最近、ちょっとした興味から昨今の教育事情について調べていた。まあそう遠くない将来に子供ができたときにでも役に立つだろうと思っての事である。

物事のルートを見極めるにあたって大切なのがゴールの設定だ。現代日本なら、まあ18~22ぐらいの大学入学~卒業ぐらいまでが一応のゴールとして設定できるだろう。

人によって自分の子供にどうなって欲しいかは色々な意見があると思う。ちなみに僕の場合は

1. 他人に搾取されず

2. 精神的に疲弊すること無く生活がおくれ

3. 自分がやってて心の底から楽しい事に没頭できる

ような人間になって欲しいと思っている。我が子には自立した存在になり、人生が楽しく、この世に産まれて心底良かったといってくれるようになってくれたらいいなぁと思うのである。

 

というわけで今回は、上の2つを昨今の日本の教育事情と絡めて、いかに達成するのかについて書いていこうかと思う。

 

働くまでにできれば身に着けて欲しい2つの事

好きを仕事にする。

実にいい響きである。まあ実際に仕事にするかどうかは置いといて、自分の好きを見つける事ができれば、それはもう人生において圧倒的に勝ちだろう。

 

この「好き」だけど、どうやったら見つけられるのかについては結構難しい。

例えば将棋の藤井七段でまた人気が再燃してきたモンテッソーリ教育というものがある。これは簡単にいうと、周囲が「あれをやれ、これをやれ」と言わず、子供が興味を持った事を徹底的にやらせてあげるという教育スタイルである。

あのFacebookのマーク・ザッカーバーグやGoogleのラリー・ページもこの教育を受けたという事で、一部の教育ママの間で非常に話題となっているものだ。

モンテッソーリ教育

常に子供を観察し、そこから学ぶ姿勢を貫いたモンテッソーリは、感覚教育と同様に重要と説いたのは、子供の中の自発性を重んじることである。どの子供にもある知的好奇心は、何よりその自発性が尊重されるべきで、周囲の大人はこの知的好奇心が自発的に現われるよう、子供に「自由な環境」を提供することを重要視した。(Wikipedia)

本流のモンテッソーリ教育とは若干違うけど、日本でもかなり上手に子供が好きを見つけさせてあげられた非常に有名な方がいる。西原理恵子氏である。

彼女が17年にもわたって新聞上で連載していた「毎日かあさん」という漫画がある。この漫画、昨年子育てが終わったとの事で完結したのだけど、実のところ子供が好きを見つけるためのヒントみたいのがそこかしこに含まれていて、読んでいて非常に学びが多い。

漫画に描かれた事からしか読者には判別がつかないので難しいところだけど、西原氏の子育ては非常に自由奔放である。子供を塾に通わせてガリガリ勉強をやらせるような所作からはかなり程遠く、少なくとも現代の教育ママの教育手法とは真逆とも言っていい。

最終的に、最終巻では息子さんも娘さんもいい感じに「自分のやりたいこと」をみつけられているようにみえ、なんというか仮に自分が子供を持ったら、こんな感じで子供が”好き”をみつけてくれたら、頼もしいだろうな、と思わせてくれる非常によい事例である。

 

この真逆の教育論ともいえるのが、子供を4人東大の理三に入れた佐藤涼子ママの育児書だ。彼女の教育論は強烈で、まさに西原理恵子氏の教育論と真逆といっても過言ではない。

彼女の教育方法は、子供を塾に通わせてガリガリ勉強をやらせるような所作ともまたちょっと違う。というかそんなのよりもっと凄い。

彼女は子供をある意味では完璧なる受験アスリートになるようにコントロールしており、それはもう、そんじょそこらの教育ママなんか及びにもならないぐらいの凄さを持っている。

 

彼女の場合、とにかく環境整備が凄い。例えば子供の受験に役立ちそうになさそうだけど、一般的な家庭の子供がハマりそうなゲームとか漫画といった類のものは、わざわざ二階の別室に設け、非日常の物として日常とのケジメみたいのをつけさせたりしてやらせるのである。

こうして、若干後ろめたさを感じさせるような形でそれらのものを摂取させる事で、ゲームや漫画を”摂取してはいけないものである”という風に空気を読ませるのは流石である。佐藤ママのやってることを端的にいうと”ママの喜ぶ事をやるよう、空気を読ませる”教育なのだ。まさに日本のサラリーマン教育といえよう。

 

結局、佐藤ママの子供達はゲームや漫画に過剰に興味を示すこと無く、大学受験の最先端を突っ走っていく、結局全員とも偏差値最高峰である理三に入学する事に成功した。

まあグロテスクではあるけれど、これも1つの愛の形であろう。

 

