「CIAOちゅ~る」で知られるいなば食品の“採用不祥事”が、まだまだSNSを騒がせている。
給与の額が説明と違った、前近代的な社員寮に入居を指示された、といった新卒社員たちの訴えに端を発した大騒動だ。
報道が全て事実なのか、正直よくわからない。
しかし事実と受け止め、非道な経営者の振る舞いに怒りを感じた人が多かったのだろう。
次々と報じられる続報に、この話題が過去のものになるのはまだまだ先のことになりそうだ。
しかし敢えて言うが、“この程度”の経営者の振る舞い、それほど珍しいものだろうか。
これ以上に理不尽な経営者やリーダーの下で仕事をし、毎朝吐きながら職場に向かっているビジネスパーソンは、日本中に溢れかえっているだろう。
言い換えれば、報じられているような同社の振る舞いは、日本企業の経営者や管理職にとって全く珍しくないモラルのレベルということだ。
ではなぜ日本の経営者、とりわけ中小企業の経営者やリーダーには、こういったタイプが多いのだろうか。
長年疑問だったのだが、最近ようやく、その答えらしきものがわかった気がしている。
「やったモン勝ち」
話は変わるが、「和を以て貴しとなす」と聞けば、小学校の歴史の授業を思い出す人も多いのではないだろうか。
聖徳太子(厩戸王)が定めたとされる17条憲法第1条に記されている、調和を重んじること、仲良くすること、よく話し合うこと、というような意味が込められている条文だ。
「広く会議を興し万機公論に決すべし」
明治元年、明治天皇が宣言された五箇条の御誓文の第一条でも、やはり何よりも最初に、同じ意味合いの条文が置かれている。古来から、日本という国がどのような価値観で運営されてきたのか、うかがい知ることができる故事の2コマだ。
そして歴史上、そんな価値観が具体的に機能した庶民の知恵に、無尽(講)というものがあった。
頼母子(講)と呼ばれることもあるが、ご近所さんや親族、あるいは仲間内で助け合うことを目的にして運営された、マイクロファイナンスの一種である。
その歴史は古く、発祥は鎌倉時代にまで遡る。
以下少し、この組織の概要を簡単に説明したい。
地域により時代により様々な形があるが、その目的とするところを現代風に表現すると、ざっとこんな感じだ。
Aさんは最新のiPhoneを購入したいが、20万円貯金しようと思ったら毎月2万円ずつ、10ヶ月もかかってしまう。
そこで新型iPhoneが欲しい仲間を10人集め、毎月皆で2万円ずつ、合計20万円を集める「iPhone無尽」を組織する。そしてくじびきなどで、今月は誰がその20万円を受け取ってiPhoneを買うのかを決める。
この集まりと出資を、毎月繰り返す。もちろん、一度当選した人はもう当選する権利はない。
こうすれば、10人のうち9人までは、自分が貯金をするよりも早く最新のiPhoneを手に入れることができるという仕組みだ。
損する人は誰もおらず、メンバーの9割が“得をする”ので、高確率でハッピーになれる。
何らかの商品を買うことを目的としない、地域の皆でリスクに備える無尽もあった。
例えば町内会50世帯で毎月1万円ずつ、積み立て続けるような感じだ。
1年も経てば600万円とかなりまとまった金額になるが、こうして出来上がった資金はコミュニティ内で不幸があった人、職を失った人、借金で生活苦に陥った人などが出てきた場合に、期間中1回だけ融資される。
融資を受けた家は利息をつけて元金を返すこともあったようだが、いわばお互いのリスクに備える保険のようなものとして機能したということだ。
しかしお気づきだと思うが、この仕組み。とても便利で魅力的に思われるかも知れないが、大きな問題点がある。
まずは何よりも、この無尽を組織するときの世話人を、信用できるかどうかだ。
信用できない世話人にまとまったお金を預けようものなら、ある程度資金が貯まったところで逃げられるなど最悪である。
構成員のモラルも、もちろん求められる。
例えば「iPhone無尽」の場合、最初の月に当選した人は次の月から出資金を支払うのがバカバカしいと思うかも知れない。
実際に無尽は、戦前まで幅広く普及し、中には営利を目的とした会社も生まれるのだが、やはり掛け金の支払いを怠る者が現れ、また経営者がずさんな管理をするなどのトラブルが相次いだ。
そのため国は、大正4年(1915年)に無尽を規制する法律、「無尽業法」を制定する。
さらに昭和16年(1941年)には免許制に移行して、取り締まりを強化した。このようにして、無尽という庶民のささやかな互助組織は、歴史から急速に姿を消していくことになる。
