伊集院静さんの『ひとりをたのしむ 大人の流儀10』(講談社)というエッセイ集のなかに、こんな話が出てきたのです。

私の父親はよく”働かざる者食うべからず”という言葉を口にした。
私は、父と向き合って話をしたことがほとんどない。
それでも少年の頃、私と弟の前で、
「いいか、どんな人も働かなくては生きて行けないんだ。まずおまえたち一人一人が手に職を付けて、生きていけるようにせねばならん。そうでなければ飯(まんま)も食べられんのだ」
と言ったことがあった。

父は仕事をしない人間を嫌った。
父は物乞いをしている人に、決して物を与えるんじゃない、とも言っていた。
一度、父の前に物乞いが座り、声を掛けたのを見たことがある。
「旦那、お恵みをして下さいまし」
子供の私には、その人がどこか身体が悪くて立ち上がれないように思えた。

すると父は相手にこう言った。
「なぜ、そんなことをしているんだ。どこか身体の具合でも悪いのか? 歩けないのか? なら立ってみろ。ほら手を貸してやるから立って歩いてみろ。足が痛いなら、病院へ行って治すなり、でなければ自分で歩く訓練をするんだ。そうして働くんだ。世の中には働き口はいくらでもある。その胸にぶら下げているものは何だ? 軍隊の勲章か。そんなもの捨ててしまえ。そうしてすぐに働き口を探しに行け」

相手は戸惑うような目をしていた。おそらく、そんなことを言われたのは初めてだったのだろう。そうして父は相手に金銭をいっさい与えなかった。
私は子供ごころに、その人を可哀相だと思ったが、反面、父は相手の身体がさして悪くないとわかっているのではとも思った。

ちなみに、伊集院さんのお母さんは、夫には黙って、物乞いをしていた人たちに食事の残り物などをあげていたそうです。

 

そういえば、僕が子どものころ、いまから40年前くらいには、僕が住んでいた地方都市にも、ときどき「食べるものがないんです」と物乞いが玄関のチャイムを鳴らすことがあって、母親が家にあったパンなどをあげていた記憶があるんですよね。

 

それを知った僕の父親も「一度あげてしまうと期待して何度もうちに来るようになるし、かえって働かなくなる」と母に言っていたのです。

当時の僕は、何事につけ母親の味方でしたから、「どうせ余り物なんだし、かわいそうな人にあげるくらい良いじゃないか」と内心反発していました。

 

この伊集院さんのお父さんのエピソード、今、2021年に読んで、僕はとても複雑な気分になったのです。

40年前、10歳くらいだったら、「お父さんの困っている人への冷たい態度」に嫌悪感を抱いただろうし、20年前、30歳くらいのときに読んだら、「いちいち断るのも面倒だし、恨まれるかもしれないから、なんか適当にあげて、今回だけにしてね、というくらいが正解」と思ったのではなかろうか。

今だったら、「まあ、知らない人が玄関のチャイムを鳴らしても、モニターを確認し、インターホンで対応して直接接触することはないだろうな」というところです。

 

そして、昔は「冷たい人だ」と反発するだけだった、この伊集院さんの父親の対応に、今の僕は、なんだか共感してしまう。

 

僕自身の自己評価としては「自分なりに努力をして、なんとか食べていけてはいるし、ここまでは大きな病気もしてこなかったけれど、振り返ってみると、『もう少し頑張れていたのではないか』と過去の自分に後悔もしている」のです。

若い頃に、もっとしっかり勉強して、自分の専門分野を確立して「自分にしかできないこと」を積み上げていたら、今ごろはもっと、やりがいがあって、面白い仕事ができていたのではないか、なんて。

 

その一方で、若い頃の自分は毎日夜遅くに疲れ果てて家に帰ってきて、きつくて眠くて仕方がないのだけれど、まだ仕事はいくらでもあるし、寝て起きたら、また明日になって、仕事に行かなきゃいけないんだよなあ……と、ひたすら憂鬱だったのを思い出します。

あのとき、「がんばりきれなかった」からこそ、こうして生きているのかもしれません。

 

今の世の中って、「そんなにがんばらなくていいよ」「無理しなくていいよ」「できなことはしょうがないよ」って、みんな言ってくれるじゃないですか。インターネットでは、とくに。

それは「がんばりすぎることによって、鬱を発症したり、自殺してしまったりする人」を救うためには、正しいのです。

 

