小学生だった頃。
校長先生が、全校朝会で、繰り返し繰り返し、不思議なことを言っていた。
「君たちは単なる「小学生」ではなく、「◯◯小学校の小学生」として見られるから、、学校の外でも、礼儀正しく、ルールを守って過ごすように。」
私は当時、校長先生が何を言わんとしているのか、よくわからなかった。
小学生の前に「◯◯小学校の」がついたところで、一体何だというのだ。
◆
時が流れて、私は中学生になった。
そして「隣の席の人が入部したいと言っているから」という、消極的な理由だけで、バスケットボール部に入った。
ところが、入部してみて驚いたのは、上下関係の厳しさだ。
今は珍しいかもしれないが、当時私が所属していた部活はOBが絶対的な権限を握っており、とにかく最大限に気を遣わなければならなかった。
特にそれを実感するのは合宿だ。
毎年夏と春に1週間程度の合宿があり、その期間は朝から晩まで過酷な練習とボール磨き、そして先輩の身の回りの世話(布団敷きなど)と、大変なのだが、特に嫌なのが、朝練のあとのミーティングだ。
朝練のあと、施設のロビーで全員ミーティングがある。
そこで先輩の話を聴く時には全員「正座」で聞かなければならず、先輩から「崩していいよ」という一言があって、初めて体育座りができる。
誰かが練習でヘマをしたり、掃除が行き届いていなかったりすると説教が長くなり、この正座が時には1時間以上に及ぶ時もある。
まだ体のできていない中学生が、疲れている体で更に正座。これが誠に辛く、合宿の憂鬱さはここに集約されていると言っても過言ではなかった。
だが、上限関係や正座そのものは、まだ我慢できる。
私がなにより不条理でイヤだったのが、誰かがヘマをすると、そのせいで「全員」が正座になることだった。
私は「なんでオレまで正座させられるんだよ」と、「ヘマをしたやつ」よりも、むしろOBに怒りを抱いていた。
「そいつだけ正座させればいいだろう」と、合宿があるたびにいつも、思っていた。
◆
そしてつい最近、こんな話を妻から聞いた。
「ウチの近くの小学校、制服あるんだよね。」
「へえ、そうなんだ。あー、そう言えば関係ないけど、銀座の小学校で、アルマーニが問題になってたね。」
公立小「アルマーニデザインの標準服」を導入 校長の独断、全部で9万、親から批判も
子どもが入学を予定している区立泰明小学校(和田利次校長)では、今春入学する1年生から、新しい標準服(制服)に切り替える。イタリアの高級ブランド「アルマーニ」に依頼してデザインを監修してもらったものだ。
「そうそう。で、制服の話になってさ。最近は学校以外の場所では、できるだけ制服を着せないようにしてるんだって。家で必ず着替えるらしいよ。」
「なんで?」
「例えば、お店とかでちょっと騒いでしまったりすると、すぐに学校に苦情が入るんだってさ。だから。」
私は、妻が何を言っているのかよく理解できなかった。
「ごめん、ちょっと意味がわからない、子供が騒いでいたら本人、もしくは親がいたらその親に、直接注意するのが普通じゃない?」
「うん、普通に考えればそうなんだけど。」
「どういうこと?」
「いや、学校にも責任あるでしょう、なんとかしろ、って言いたいんだよ。きっと。」
私は考え込んでしまった。
普通に考えれば、小学校には、校外での行動を統制する義務も権利もないはずだ。
一体、どういうロジックが働いて、その小学生の「校外における行動」の苦情を小学校に言おうと思うのか。
そこで思い当たったのが、冒頭の「◯◯小学校の小学生」という校長先生が唱えていた話だ。
もしかしたら……これも「連帯責任」ってやつだろうか?
この話を知人したところ、
「そんなのメチャクチャたくさんあるじゃん。」と一蹴されてしまった。
「例えば、ある有名企業に勤める会社員が、何か犯罪をやらかしたとする。すると、ニュースは「会社員」じゃなく、「◯◯の社員」って報道するんだぜ。」
「おお……。」
「で、決まって「御社は、犯罪を犯すような社員を雇っているんですか!」こう言う連中が湧いてくる。」
「なるほど。」
「会社からすれば、「勤務時間外のことなんか、しらねーよ」だろう。でも、そういうアホが、世の中にはたくさんいるんだよ。」
◆
小学校や会社には、校外や勤務時間外の行動を統制する責任も権限もないことは明白である。
ピーター・ドラッカーはこれについて、次のように述べている。
私も出席していたある社外の会議で、ある会社のCEOが、
「われわれには高等教育に責任があります」と発言したのに対し、「それでは、われわれはどのような権限をもっていますか」と問いかけ、
「権限はない」との答えを得るや、「それなら責任について話すのはやめようではありませんか。権限と責任は対です。権限をもちたくなく、またもつべきでないといわれるのであれば、責任についてもいってはならないと思います。
逆に責任をもちたくなく、またもつべきでないというのならば、権限についていってはならないと思います」といった。
ドラッカーは、「責任なき権限に正統性はなく、権限なき責任にも正統性はない。いずれも専制を招く。」と、一貫した考え方を持っていた。
私もそう思う。
であるから、小学校に苦情が入った時、小学校の担当者はさすがに「しらねーよ、バカ」とは言えないが、
「校外の活動について、我々は責任も権限も持っておりません。ご自身で注意されるか、弁護士にご相談されてはいかがでしょう?」と回答すべきだし、
企業の担当者は
「我々は、業務時間外の社員の行動については、責任も権限も持っておりません。警察にご相談されては?」と回答しなければならない。
そのような苦情を言う人々は、一種の「私刑」を執行しようとしているのだから、法治国家においては無視してかまわないのである。
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