中川淳一郎さんと適菜収さんの対談本、『博愛のすすめ』のなかで、こんなやりとりがありました。

適菜収:父親が小さい子供を保育園に送ろうとして、チャイルドシートに置いたまま忘れてしまった事件がありました。

保育園で子供を降ろさず、そのまま会社の駐車場に車を停め、夕方に女房から電話がかかってきて、ハッと気づいた。急いで車に行ったら子供は蒸し焼きになって死んでいた。

それがヤフーニュースに載っていて、コメント欄でみんな父親を叩いていた。「子供を育てていて、忘れるなんてありえない」「苦しんだ子供がかわいそう」「自分が奥さんなら絶対に許さない」とか。

それはそうなんですけど、とんでもない事件は、とんでもないからニュースになるわけです。逆なんですよ。「ありえない」と言うけど、ありえないからニュースになっているだけで、ありえないことに対して、「ありえない」と言うのは意味がない。

私はこの父親がかわいそうだったんです。だって、人間は忘れることがありますから。絶対に忘れてはいけないような、ありえないことが発生するのが現世です。本当にポーンと忘れることもある。子供が蒸し焼きになるのが現世です。

 

 中川淳一郎:いちばん悲しんでいるのはその親父ですよ。後悔しているだろうし。だから叩くのは簡単です。

北海道の山の中で男児置き去り事件がありましたよね。ネットでは子供がいないような人々が、親の気持ちもわからずに「父親が怪しい」「息子を殺した父親の虚言ではないか」などと「子供は邪魔なものだ」という主観を元に妄想を膨らませるわけですね。

そいつらは、子供がいたら、ランドセルを買うのに三万円かかるとか、保育園も毎月五万円かかるとか、怖くて仕方ない存在としか思っていないんですよ。オレも子供はいませんが。

博愛のすすめ

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僕も、大事なことを「忘れてはいけない」と思いながらも忘れてしまうことがある人間なので、このお父さんがやってしまったことは、「あってはいけないことだけれど、他人事ではない」と思ったのです。

以前、子供を保育園に預けるのを忘れて職場まで行ってしまったこともありましたし(引き返して保育園に預けてきました)。

 

子供への愛情が足りない、というよりは、大事だ、忘れてはいけないと意識しているにもかかわらず、いや、意識すればするほど、なぜか「抜けてしまう」ことって、ありますよね。

 

この話を読んでいて、僕は、あの長嶋茂雄さんが、息子さんと一緒に球場にやってきたにもかかわらず、試合終了後、息子さんを球場に「忘れて」帰宅してしまった、というエピソードを思い出しました。

でも、この長嶋さんのエピソードで、長嶋さんを「子供になんてひどいことを!」と批判している人を僕は見たことがありません。

むしろ、「お茶目な長嶋茂雄の伝説のひとつ」として、語り継がれているのです。

 

暑い日に車内に置き去りにされるのは、野球場に忘れられるよりも、リスクが高いのかもしれないけれど、どちらも「忘れてはいけない子どもという存在を忘れてしまったお父さん」の話ですよね。

 それでも、結果として子供が亡くなってしまえば、「ひどい親だ」と、本人も自分を責めているところに大バッシングをされ、無事だと「面白エピソード」になってしまう。

 

僕は、長嶋さんも同じくらい責めるべきだ、と言いたいのではありません。

車の中で、動けずに熱中症で命を落とした子供のことを想像すると、「親は何をやってるんだ!」と憤りたくなるのもわかります。

 

しかしながら、人間というのは「忘れてはいけないことを、忘れてはいけないと意識すればするほど、忘れてしまうことがある生き物」だとも思うのです。

僕自身にも、何か他のことを考えていると、「抜けて」しまうことがあるから。

そして、このお父さんと同じことをやってしまうのではないか、と怖れてもいるから。

 

ああ、でもあの北海道の男児置き去りのとき、「親の狂言なのでは……」と疑う気持ちが僕にもありました。

それに、こういう事例で、置き去りにした親を責めるというのは、世の中の忘れやすい人たちへの戒めとして、意味があるのかもしれません。

もし子供を置き去りにすれば、お前もこんなひどい目に遭うんだぞ、って。

 

それに、「子供が蒸し焼きになるのが現世です」って、蒸し焼きになるのが自分の子供でも、同じことが言えるのかよ!とも思うのです。

結局のところ、同じようなことをやっても、結果の良し悪しで世間の評価というのは大きく変わってしまう。

 

「何かに夢中になると、大事なことを忘れてしまいがちな人間」としては、他人事じゃないな、と考えずにはいられません。

こういうのって、第三者としては、起こってしまったことを責めるより、これを教訓として、車の座席に子供の重さがかかっている場合などに、運転席のドアを開けるとアラームが鳴るシステムをつくるとか、親の側もスマートフォンにメモしておくというような技術的な対策を考えたほうが良いのではなかろうか。

 

信じられない、信じたくない人も多いのかもしれないけれど、「これは忘れてはいけない」ということほど、なぜか抜けてしまうことって、確かにあるのです。

 

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【著者プロフィール】

著者;fujipon

読書感想ブログ『琥珀色の戯言』、瞑想・迷走しつづけている雑記『いつか電池がきれるまで』を書きつづけている、「人生の折り返し点を過ぎたことにようやく気づいてしまった」ネット中毒の40代内科医です。

ブログ;琥珀色の戯言 / いつか電池がきれるまで

Twitter:@fujipon2

 

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