でも、僕はこれまでの人生で、いろんな人をみてきて、痛感してもいるのです。

昔のように、やみくもに「頑張れ、努力が足りない」と言われるのは横暴だと思うけれど、「頑張れる人は、頑張ったほうが良い」のはいつの時代でも変わらない。

そもそも、ネットで「頑張らなくていい」と言う人だって、大概、自分に関係がある人ならば、高く評価するのは「頑張っている人」なんですよね。

 

最近読んだ、『どうしても頑張れない人たち~ケーキの切れない非行少年たち2』(宮口幸治著/新潮新書)には、こんな事例が書かれていました。

ある子どもは、保育園の頃からとても頑張り屋さんと言われていました。保育園の頃に縄跳びの練習をあまりに頑張り過ぎて足を少し痛めてしまったので、親が「もう頑張らなくていい」と止めたそうです。親は、それからその子が何かやろうとするたびに、その縄跳びの例を出して、「頑張り屋さんだから無理したらダメだよ」と声をかけ続けました。するとその子は頑張らなくていいと思い込んでしまい、何もしなくなってしまいました。でも親は無理をさせないように、子どもには「やったらできるんだから」と言い続けたのです。結局、その子どもは勉強もしない、運動もしない、チャレンジしない日々を送りました。大人となった本人は、親に対してもっとあの時に頑張らせてほしかった、と語っていました。
”無理をさせる”ことには反対ですが、誤って”頑張らせない”になってしまうと、ここでも被害者は子どもたちなのです。

どこまで「頑張っていい」のか、というのは、本当に難しい。

 

僕は若手を「厳しく鍛える」ことで知られている病院に中堅として勤めていたことがあるのです。

若手を指導しながら、自分はここで研修しなくてよかった……とずっと思っていたのですが、そこで、身を削るようにして仕事を覚えていった研修医たちは、短い間にものすごい成長を遂げ、自信をつけていきました。

 

人には、それぞれキャパシティや置かれた状況があって、「頑張ることができない。あるいは、頑張ることにあまりにも向いていない」という人はいる。

でも、頑張れる人は、頑張れるときに頑張ったほうが良いと思うのです、たぶん。

 

「あまり頑張れない人間」であることを自覚していて、頑張れない人たちに共感してしまう僕でも、仕事仲間としては「頑張ってくれる人」のほうが助かります。

「間違った頑張り」で困ったことになることもあるけれど。

 

いまの世の中では、他人に対して「そんなに頑張らなくてもいいよ」と言いがちです。

しかしながら、多くの現場では「頑張っている人」のほうが高く評価されているのです。

 

「まだ大丈夫です!」って言っていた人が、突然職場に出てこられなくなって、鬱で休職してしまうようなことも少なからずあるし、「どこまで頑張れるのか」っていうのは、正直よくわからない。

「死にたくなったらその仕事は辞めたほうがいい」くらいは言えるとしても。

 

『ケーキの切れない非行少年たち2』でも、いくつかの「予想に反した結果になった事例」が紹介されています。

長年子どもたちに接している専門家でさえ、「ここまでなら大丈夫」という境界線がはっきりわかるわけではないのです。

 

僕は子供の頃、若い頃、「頑張れ」ばっかり言う大人が大嫌いでした。

お前らは「頑張る才能があった人間」だからな、って思っていたのです。

その一方で、自分よりも頑張れない人を「どうしようもないな」と蔑む気持ちも持っていたんですよね。

 

企業の経営者たちの若者たちに対する「やりがい搾取」にはうんざりするけれど、自分が年齢を重ねて、いろんな人を見てくると、「頑張れるときに、自分の価値を高めるような努力をしておいたほうが良い」「せっかくのチャンスなのに、もったいない」と、もどかしくなることって、本当に多いのです。

こういうときに、「成功者」たちは若者に説教したくなるのだなあ、と痛感するのです。

 

彼らは傲慢で、「自分にできることは他の人にもできる」と思い込んでいるのかもしれません。

でも、「自分にできないことは、この人にもできない」と考え、「頑張らなくていい」と言うのは「傲慢」ではないのか?

 

もしこれを読んでいる若い人がいれば、これだけは伝えておきたいのです。

頑張れる人は、頑張ったほうがいい。

そして、自分が頑張るかどうかは、他人に判断をゆだねるのではなく、自分自身で決めてほしい。

 

 

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(2024/3/26更新)

 

 

 

【著者プロフィール】

著者:fujipon

読書感想ブログ『琥珀色の戯言』、瞑想・迷走しつづけている雑記『いつか電池がきれるまで』を書きつづけている、「人生の折り返し点を過ぎたことにようやく気づいてしまった」ネット中毒の40代内科医です。

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