タイトルで大体完結しているんですが。
世の中には、「〇〇全然面白くなかったんだけど、これのどこが面白いの?」と悩んでいる人がどうもたくさんいるようで、「どこが面白いの」でぐぐっただけで実に400万件ものページがhitします。ダブルクオーテーションで括って、”どこが面白いの”でぐぐっても16万8000件です(しんざき環境で)
ぐぐっただけの話ではなく、SNSだニュースサイトだはてブだといったいろんなページを見て回っても、「〇〇のどこが面白いんだ!」と叫んでいる人は山のようにいます。で、その人にわざわざ面白さを伝えようと頑張ったり、その人を攻撃しにいっちゃう人もたくさんいます。
結論から言いますと、面白さが分からなかった作品について、「これのどこが面白いのか?」と悩むことは時間の無駄です。その人に、「〇〇は××だから面白いんだよ!」と説明することも時間の無駄です。まだその時間を使って、スキタイで弓騎兵ラッシュでもやって、都市の3,4個も滅ぼしてた方が2万倍も建設的です。いや、やってることは非建設的なんですけど。
他の誰かから「この作品の面白いところはここだよ」と説明されて、ぱっと目の前が開けるように「ああ!ここか!ここが面白かったのか!!この作品おもしれーー!」ってなったこと、今までに一度でもありますか?少なくとも私は、他人の説明でそういう気付きを得た人を、今まで一度も観測したことがありません。
「その作品が、その人にとって面白いかどうか」というのは、最初にその作品に出会って、その作品を摂取した時点で、既に99%固まっているのです。元々面白いと感じた作品について、接する内にさらに面白くなってきたとか、何度も見ている内に別の面白さに気付いたとか、そういうことなら珍しくありませんが、最初に「面白くない」と感じた作品が、途中で180度評価を変えるなんてこと、そうそうあることじゃありません。たまにあったとして、そのきっかけが「他人の説明」だったなんて都合のいいこと、100回に1回だってないでしょう。
大体、「面白い」と感じるかどうかは自分の感性次第であって、あなたの感性をあなた以上に知っている人がいるわけがないじゃないですか。あなたの「面白さのツボ」なんて何も知らない人が、あなたに面白さを感じさせることが出来ると思いますか?
「どこが面白いか」なんて自分で気づく他ありませんし、それに気づかなかった作品は、あなたにとって「面白くなかった」でいいじゃないですか。新しい「面白いかも知れない別の作品」を探しにいった方が早いですよ。
つまり、「面白くない」と感じた自分の第一感をもっと信用していい、他の人が「面白い」と言っていたとしてもそれに嫉妬する必要はないし、不安に思う必要もない、と私は思うんです。
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ところで、ある作品について、「面白い」「面白くない」「面白いと感じるお前はおかしい」「いや、面白くないと言ってるお前がおかしい」といった戦争になることは割と頻繁にあります。
誰かの「面白くなかった」を否定する権利がある人なんてどこにもいません。そして、他の誰かの「面白かった」を否定する権利も、誰ももっていないんです。
「not for me」っていう言葉、もっと広まっていいと本当に思うんです。それは、「俺には面白くなかった」というだけの言葉であって、他の誰も傷つけてはいない。他の誰の感性も否定してはいない。
世の中には、「〇〇面白くなかった!」と言うと、なぜか〇〇ではなく自分を攻撃されたような気になって、どかどかと攻撃しにくる人が何故か結構います。その人たちは、他人の「面白くなかった」を尊重出来ない、civ6でいうと蛮族です。そこに間違いはありません。
が、同じく世の中には、皆が面白がっている〇〇について、「〇〇全然面白くない!どこが面白いのか俺に教えてくれ!と言いながら近づいていって、その内喧嘩を始める人も結構いるようなんです。それも同じく、他人の「面白い」を尊重出来ない困った人ですよね。
念のため断っておきたいんですが、一人ひとり、「面白い理由」「面白くない理由」を語るのは全くの自由です。むしろ「すごい面白い」「全然面白くない」が気楽に言えるwebであって欲しい、と私は思います。
みんな、ガンガン「面白い」「面白くない」と言っていい。けれど、他人が語っているそれに対して喧嘩をふっかけるのはあんまりよろしくない。
他人の「面白くない」を攻撃したくなるのは、恐らくその作品について、自分のアイデンティティを感じるくらい好きだからなんだろう、と想像はつくんです。作品が攻撃されると、まるで自分が攻撃されたような気分になっちゃう人、結構いますよね。
一方、「他人の「面白い」にケチをつけたくなる」という欲求の根底にあるのは、「それを面白いと感じる感性が納得出来ない」という、言ってみれば「自他の感性に対する不信」があるように思うんです。
面白い、面白くないなんてあやふやなものであって、感性一つで正解は変わりますよね。「面白いか面白くないか」という裁判所のような評価機関を、一人ひとりが独立して持っているようなものです。だから、だれかの「面白い」「面白くない」という判定は、その人にとって絶対的に正しい。だから、それに対して戦争をふっかける必要はない。
もっと感性を信頼していいと思うんですよね。自分の感性も、他人の感性も。
PPAPって全然面白くねーなー、と思いながら、そんなことを考えたわけです。
(事業サービス責任者-ティネクト株式会社 取締役 倉増京平)
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【プロフィール】
著者名:しんざき
SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。
レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。
ブログ:不倒城