少し前、ある人から「恋愛や結婚に必要なのは何か」について話をうかがいました。

その人は「結婚はもちろん、恋愛でも契約が重要だ」とおっしゃいました。

その場の私は「確かにそうかもしれない」と思って否定しませんでしたが、違和感が残ってモヤモヤしていました。

 

最近、その違和感がやっと言語化できました。私は恋愛はもちろん、結婚においても、「契約」より「合意形成」のほうが大事じゃないかと思うのです。

経済力や外見や契約も大事でしょう、ですが、合意形成能力がなければ真の意味において恋愛は進展しないしないのではないでしょうか。そうしたことをまとめました。

 

恋愛が契約にみえる瞬間はあるけれど

恋愛には、当事者双方が「いっせーの」で声を掛け合い、一蓮托生的に「関所」をくぐる気持ちで通過しなければならない場面があり、そういう場面には「契約」という言葉が比喩として似合っています。

 

とはいえ、そのたび印鑑や同意書を持ち出すのも変でしょう。

たいていの人にとって性交同意書が奇妙にうつるのも、そこに契約という概念に馴染まない要素が潜んでいればこそです。それこそムードとか雰囲気が伴わなければ進まない一面も、恋愛にはあるじゃないですか。

 

なかには契約のロジックにものすごく親和的で、恋愛も、友人関係も、あらゆる社会関係が契約の論理で進むべきと考える人もいらっしゃるかもしれませんが、一般に、恋愛はそこまで契約ベースでは進むものとはみなされていないと思います。

 

なにより、恋愛って自分たちの親密の度合いがどれぐらいで関係性の進展度がどの程度なのかについてのコンセンサスを形成しながら進んでいくものなんじゃないの? と私は思うのです。

「お互いの親密さの度合い」とはわかったようでわからないものですが、そのよくわからないものを進展させるムードを味方につけるためにも、社会慣習に沿って外形的に恋愛を進めていく、いわば「まず形から入って」「形を参照しながらコンセンサスをつくっていく」側面も恋愛にはあるんじゃないですか? って思うのです。

 

たとえば仕事や読書会やイベントが長引いて、そこで顔見知りになった男女ふたりが神田駅のあたりで夕飯を一緒に食べることになったとしましょう。

これだけでは恋愛未満もいいところですが、まったく何も起きていないのに比べれば脈がありますし、社会的にもごくわずかにカップルに近いところに移動したって感じでしょう。

ゲーム用語を借りるなら、最初期の「フラグが立った」ぐらいの段階。

 

次に、そのふたりが別の機会に「次は江の島まで日帰りで行きましょう」と約束したらどうでしょうか?

さっきの神田駅の夕飯に比べて「おや?もしかして何か始まるかも?」ぐらいの温度感ではないでしょうか。

出かけるだけならともかく、帰りに二人ともめちゃ楽しかったとなれば、親密さに向かう関所を少なくとも一か所は突破できた、と言えるように思います。

 

こうした「たまたま神田駅で夕飯を共にした」と「わざわざ約束して江の島まで日帰りで出かけた」の間には、二人の気持ちの同調の度合いの違いがあるだけでなく、社会慣習に照らしたときのデートらしさ・つがいらしさの程度差があるでしょう。

カップルができあがる際には、二人の気持ちのシンクロ度合いや楽しさの度合いに加えて、社会慣習に沿って考えたときのつがいっぽさや恋愛っぽさの度合いが、自他に対して説得力を添えるよう、思われるのです。

 

本当はあてにしている社会慣習

その際、恋愛やつがい行動の(社会慣習に即した)外形的な意味合いをどう取り扱うのかを巡っても、男女のあいだにはコンセンサスがつくられなければなりません。

 

くだんの男女のお出かけ先が、「たまたま神田駅で夕食」→「約束して江の島日帰り」から、「泊まりで福岡」に、さらに「五日間ほどプーケット」と変化したとします。

こうした変化を見聞きしたほとんどの人は「この二人は親密さの度合いが高まっている」と推定するでしょうし、当の男女それぞれもそのように推定しがちではないでしょうか。

 

これは男女関係に限らずかもしれませんが、そうした推定を一種のテンプレートとしてあてにしながらお互いの親密さの度合いを推し量りあい、親密さにかんするコンセンサスを作り続けていかないと、たぶん、色々とうまくいかないと思うのです。

 

なかには会って三日しか経っていない異性に「来週からプーケットに行こうよ、五日ほど」と声をかけてしまう人だっているでしょう。

ですが早々にそんな誘われ方をしたら、ほとんどの人は喜ぶ前に心配になるのではないでしょうか。

社会慣習からそれほどずれていない多くの男女の場合、「二人で五日間ほど海外リゾート地に出かける」ということが社会慣習に照らしてどれぐらいの親密さを意味しているのか、ひいては性的なことがらも含めてどれぐらい相互理解が進んでいてしかるべきなのかを、社会慣習に照らして、外形的に推定する部分は必ずあるはずです。

 

ただし外形的に推定できるといっても、社会慣習に丸投げできるわけでもありません。

社会慣習に頼った推定には、お互いの欲求や欲望や利害が絡んできたり、経験の違いによるギャップが生じたりする場面が必ずあります。

 

でも、 だ か ら こ そ ! 、カップルは不断に合意形成をしていかなければならないのです。

たとえば「泊まりで福岡」とはどれぐらいの親密さに対応しているのか、たとえば「泊まりで五日間ほど海外リゾート」がどれぐらいの親密さに対応しているのか、についての解釈の違いが隔たったままだと、そのカップルはじきに崩壊するでしょう。

