なんだかなあ~、という記事が、タイムラインに流れてきた。

国立大付属校「脱エリートを」…学力より抽選で

「エリート校化し、公立校の教育に貢献する役割を果たしていない」との批判から、近くまとめる報告書に、抽選で選抜するなどして様々な子供を入学させるよう求める提言が盛り込まれる見通しだが、困惑する声も聞かれる。

 ◆東大合格102人

 「ツクコマ」の愛称で知られる筑波大付属駒場高校。今春、102人の東大合格者を出した屈指の進学校だ。

付属校を担当する筑波大の宮本信也副学長は、有識者会議の議論に「抽選で合否を決めれば生徒の学力に幅が出て、教育の質を保てなくなる」と戸惑う。

「科学に秀でた人材育成を目指しており、国の目的と合うはずだ」と強調した。

当たり前だが、エリートかどうかは成績で決まるのではないので、筑駒にいる「成績の良い生徒」を「エリート」と言ってしまうスジの悪さもある。

 

が、「抽選で選抜をせよ」と言うのは、更にスジが悪い。

なぜかと言えば、「習熟度別」にクラスを編成したほうが、全体の学力が上がるからだ。

 

これにはしっかりとしたエビデンスがあり、塾では当たり前だし、最近では一部の小学校でも当然のごとく行われている。

ジョン・ベイツ・クラーク賞の受賞者でもあるマサチューセッツ工科大のデュフロ教授らがケニアの小学校で行った実験では、習熟度別学級を導入した小学校(=処置群)と、習熟度別ではない通常学級の小学校(=対照群)を比較しました。

その結果、「教員が習熟度に合わせて指導をすることができるならば、習熟度別学級はすべての学力層の子どもの学力を上げる大きな因果効果を持つ」ことが明らかになりました。

さらに、この「習熟度別」のクラス編成では、成績の悪い子どもほど効果があり、かつ、持続力もあることがわかっている。

結局、成績の良い生徒と悪い生徒は、別の学校のほうがお互い幸せになれるのだ。

 

エビデンスを持ち出すまでもなく、単純に考えれば、先生も成績が同じくらいの生徒を集めたクラスの方が教えやすいだろう。

また、生徒も「格差」がありすぎると、それだけでやる気を失ったり、逆に天狗になったりすることもあるだろうから「習熟度別」は合理的だ。

 

*****

 

かつて、塾に通っていたことがある。

8人しかいない少数のクラスに在籍していた。

そこに、一人やたらと勉強のできるヤツがいた。そいつは特に算数が抜群で、六年生の四谷大塚の模試では全国トップクラスだった。

 

塾のクラスが始まると、「よーい、どん」で、問題を解かされるのだが、彼は殆どいつもトップ。

講師が解けたかどうか確認をしに来るのだが、

「ああ、方程式を使ったのか」

と講師が言っていたのを憶えている。

彼は小学生で既に方程式を習得し、図形問題でもいわゆる「エレガントな解き方」を皆に見せつけていた。

 

結局彼は開成中学に合格したのだが、周りも私も、別に驚かなかった。

「ああ、天才っているんだな。」

と皆が思っていたからだ。

 

彼のような人が、「普通の中学生」と一緒に勉強するなど、私にはとても想像できない。

特別な学校とクラスで、特別な教師から教えを受けるべきだと思う。

 

変な主張だろうか?

でもこれは「スポーツの世界」では極めて当たり前のことだ。

才能を発掘し、それを適切な環境で伸ばすこと。

 

筑駒は公立でそれを担う学校の一つであり、結果を出している。

それを「抽選にせよ」と、平凡な学校を一つ増やしてどうしようというのか。

 

*****

 

もう1つ、思い出がある。

小学校で、理科の時間に「夏」と「冬」の日差しについて、教わっていた時の話だ。

 

夏の日差しは、なぜ強く、冬の日差しはなぜ弱いのか、と言うテーマだった。

当時の小学校の先生は

「夏の日差しは、日照の角度が大きいので強い。」

「冬の日差しは、日照の角度が小さいので弱い。」

と教えてくれた。

 

しかし、私は全く言っていることがわからなかった。

「なぜ、角度が大きいと、日差しが強いのですか。地表に届いている光の総量は同じでは?」

と質問した。

小学校の先生は、怒ったように「そういうものだから、覚えなさい」と言った。

 

私は納得がいかず、塾の先生にも同じ質問をした。

塾の先生は、備え付けの懐中電灯を持ってきた。

「真上から照らすと、光が当たっている部分は明るい。」

「はい。」

「斜めから照らすと、光があたっている面積は大きくなるけど、暗くなる」

「おお。」

「同じ面積で比べると、夏の日差しが強く、冬の日差しは弱い。わかったか?」

小学生の私は、その回答でいたく納得した。

 

他にも塾では、

「なぜ夜の空は明るくないか?(太陽光は宇宙空間を通っているはずなのに)」や

「方角と町並みの関係」など、知的好奇心を刺激する、様々な事を教えてもらった。

「小学生に詰め込み教育をするなんて気の毒だ」という人がいるが、個人的には「詰め込み」という感覚はない。

むしろ、小学校よりも多くのことを学んだ。

中学受験をした仲間から聞くと、受験で学問の面白さを学ぶことができた、と感じている人はとても多い。

 

歌がうまいことは一種の才能である。

顔が良いことも、一種の才能である。

走るのが早いのも、一種の才能である。

そして当然、

勉強ができることも一種の才能である。

 

才能は、適切なタイミングで、適切な教育を受けて伸ばされなくてはならない。

それは本当は、国が率先して行うべきことなのではないか。

 

 

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(Photo:m_takahashi)