多くの人たちは、この業績をみて「よかったね。子供達は将来安泰だね」というのかもしれないけど、正直な事をいうと僕はこの業績をみて不安しか感じなかった。

こんなにも”人の空気を読むことが良いことである”という風にコントロールされた生活を送ってしまった佐藤ママの子供達は、果たしてこれから自分で自分の事をコントロールできるのだろうか?いや、もっというと”自分の好き”をちゃんと見つけられたのだろうか。

 

好きをみつけるには自由とヒマが必要

西原理恵子氏と佐藤ママの教育スタンスは、ある意味では両極端ともいっていい。

あくまで書かれた事例からしか読み解け無いけど、この2つの書籍を読み比べる事で1つわかる事がある。それは”好き”をみつけるには、自由とヒマが必要だという事だ。

 

たぶんだけど、西原理恵子氏の子供の方が佐藤ママの子供達よりかは圧倒的にやりたい事は見つけ出せてるだろう。佐藤ママの子供達が本当にやりたい事がみつかっているのなら、全員が全員東大の理三なんて道はどう考えたって選択していないはずだ。

彼女は自発的に子供が理三受験を選んだといったが、僕から見れば彼女の子供達は”空気を読んだ”としかいいようがない。自発性なんて、そこにはあまりないだろう。

 

とはいえ、自由とヒマさえ与えられれば誰でも”好き”がみつかるかといったら、そんな事はないだろう。そんな事なら、日本の教育を放棄して子供を自由奔放にさせた子供達はみんな自分の好きをみつけているはずだ。けどそんな事はまったくもってない。

それにいくら自由とヒマが大切だからといって、それだけを子供に摂取させる事ができるような胆力のある親もそういないだろう。

西原理恵子氏は超成功した漫画家であり、その子供として産まれた子供達と同じような教育を施しても、同じように”好き”をみつけてくれるとはとても思えない。

 

おそらく、多くの人達にとって、西原理恵子氏と佐藤ママの真ん中ぐらいの教育論を導入するのが、18歳前後までの子育てで最もよい手法となるはずである。

”自分の好き”もみつけて、”そこそこいい大学にはいる”

これぐらいが無難なところだろう。

現代において給料のよいやりがいのある仕事は基本的には高知能な人にふりわけられがちだし、やはり高学歴である事はそれなりの保障になる。受験勉強のやらせすぎはアレだけど、受験から目を背けすぎるのも、やっぱりよくない。

じゃあ受験って何が身につくのだろうか。次にそれを見ていくことにしよう。

 

自分で学問を習得する方法を身につける大学受験

受験勉強は害そのもののように言われる事が多いけど、実のところ極めて優れたシステムである。しかしその本質を理解している人は驚くほど少ない。

例えば大学入試の場合、それを習得する事で現代の学問を学ぶ最低限の基礎の習得のようなものができる。実のところ、高校以降の学問は単純暗記だけでは絶対に身につけられないようにできている。

 

高校以降の学問は、全て背景に論理がきちんと整備されている。例えば高校レベルの英文法や英文読解の方法を学ぶと、英語の学習は基本的には全て暗記しないで論理で構築が可能になる。

一見複雑にみえる英文も、基礎的な英文法と英文解釈の応用で全部説明可能になるという事実を知ると、英語が凄くラクに習得できるようになるのである。

 

歴史や理科、数学なんかも全てそうで、問題演習を通じ、それらの背景にあるロジックを身につける事ができるようになると、一生を通じて武器になる強力な道具を習得する事ができるようになるのである。

だから定期テスト一週間前に必死になって試験勉強するのは高校以降の勉強法では無駄以外の何物でもない。高校以降の勉強は、暗記では到底太刀打ちができないものばかりだからである。

 

読解力を身につける中学・高校受験

ここまで読んでこう思った人も多いはずだ。

「大学入試が背景論理の理解を問うている事はわかったけど、じゃあ中学入試とか高校入試って、何が身につくの?」

これはまあ至極当然の問いであろう。僕もこの記事を書く前、高校受験の事を思いだしたのだけど、ぶっちゃけ何を学んだのか初めは全然思い出せなかった。

 

しかしよくよく思い返してみると、高校受験で学んだ事が一個だけ思い出せた。それが「問題文をキチンと読んで、それの問うている事を理解し、他人が理解できるように回答する能力」である。

実はこの能力は日常では全く育たない。人間は、良くも悪くも空気を読んでしまうので、変な事をいっても周りが空気を読んでくれると大抵の事は上手くいってしまう。

しかし試験となると、それが容赦なく採点という形で評価が可能になる。「60点。あなたの理解は、六割です」という風にね。

 

実は本質的には中学入試と高校入試で問うている問題の本質はあまり変わらない。どっちも、最低限の基礎的な知識は要求しているけど、実のところ最も重視しているのは「日本語がちゃんと読めているか」だけである。

