジョリティに母屋を乗っ取られたことを気にしないなら、まあ、楽しむことはできる。
しかし、マイノリティ同士が繋がれるアジールはどこにある?
トー横キッズになれる人は、なれば良いのかもしれない。そこは確かにカウンターカルチャーみが深い場所だ。
が、誰もがそこに入れるわけではないし、身の危険と隣り合わせの場所である。旧来のオタクに相当するような青少年に親和性の高い場所とも思えない。
私は年を取ってしまったので、たとえば進学校に通っているコミュニケーションの苦手な少年が易々と所属でき、友達を見つけられるカウンターカルチャーみの深い場所がどこにあるのか、よくわかっていない。
わからないままでいいのかもしれない、とも思う。
かつてのオタク界隈がそうだったように、新時代の表現やクリエイターは大人の与り知らないところで育まれるだろうし、そのほうがアジールとしてちゃんと機能するだろうとも思えるからだ。
【プロフィール】
著者:熊代亨
精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。
通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。
twitter:@twit_shirokuma
ブログ:『シロクマの屑籠』

Photo:Clark Gu




