「発達障害」という概念がだいぶ知られるようになってきました。

「コミュ障」という言葉も、よく聞きますよね。

 

僕自身、コミュニケーションというか、他者との世間話や飲み会が苦手だし、発達障害について書かれた本を読むと、思い当たるところがたくさんあるのです。

ただし、血液型による性格判断みたいな、「万人に(あるいは、多くの人に)あてはまるようなことが書かれているだけ」のようなものも少なからずあります。

全体としてみると「人間大好き!」「コミュニケーション万歳!」っていう人は、けっして絶対多数ではない。

 

『忖度バカ』(鎌田實著・小学館新書)のなかで、こんな話が紹介されていました。

自閉症スペクトラムの一つ、アスペルガー症候群の人は共感が苦手です。

こだわりが強く、変化が苦手で、人の感情や空気は読めないため、その場にふさわしい言動をとれず、浮いてしまうことがあります。

社会性やコミュニケーション、想像力の障害ともいわれています。

 

以前、アスペルガー症候群であることをカミングアウトした医師に会ったことがあります。彼は「人と心が通じ合えたという経験はない」とはっきり言います。

友だちもいない。恋愛も、夏目漱石と武者小路実篤などから学んだが、現実社会では撃沈したといいます。

医師になってからは、一日10数人を診察するなかで、患者さんとよくぶつかりました。

嫌な思いをさせたこともたびたびあったといいます。

 

そんな自分に何となく違和感を抱えていた彼は、自らアスペルガー症候群を疑い、専門医を受診しました。そこではじめて、アスペルガー症候群と診断されたのです。

多くの場合、発達障害は5、6歳までに発見されますが、何となく見過ごされて大人になってから診断される例もあります。

 

アスペルガー症候群と診断された彼は、苦手なコミュニケーションを身に付ける努力をします。相手の気持ちに共感することはできないが、共感したように見せるような会話を心がけたのです。ちょっとした言葉の使い方で、人間関係がスムーズになったといいます。

この人、臨床医をやっていくのは、大変だったろうなあ、と思いながら読みました。

 

アスペルガー症候群や発達障害を抱えている人には、特定のジャンルにはすごい能力を持っていたり、ペーパーテストはすごく良くできたりするのです。

それで、医者や法律家、官僚のような「現場では人とのコミュニケーションが重視される高偏差値の職業」に就いてしまうことがあるんですよね。

そのことは、本人にとっても周囲にとっても、悲劇を生みがちなのです。

 

この話を読むと、そういう人でも、「共感したように見せるふるまい」を練習し、身につけることができる事例があることがわかります。

 

以前読んだ、貴志祐介さんの小説『悪の教典』の主人公・蓮実聖司は、ものすごく頭がよくて、高い運動技術と殺傷能力を持ち、自分の目的を効率的に達成するには、それが殺人であっても、容赦なく行える男です。

大部分の生徒からは慕われ、周囲からも頼りにされている「有能な教師」の蓮実は、さまざまな手を使って邪魔者を排除していきます。

この作品を読んでいて、すごく僕の印象に残った文章があります。

人間の心には、論理、感情、直感、感覚という、四つの機能がある。

そのうち、論理と感情は合理的機能、直感と感覚は非合理的機能と呼ばれている。

 

合理的機能には、刺激と反応の間に明確な因果関係があり、非合理的機能は、次にどういう動きをするか予測がつかない。

つまり、感情の動きには、論理と同様に、法則性があるということだ。

 

人間の感情は、他人から認められたい、とか、求められたい、というような基本的な欲求が、その根底をなしており、軽んじられたり攻撃されたと思えば、防衛反応がはたらいて攻撃的になる。その逆に、相手の好意を感じたときは、こちらも好意的になる……。

要するに、まったく感情というものが欠落している人間がいたとしても、きわめて高い論理的能力を持ち合わせていれば、感情を模倣(エミュレート)することは可能だということだ。

 

まず、人の感情のパターンを収集する必要があった。

そして、それがどういう場面で、どういう反応をするかを予測し、結果を見て、その都度、間違いを修正する。

そうして、それらと同じように反応する疑似的な感情を心の中で育てていけば、最終的に、それは、本物の感情とほとんど見分けがつかないものになる。

「感情を全く持たない人間」っていうのは、やっぱりいないと思うんですよ。

でも、「共感能力がきわめて低い」人はいるし、「自分の感情さえ、よくわからなくなること」は、誰にでもあるはずです。

 

小説のなかでは、蓮実の「特殊能力」のように描かれていますが、こういう「この場面は笑うべきなんだろうな」とか「泣いておいたほうがいい状況なんだな」というような「感情の補正」を、僕はけっこう日常的に行っています。

 

「感情が全くない人間」は怖いけれど、「感情をやたらと周囲にぶつける人間」も怖い。

そういう人は、感情をぶつけることによって周囲をコントロールしようとしている場合がありますし、逆に「感情的な人間である自分を演じている」のかもしれません。

「感情」にみえるのは、けっして「自然なもの」とは限らない。

 

僕はこれらの文章を読んで、「ああ、そういう『感情への違和感』って、自分だけのものじゃなかったんだな」と少し安心しました。

この小説の場合は、読み進めていくと、「感情を持たないっていうより、単に人殺しが好きなだけなんだろコイツは……」という気がしてくるのですが、ピカレスクロマンとして、あんまり深刻にならずに読んだほうが愉しめるし、作者もそのつもりで書いているのではないかと思いますが。

 

正直なところ、自分以外の人の「感情」がどんなものであるかは、僕にはよくわかりません。

僕が感じている「赤い色」を他の人も「赤」と呼んでいるけれど、それが本当に同じように見えているのかどうか、わからないように。

 

「重度の発達障害やアスペルガー症候群」の場合、「他者とうまくやっていくのは難しい」というのはわかります。

でも、こういう概念があまりにも一般化され、認められたことの弊害もあるような気がするのです。

「自分のそういう傾向を受け入れた上で、感情を模倣(エミュレート)することで、適応できる」くらいの「軽度から中等度のコミュ障」の人まで、世の中や他人に適応し、折り合いをつけて生きていくことを諦めてしまうようになったのではないだろうか。

 

意識的に「感情を模倣(エミュレート)する」というのは、必ずしも悪いことじゃなくて、生きづらい人にとってのサバイバル術にもなりえるのです。

考えようによっては、もともと人間に「感情」なんてものはなくて、後天的にみんなが「感情的なふるまい」を身につけているものなのかもしれませんし。

 

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著者:fujipon

読書感想ブログ『琥珀色の戯言』、瞑想・迷走しつづけている雑記『いつか電池がきれるまで』を書きつづけている、「人生の折り返し点を過ぎたことにようやく気づいてしまった」ネット中毒の40代内科医です。

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(Photo:Christian c)