数年前の話。当時の僕はサラリーマンの化身。粉骨砕身という概念を具現化したかのような怒濤の働きっぷりを見せていた。連日連夜の終電も厭わない、ガムシャラ仕事モンスター。

 

やらないといけない仕事が余りにも多かったのでto do listをつくった。最初は忘れそうな業務を備忘録的にメモる程度だったto do listは、次第に進化していき、服を買う・本を読むと言った、仕事とは関係の無いプライベートな活動まで扱うようになった。

 

マーケットレポートを作成する、同期の飲み会のアレンジ、メーカーと6月積み商品の価格交渉、facebookに投稿、AVの返却、与信の申請、スーツを新調、父親に連絡、ランニング、為替の予約、デート、本を読む、AVのレンタル、小学校の友達に連絡、経営の勉強、AVの…

 

 

乱立するto do事項の全てを、一覧にした。優先順位をつけて、日にちで割って、毎朝、確認する。

朝起きると、「今日一日で自分が何をするのか」が一目瞭然! 逼迫した短期的な活動の優先度を無意識に高く評価してしまうという人間の特性に気をつけ、「勉強」「人に会う」といった長期で意味を持つ活動も上手にto do listに盛り込み、こなしていく。

 

優先順位は日々変化するので何度も見返す。全てのto doに対しての意義やメモ書きも添える。達成度は毎晩細かく評価する… 「to do list」は驚異的な進化を遂げ、巨大なエクセルファイルとなった。ありとあらゆる方面から、公私問わず全てのto do事項を洗い出して網羅的に書き出して整理する。すんごい。すんごいファイルだこれは。

 

やらないといけない・やった方が良いかな、と少しでも感じたことは、自動的に全てto do listにぶちこまれる。それらの優先順位をつけ、順番に、完璧にこなしていく。判断のプロセスは一元化され、それは効率化され、完璧で単調で楽チンな生活は完成した。to do listは主導権を握った。

 

もう悩むことは何もない。ただ、to do listに従って日々を送るのみ。自分は人間ではない。“to do”という神の啓示を受けただそれをこなす、炭素で構成された人型のエイジェントなのだ!

 

予定は、吟味され整理され順番に敷き詰められたto do事項で埋め尽くされた。

 

 

 

仕事から遊びまで、「自分が何をすべきか」が可視化されたパーフェクトな日々が続く。自分が今日何をし、明日何をするのか、余りにも明確だった。計画的に仕事を進め計画的に遊び計画的に勉強する。効率的な自分が効率的な毎日を送り、全てが順調。

 

完全無欠なエイジェント生活も板についてきたある日、突然恐怖に襲われて、「to do list(完全版)」という名前の巨大なエクセルファイルを削除した。発狂した。自分はこれを漫然と繰り返して死ぬ時を迎える、それが突然恐ろしくなった。

 

デイリーのto do事項は毎朝紙に書き出していたが、それらの紙も全てビリビリに破いて捨てた。自分の “気付き” や “成長” を書いた、ワケの分からないメモ達も、立ちどころに全て削除。「やらないといけないこと」を彷彿させる、全ての存在を徹底的に抹消した。

 

 

 

その日から、発想を180°変えた。「to do事項」などと言ってメモしていないと忘れてしまうことなんて、所詮、自分の人生にとって「その程度のこと」だったのだ。そんなものはむしろ、さっさと忘れた方が良い。

 

「サッカー選手になる為に、毎日サッカーの練習をする」そんな、サッカー選手に憧れてやまないサッカー少年は、“サッカーの練習”をto do listに入れないといけないのか?恐らくその必要はない。だって忘れない。学校の宿題は忘れるかもしれないけど、きっとサッカーは忘れない。自分にとって1番大切なことは、to doなんて言って管理しなくても、勝手にやるじゃないか。その優先度なんて、本能が分かってるじゃないか。だいたい、人生において本当に大切な「やらないといけない」ことが、いくつもあるわけがない…

 

じゃあ、自分がせっせと作っていたto do listというのは一体、何だったのか。それは突き詰めると、「本当に大切なわけではないけど、なんかやっといた方が良いような気がすること」を自分の人生の中に目一杯しき詰めてくるという、そういうものだ。“大切さ”において二位以降の、数多の活動達を、限りある人生に鬼のように詰め込んでくる。