 

というより、そういう合意形成を怠っているカップルはさっさと崩壊したほうが当人たちのためかもしれません。

そうした合意形成をおざなりにしたまま結婚まで突き進んでしまうパートナーシップは、かならず相互不理解と相互不満の種を抱えながら進むでしょうし、もしも男女の間に大きな立場の差がある場合、強者の決定に弱者が服従するかたちになるでしょう。

合意形成を怠ったパートナーシップはさまざまな禍根を残すはずです。それぐらいなら序盤で崩壊してしまったほうがお互いのためです。

 

「自分たちの親密さにコンセンサスが形成できなくなった時点で、恋愛関係は瓦解に向かう」

──この公理は恋愛中のカップルだけでなく、既婚のパートナーシップにも言えることでしょう。

 

合意形成能力のプライオリティは高い!

今も昔も、「恋愛や結婚には男性なら経済力、女性なら見た目の良さが必要」といった言説をよく見かけます。

それ自体を私は否定しません。両性ともに経済力や見た目の良さはあるに越したことがないでしょうから。

 

でも、恋愛や結婚をやるなら──それも、ちゃんとうまくやるなら──合意形成力が必要不可欠だと思われるのです。

どんなにお金持ちでも、どんなに見た目が良くても、合意形成能力が欠如している異性をパートナーにするのは難しい選択だと思います。

 

なぜなら合意形成ができない相手と付き合った場合、親密さの度合いをお互いに理解しあい、すり合わせることもできないから、親密さの関所をいつ自分たちが通過したのか、自分達がどこまで親密になったと言えるのか、に関するコンセンサスもまともに形成不可能になるからです。

 

そういう異性と付き合ってしまったら、いわばフラグ管理やフラグ回収がまったく見当がつかない関係に陥るでしょう。

合意形成のまったくわからない恋愛はスリルという点ではスリリングかもしれませんが、地に足の着いたパートナーシップとしては厳しいので、避けるに越したことはありません。

 

と同時に、自分自身がそうしたコンセンサスが形成不可能な人間だった場合も、恋愛はいつもうまくいかない、いつも進展しない、といった事態が予測されます。

そういう人は社会慣習に基づいて自分たちの仲について推定・想像しつつ、折に触れてパートナーがそのあたりをどう考えたり感じたりしているのかをそれとなく聞き出したほうが良いように思われます。

そういう推定や想像や確認を怠っていれば、じきに盛大に揉めるか別れを切り出されるでしょうから。

 

先ほども書いたとおり、そうしたコンセンサスの形成にあたって社会慣習はある程度までは参考になります。

もちろん親密さの度合いなんて、パートナー間で決めてしまえばいい事柄なんですけど、でも、まったく何もないところから二人のコンセンサスを形成するより、すでに社会にあって広く共有されている慣習を参考にしながら形成したほうが、ずっとわかりやすく、ずっとそれらしくコンセンサスを形成できるでしょう。

 

逆に社会慣習から外れたかたちで親密さのコンセンサスを形成したいとパートナーが申し出ている場合、わざわざそうであるだけの説得力ある理由が聞けなければならないように思われます。

もし、ちゃんと聞かせてくれないようなら、理由がなんであれ、そのパートナーはやめておいたほうがいいかもしれません。

逆の場合も、自分が説得力ある理由を言えるのでない限り、パートナーに同意を促すのは難しいと思っておくべきでしょう。

 

実のところ、恋愛や結婚をやりたいだけなら、ここでいう合意形成能力は必要ありません。

後先を考えず、じきに崩壊することを織り込み済みの恋愛や結婚なら、コンセンサスを形成するより、わざと無視して、わざと自分勝手に進行したほうが都合が良いのかもしれません。

 

ですがお互いに納得ずくの恋愛、円満な結婚生活といったものを考える際には、ここでいうコンセンサスの形成能力は必要不可欠で、そのプライオリティはかなり高いと想定すべきですし、自分自身の恋愛や結婚に対する資質としても、本来高くなるよう努めなければならないものなのだと思います。

 

ですから、納得ずくの恋愛、円満な結婚生活を望んでいる人は、パートナー候補や自分自身にどれぐらいの合意形成能力があるのか、恋愛の進展具合に沿ってコンセンサスを維持・更新していける力があるのかに注目したほうが良いでしょう。

そうした合意形成能力の高い異性には、経済力や見た目とは違ったタイプの魅力や美質があるとみるべきですし、そういう魅力や美質を見逃すべきではありません。

 

恋愛がやがて結婚に変わり、一生涯を過ごすパートナーになっていくとしたら、こうした合意形成能力の高低は家庭生活の幸不幸に反映されるでしょう。

「幸福な家庭生活の条件は何か」について考えるなら、ちゃんと合意形成能力のある異性であること、同じくちゃんと合意形成能力のある自分自身であることの優先順位は相当上位に来るはずです。

 

たとえば江の島まで日帰り旅行で出かけた時、お相手がまったくそういう能力が欠如している兆候を示しているなら、あまり本気にならないほうが良いのかもしれません。

と同時に、自分自身に合意形成能力が無いと判明したら……そうですね、困ってしまいますね、でも恋愛や結婚よりも前に習熟すべきことがあるような気がします。

 

 

 

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(2026/9/16更新)

 

 

 

 

【プロフィール】

著者:熊代亨

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。

通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。

twitter:@twit_shirokuma

ブログ:『シロクマの屑籠』

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Photo:Jubair Ahmed Himu