言論の自由がある。私たちには自由に考え、それを自由に表明する権利がある。ありがたいことだ。

だが、人間の感情は権利でコントロールできるものではない。誰が何を言っても自由だと頭では理解していても、「お前に言われたくない」とイラっとしてしまうことがある。

「お前に言われたくない」をもう少し丁寧に表現すると「あなたにそのような発言をする資格があるのでしょうか」となる。

資格もなにも、誰が何を言ってもいいのだ。発言する資格は全ての人が持っているのだから、大真面目に答えると「私にはこのような発言をする資格があります」となる。

そして当然のことながら余計に相手をイラっとさせる。

相手に「そのような発言をする資格がない」人間だと認定されてしまうと、もう何を言ってもイラっとさせるだけになってしまう。その件に関しては何も言わないに限る。

でも、そのイラっとした相手も、あなた以外の別の人になら言われてもいいと思っている。「そのような発言をする資格がある」人になら……。「お前には言われたくない」という言葉の裏には「別の人になら言われてもいい」という意味が含まれている。

では、この人は誰になら言われてもいいのか。言う資格があるのは誰なのか。

考えるまでもないことかもしれない。何かについて発言することが許されている(=発言する資格がある)のは、その何かを持っている人、当事者性のある人だけだ。

たとえば……

人の容姿について話題にすることができるのは容姿端麗な人だけ。それ以外の人がうっかり「あのアイドル可愛くないよね」と言ってしまうと、「お前に言われたくないだろうけどね」と返される。返されないとしても相手は心の中で思っている。

「人生で大事なのはお金じゃない」と言えるのはお金持ちだけ。それ以外の人が言うと負け惜しみだと思われる。「そういうことはお金持ちになってから言えば?」と返されてしまうのである。言う資格がないのも同然だ。

このサイトBooks & Appsでは仕事の話が書かれていることが多いが、仮に書き手が仕事のできない人たちだとしたら、それを知った読み手は「お前らにこの記事を書く資格があるのか」と怒るだろう。(私が仕事のできる人間だとは言っていない。)

私は自分がバイセクシュアルであることから、当事者/非当事者問題についてよく考える。というのも、セクシュアルマイノリティのコミュニティや活動に参加する際、その人が「当事者」なのか「非当事者」なのかによって周囲の人のリアクションが変わってくることが多々あるからだ。

非当事者が参加する場合、必ずと言っていいほど理由を求められる。「なぜ参加するの?」と。当然と言えば当然だ。あなた自身に直接関係のあることではないのに、なぜ参加しようと思ったのか、理由を知りたくなるのは自然なことだと思う。

ここで厄介なのは、ただ純粋に理由を知りたいと思っている人たちだけではないということだ。

「なぜ参加するの?」という言葉の裏に、「あなたには参加する資格がない」という意味を込めているケースがある。あなたは当事者ではないでしょう、と線引きをしてしまう。同質性の高い、排他的な集団が出来上がっていく。

当事者のための集団を作りたいという趣旨だったなら、それはそれで目的と一致しているのだから納得できる。だが、たとえば「セクシュアルマイノリティとこれからの社会について考えよう」といったテーマで集まる場合、それは誰でも参加する資格があるはずであり、当事者か非当事者かは関係がないはずだ。

ところがこのような趣旨でも「非当事者には参加する資格がない」と思う人は存在する。

セクシュアルマイノリティのために活動している非当事者の方が知り合いにいるのだが、やはり非当事者であることを伝えると、嫌がる当事者もいると言っていた。私はそこに当事者性が必要だとは思っていないが、求める人もいるのが現実なのである。

障がいについて語れるのは障がいのある人だけなのか。スポーツの技術について語れるのは、スポーツ選手だけなのか。当事者性という“資格”が求められる風潮を感じたことがあるのは、私だけではないだろう。

また、働くことについて自由に発言する“資格がある”のはどうやら社会人(=働く当事者)だけのようだ。私は社会人になって、働くことについて自由に発言できる資格が与えられたような気がして、少し気がラクになった。学生であろうと社会人であろうとニートであろうと、働くことについて自由に考え、自由に発言していいはずだ。

でも、学生の頃は働くことについて意見を言うと「働いたことがないくせに」と言われてしまうような気がしていた。実際に言われたわけではないが、自分で自分に「学生の私にこんなこと言われたくないよな」と思って、セーブしていた。

それこそ「お金がなくてもいいんじゃない?」と言えるのはお金持ちだけだというのと同じで、「働かないという選択肢があってもいいんじゃない?」と言えるのは、働いている人/働いたことがある人だけだという風潮がある。本当は誰が言ってもいいはずなのに、働いたことがない人が言うと、「お前にそんなこと言う資格があるのか」と非難される。

もしくは働きたくても働けない人間だと邪推され、負け惜しみだと思われる。

何かをいらないと言う資格があるのは既にそれを手に入れたことがある人だけであり、何かに言及する資格があるのは当事者である必要がある。なんて息苦しい世の中だ。

そういう私も道でつまずいた時に「よく転ぶね」と言われて「あなたに言われたくないけどね」と思って苦笑したことがある。隣にいたのは、よく転ぶことで有名な友人だった。

もちろん、その友人にも誰かに「よく転ぶね」と言う資格があることはわかっている。発言を発言単体で純粋に捉えることは難しく、どうしても発言者とセットで捉えてしまうのが人間だ。

自由に発言するためには、多くのものを手に入れる必要がある。「お前に言われたくない」という奴のことなんか気にしない、という人もいるだろう。

でも、「お前に言われなくない」と“言わせない”ために頑張るのも悪くないな、と思う。他人の感情をコントロールするのは難しいし、「いや、私にも言う資格があるんだ」と言ったところで解決しない。だったら“言わせない”のが一番ラクなのではないかと思うのだ。こうやってモチベーションを維持するのも悪くない。

さて、今日も頑張ろう。

ではまた!

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(2024/4/21更新)

 

[プロフィール]

名前: きゅうり(矢野 友理)

2015年に東京大学を卒業後、不動産系ベンチャー企業に勤める。バイセクシュアルで性別問わず人を好きになる。

著書「[STUDY HACKER]数学嫌いの東大生が実践していた「読むだけ数学勉強法」」(マイナビ、2015)

Twitter: 2uZlXCwI24 @Xkyuuri

ブログ:「微男微女