最近、中学入試が妙に白熱しているけど、その背景には中高一貫校の有名大学進学率が高いという事があげられる。僕も一応医学部を卒業しているのだけど、確かに周りの有名中高一貫校出身者の割合は本当に高い。

 

僕もこの結果をみて「中高一貫校に入らないと、入試で苦労するんだな。中高一貫校はよっぽど凄いカリキュラムを生徒に提供しているのだろう」と学生時代は思ったのだけど、今思うとこの考えは完全に間違っていたなと思う。

中高一貫校が進学実績が高いのは、そこで提供しているカリキュラムが優れているからではない。ようは才能ある「問題文が読める、優秀な生徒」を青田買いしているだけである。

 

はっきりいって、中学入試はお金がないとできない。そして現代において、教育にお金をかけられる層というのは、そこそこ意識の高い、知的な家庭である事が非常に多い。

そういう層を、青田買いしたら、そりゃ大学の進学実績は高いに決まってる。

そういう意味では、高校受験組というのは、母集団がのっけから二軍スタートなわけである。そりゃ進学実績が違うのも当然だろう。たぶんだけど、知能指数だけで単純に比較したら、そこまで進学実績は変わらないはずである。

 

それに開成や灘高に入れるような優秀な人間でも、半分以上は東大に入れないのである。だから無理させていい高校に入れても、そこでの成績が悪かったら、いいことなんてあまりないだろう。

個人的には、中学受験にしろ高校受験にしろ、ちゃんとやらせた方が子供の後々の教育には役立つとは思うけど、どっちを選ぶかは子供の成熟度合いによるなと思う。

 

子供が早熟ならば、中学受験でよいところに放り込んで、その後、6年間を大学入試までの間に好きなことを見つける時間に使ってもらえばいいし、逆に子供が晩成型ならば、小学校は好きに遊ばせて、高校入試をやらせた方が全然いいと思う。

大切なのは、子供にちゃんと勝負に勝たせてあげる事である。無理して実力以上の敵に挑ませて、負け戦を味わわせてプライドをへし折ってもいいことなんてなにもない。

 

子供の成長こそ、ちゃんと親が見極めるべきであろう。大丈夫、時間はたくさんある。

無理して成長していない子供に中学受験を押し付けて、心を壊すことだけは断じて否である。成長スピードは個々で違う。我が子を安心して見守ろう。大器晩成型だってちゃんといるのだから。

 

中学受験以前の教育

長くなったのでまとめると、

・ゴール

自分で好きなように人生を生きれるようになる

 

・大学入試~大学入学以降

自分の好きをちゃんとみつける

自分で身につけたい事を身につけられるような基礎力を身につけられるようになる

 

・中学受験、高校受験まで

文字が読めるようになる

 

というのが、一応の子供の理想的な発達段階である。

じゃあそれ以前はどうすればいいのだろうか?

個人的には、それまでの子供の教育は、あんまし難しいことを考えずに、ちゃんと子供に

「楽しそうに生きているだけで、エライ!」

という自己肯定感を与えてあげられる事で十分だと思っている。

 

実は親は教育者でも何でも無い。日本語で親の事を保護者と表現するけれど、この漢字の通り、親というのは単なる保護者以上でも以下でもないのである。

 

もちろん、子供の事が不安になるという気持ちはよくわかる。自分の方が子供より人生経験豊富なのだから、よい人生に導けると思う気持ちも痛いほどわかる。

けど、あなたの生きた時代と子供の生きる時代は全然違うものなのだ。あなたも、両親のアドバイスが的はずれだと思った事が多分あるんじゃないだろうか。あなたの子供も、きっとそう思うはずである。

 

子供をちゃんと保護してあげよう。それこそが、大人の責務なのである。私達に子供なんて教育できないのである。せめて保護ぐらいはちゃんとやろう。最近も目黒区で痛々しい事例があったけど、親の本来の仕事は、教育ではなく保護なのである。

 

保護者を全うしよう。それ以上でも以下でもないのだ。自己肯定感を持てれば、大抵の事はうまくいく。

自信満々のブサイクの方が、自己肯定感の低いイケメン・美女よりも人生は圧倒的に上手くいく。本当にそういうものなのである。

 

だからあなたの子供に、こう言ってあげよう。

「生きてるだけで、偉い!!!凄い!!!」

 

【プロフィール】

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高須賀

都内で勤務医としてまったり生活中。

趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。

twitter:takasuka_toki ブログ→ 珈琲をゴクゴク呑むように

noteで食事に関するコラム執筆と人生相談もやってます→ https://note.mu/takasuka_toki

(Photo:Gary Campbell-Hall