そんなものはそもそも不必要、混乱を招くだけだ。

 

 

 

to do listが存在しない生活は素晴らしかった。「あ、これ放っておいたら忘れるだろうな」という程度の依頼であればそもそも受けない。もしくはその場で強引に解決する。to doに入れておかないと読まない程度の本は、読まない。to doにしとかないと会うのを忘れるような人とは、会わない。「どっちでも良いけど、やった方が良いかも」程度の活動は全てカット。浮いた時間で、一番大切なことだけをする。

人生において一番大切なこと、それが何なのかを、常に考える。

 

 

「よく分からないけどやっといた方が良さそう」がなくなると、思考は恐ろしく加速した。目の前のこれは、自分の人生において “最も大切なこと” なのか否か、それを日常のあらゆる瞬間に考えるようになった。

 

今夜その飲み会に行くべきか?その勉強をするべきか?その相談にのるべきか? 実は、日常にはタフな判断がゴロゴロと転がっていることに気付いた。考えも無しに全てをこなしてはいけない。“それが、一番大切なことかどうか考える”という難しい判断から逃げてはいけない。色々とこなしているうちに、老人になって死んでしまう。

 

それから自然と、何かを“断る”回数が増えた。残業をやめた。会社をやめた。「付き合い」や「常識」だけでやってきた活動を次々とやめた。それは清々しい断捨離だった。

 

 

 

な〜〜んだ。メモしておかないと忘れてしまう程度のことを、「忘れてしまう」ことが出来るのは、案外、素晴らしいことじゃないか。信じるべきは、人生に余計なものを詰め込んでくるto do listじゃない。人類が進化の末に手に入れた、「忘却」という名のリーサルウェポンの方だ!

 

このイカした考え方を勝手に「本質思考」と呼び、陶酔した。元来、自由の星の元に生まれた自分の人生には「to do事項」なんてものはない。「want to doリスト」なら、つくってやらんでもないぞ。hahaha…

 

 

 

 

 

 

そしてto do listの全く存在しない自由で本能的な生活も板についてきた最近、この「本質思考」という名の乱暴で稚拙な考えが、弊害を生んでいるかもしれないと感じる。to do listをつくらないと、色々なことを忘れてしまう。原稿の〆切を忘れ、ミーティングを忘れ、返信を忘れ、色んな人に会うのを忘れてしまう。ああ、忘れてしまう忘れてしまう

 

これらは本当に全て、自分の人生にとって「大切ではないこと」だったと整理してしまっていいのか?どうも信頼や尊厳や関係性を失っているみたいなんだが、これも本質的には不必要ということで無視して良いのか?よく分からない。自分の本能や忘却は、常に100%の信頼に値するのか。というか、自分の人生にとって一番大切なことなんて、考えても考えても明確には分からないんですが…

 

長い人生で自分にとって何が大切なのか、今の自分が100%正確に判断出来るんだろうか。いま大切さに気付けなくても、振り返ってみて大切だったと思えることだってあるかもしれない。そして、人生で大切なことは、1つじゃないかもしれない。

 

行き過ぎた「本質思考」はどうなんだろうか

 

 

 

 

 

 

to do listを、つくらないといけない。忘れてしまうから。自分が忘れてしまう些細なことの中にも、人生にとって大切なことが実は含まれている、そんな気がするから。人類が進化の末に手に入れた「忘却」という名のリーサルウェポンが、どうも信用ならんから。

 

でも、余りにも完璧なto do listは、もうこりごりだ。to do listに人生の手綱を握らせたくない。限られた人生をオートマチックに“タスク”で埋めつくして、楽をしてはいけない。自分とto do listの、完全なる主従関係。

 

自分にとって最も大切なことを毎日熱心に考え、日常のタフな判断から逃げず、その上で、極めて影響力の小さいto do listをつくる。不完全なto do listをつくる。

 

それが今夜のto do事項。

 

 

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(2024/3/26更新)

 

 

筆者 :熊谷(twitter, facebook

ブログ:もはや日記とかそういう次元ではない

紹介 :インターネットという公共の場に糞尿のような記事をせっせと投下して1人で大喜びしている性犯罪者は、この私です。

(darwin Bell)