日本には今も間違いなく、「和を以て貴しとなす」という、調和を重んじる文化がある。
しかしこういった“信用と信頼”を基礎にした社会や組織は、「やったモン勝ち」の人が悪意を持って入り込むと、ものすごく脆い。
そして無尽がそうであったように、少数のアンモラルな人の身勝手で、本来良い仕組みや考え方であったものも、法律で規制せざるを得なくなってしまう。
「やったモン勝ち」というアンモラルと、「和を以て貴しとなす」の社会は、あまりにも相性が悪い。
そして今、それが限界を迎えようとしている。
なぜ働くことがストレスになるのか
話は冒頭の、いなば食品についてだ。
個別の話の真偽はともかく、なぜ中小企業にはこのような経営者やリーダーが多いのか。
日本社会には、”過失”で誰かに迷惑をかけても、迷惑分を埋め合わせたら許される原則がある。
例えば交通事故だ。
交通事故の被害者には通常、車の修理代やケガの治療費は認められるが、事故車になったことによる評価損、通院にかかる時間の補償などを受けるのは相当難しい。
私自身、0:10で一方的にぶつけられる事故に2回巻き込まれケガをしたことがあるが、いずれも車の修理代と治療の実費だけが補償の対象であった。車の評価損も通院にかかる時間コストも完全にやられ損であり、被害者だけが損をするルールである。
「交通事故と、悪意のある犯罪は違う」
そう考える人もいるだろうか。
しかしこれがまさに、日本の経営者やリーダーに、「やったモン勝ち」で得をする仕組みを与えてしまっている。
内定時よりも大幅に低い初任給しか支給しなくても、「過失」や「手違い」と謝罪をすれば、刑事罰に問われることすらない。
被害者側が相手の悪意を証明できない限り、「やったモン勝ち」になるのである。だからこそ、こういうことを平気でやらかせる人は丸儲けになる。
そしてこのような経営者はその時、こんなことを考えている。
「どうせ新卒カードを失うことも怖いだろうし、辞めるわけがない。訴える知恵もお金もないのだから、リスクすらない」
まして、経営トップに絶大な権力が集中している中小企業経営者など、このような連中がいくらでも湧いてくるのは、想像に易いだろう。いくらでもコストカットできるうえに、リスクがないのだから、当然である。
「そんな会社や経営者は、民事で訴えたら良いのでは?」
そう考える人もいるだろうが、米英のように「懲罰的損害賠償」を認めない日本ではいくら訴えても、まともなお金などとても取り返せない。当然、経営者も会社も全く痛まない。
膨大な時間とお金を費やして勝ったとしても、交通事故がそうであるように「実損害分」しか、取り戻せないからだ。
このようにして、立場の弱い従業員に理不尽を押し付けるロクデナシ経営者が生まれ、産地偽装をしてでも金儲けをするクズ経営者が次々に湧いてくることになる。
「和を以て貴しとなす」の下で生まれた無尽(講)や頼母子(講)が歴史から姿を消した背景には、「信頼を平気で裏切る身勝手な連中」の存在がある。
であれば、私たちは
「従業員の信頼を平気で裏切る経営者」
「信頼を裏切ってもなんら罰せられず、むしろ得をする社会」
のルールや仕組みをこそ、見直す必要がないだろうか。
雇用条件を遵守しない会社、セクハラやパワハラを許容する会社などは、経営者個人に強烈で震え上がるような、懲罰的損害賠償を認めるルールである。
「やったモン勝ち資本主義」が蔓延している日本の競争環境や経営者など、世界に通用するわけがない。是正しない限り、働くことがストレスになる人たちを減らすことなど、とてもできないのではないか。
決して言い過ぎだと思わないのだが、いかがだろうか。
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【プロフィール】
桃野泰徳
大学卒業後、大和證券に勤務。
中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。
主な著書
『なぜこんな人が上司なのか』(新潮新書)
『自衛隊の最高幹部はどのように選ばれるのか』(週刊東洋経済)
など
「どうせ美味しいわけがない」と思って、冷凍クロワッサン、買ったこと無かったんです。しかしふと思いつきで買ってみたら、ものすごく美味しくて驚きました。
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