時々仕事をもらっている会社で、あるキャンペーンサイトの構築案件が炎上したという出来事があった。
私はその案件に直接には無関係だったのだが、その関係者と飲む機会があったので、野次馬根性からその案件について聞いてみた。
システムの人間は「そもそも最初のスケジュールに無理があった」と呆れたように言い、
デザイナーは「クライアントの修正要求が多すぎた」と恨みがましく言った。
ディレクターは「現場から情報が上がってこないから対応が遅れてしまった」と憤懣やるかたない様子であり、別々に聞く上では皆が皆、それぞれに不満を持っているようであった。
まるで芥川龍之介の「藪の中」である。
ただ、小説と異なるのは、皆がある程度、正直に語っている、ということだ。
話を聞いていて、私はある印象を持った。
これはビジネスと人間関係の軋轢ではないか、ということだ。
ビジネスというものの定義はひとそれぞれであろうが、話を単純にするために
「金銭をともなった労務のやりとり」としておこう。
どこかで読んだ例をあげるが、叔父の家に招待され、素晴らしいホームパーティに参加した。美味しい手作り料理に舌鼓を打ちながら、ホストである叔父に「この料理は素晴らしいですね。お代として5万円出しましょう」と言ったならば、おそらく叔父は表情を一変させて怒り出すであろうし、
逆にプロのカメラマンをしている友人を1日付き合わせて、さんざん撮り直しを要求したあげく、気持ちばかりの御礼もなしに「ありがとう。助かったよ」の一言ですませてしまえば、その友人は二度とあなたの写真を撮ろうとはしなくなるだろう。
前者は人間関係にビジネスを持ち込んだ結果であり、後者の結果は本来ビジネスであったものに人間関係を持ち込んだことによるものだ。
このようにビジネス、または単純に「金銭のやり取り」というのはある種、人間をひどく冷淡にする面がある。
社会の中で本来誰もやりたがらない仕事を誰かがやっているのはそこに報酬が発生するからだし、報酬を払う側も自分たちが出来ないこと、ひいては、やりたくないことを他人に押し付けるために金銭を払っている。
このような、「人を金銭で動かす」というビジネスの論法は様々に実践されていて、いかにクオリティの高い成果物を最小のコストで得ることができるか、というのがビジネスの中で生きる人間の基礎教養となっている。
それで言うと、会社とは間違いなくビジネスの場である。
仮に、皆が会社で行う「ビジネス」の利潤や自身の生産性というもの「だけ」に目を向けているのであれば、(言い換えれば、皆が充分に冷淡であれば)
案件が炎上しようが、採算が割れようが、純粋に案件の経緯と結果を反省するだけで、「誰が悪かった」というような不満は出てこないだろう。
しかしながら、同僚やチームといった会社内の関係性の中には、貸し借りや、好意、苦手という人間らしい側面もある。
おそらく今回の炎上案件がそれぞれに怨嗟の情を残した訳は、ビジネスがもたらした苦難に
「長年の付き合いなのだから、こちらの事情ぐらいそれなりに察してくれよ」
という対応を求めたことであり、突き詰めれば、それぞれのコミュニケーションが上手くとれなかったという所に行き着くように思う。
さて、この平凡な結論を「それぞれのプロ意識が足りない」と断じることもできるだろう。
または、このようなケースに適用できるような様々なビジネス・メソッドが思いついた方もいるかもしれない。
しかし、私がそう言ったものにあまり興味がない、というのもあるのだが、私はむしろ人間関係というものが仕事の質を左右することを経験的に知っている。
例えば、あるクオリティの仕事ができる人間に、10倍の報酬を出せば、10倍のクオリティのものが上がってくるということが基本的に有り得ないことがわかるように、「金銭」だけでは労務の結果である成果物の質はあまり変化しない。
それよりも、長年の付き合いでお互いの好みや長所を知っているとか、気軽に円滑なコミュニケーションが保てるということのほうが、成果物の質やその後の結果にとって重要なことも多い。
もちろん、それらもビジネスの文脈で、何らかの堅苦しい専門用語で説明できることはわかっている。
ただ、私が思うのは、人間が生来持っている「社会性」
――自分の為にすることよりも他人の為にすることに、より価値を見出すという性分――
は、主に人間関係によって惹起されるものではないか、ということだ。
ここに、ビジネスの文脈で「PDCAサイクル」がどうとか、「プロジェクト管理の妥当性」がどうとか、という話を持ち出しても、おそらく当人たちにはそれほど伝わらないようにも思うのである。
もちろん、皆が仲良く、気分良く、仕事できるようにしよう。という漠然とした希望だけでこの種の軋轢が解決できるほど甘いものではない、ということも事実だ。
ビジネスの文脈で語られる様々な合理的なメソッドは、人間関係、ひいては社会性というものを「補完」する目的で用いられることが望ましいのではないか。
漠然としていて申し訳ないのだが、この話の結びとしては、これが現場にいる人間の「感想」である。
(2025/2/6更新)
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著者名:megamouth
文学、音楽活動、大学中退を経て、流れ流れてWeb業界に至った流浪のプログラマ。
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