もう10年以上前のことなのでお話しても時効だろう、ある会社の社長からヘッドハンティングの声を掛けられたことがある。

冷凍うどんなどで知られた、恐らく多くの人にとっておなじみの会社だ。

 

詳しく聞いてみると、個人資産から出資しているある会社の経営状況が思わしくないので、ターンアラウンドマネージャーとしてその会社に行って欲しいという話だった。

当然、「御社のCFOやエースを派遣した方が確実では・・・」と率直な疑問を返す。

大きな会社なので、まさか社内に人材がいないはずもない。というよりも、そういった人たちを差し置いて当時まだ30代前半だった私に経営を任せたいなど、明らかに何かがおかしい。

 

かわいがられているのは感じていたが、引き抜きは青天の霹靂でむしろヤバイ裏があるに決まっているとさえ思ったので、その場で強く固辞した。

しかしそれでも粘られ、説得された。詳しくは後述するが、無碍に断りきれない理由もあったので仕方なく、とりあえず話は聞くことにした。

その時の話を要約すると、

・出資は個人資産からなので、会社の役職員を出せない

・かといって、シャレにならないほど資産を入れているので放置することもできない

・人は出せないが、可能な限りの支援は継続するのでぜひ引き受けて欲しい

というものだった。

 

ただ、この際に示された大まかなP/LやB/Sの経過を見る限り、ちょっとやそっとでどうにかできるような状況でないことは明らかだった。

しかもその会社は、売上が数百億円規模でパート・アルバイトも入れると数千人規模の従業員を抱える大所帯である。私が当時CFOを務めていた会社の5倍になろうかという規模だ。そのことも、そう簡単に首を縦に振れない理由の一つであった。

 

熱心さに圧され、とりあえず持ち帰り考えさせてもらうことにしたが、正直理由さえ分かればおかしな話ではない。

要するに、社内の人間は使えないが何とかしたい。そして、仮に経営再建に失敗しても自社や自分に累が及ばない人間にやらせたい。なおかつ、成功の可能性がある程度見込める人間を選んで任せたいと。

こんな都合のいい経営者を探しているという、超わがままでムチャな状況ということだ。

そしてたまたま、それが私だったということだ。

 

この状況は、私にとっていわばアツアツの火中の栗を拾おうとするようなものだ。

挑戦は刺激的であり、めったにできない経験になることだけは間違いない。しかし高確率で、手を伸ばした瞬間にクリは弾け飛んで大火傷をするだろう。

そして、経営再建に失敗した経営者という烙印を押される事になるのも、おそらく間違い無さそうな未来予想図である。

なかなかに究極の選択だ。“賢い経営者”ならまあ、普通やらない。

 

だが私には、当時それを引き受けるかどうか、大いに迷う理由があった。

それは何か。そしてそもそも、なぜ私にそんな白羽の矢が立ったのか。その背景について、少しお話してみたい。

 

 

当時私は、ある中堅企業のターンアラウンドに取り組んでいた。

より正確にいうと、IPO(株式の新規上場)を目指す会社の取締役兼CFOに就いたはずなのだが、経営状況が急速に悪化してIPOどころではなくなってしまった微妙なポジションに立っていた。

工場の稼働率や売上はそれなりにあるにも関わらず、数字を締めたら大赤字が続いている。当然運転資金は、どんどん溶け続ける。

 

こうなればもはや、監査法人の偉い先生相手にショートレビューに金を払い、世間話などしている場合ではない。IPOは一旦脇において、まずは出血を止めることが最優先課題だ。

そして状況を整理し原因を探るべく工場に足を運び現場を廻ったが、それはすぐに明らかになった。単純に、誰一人として数字に関心がある者がいなかったということだ。

 

念のために申し上げておくと、その会社の経営者はとても尊敬できる、素晴らしい方だった。

工場の技術者もとてもよく現場をグリップしており、従業員はまじめそのもので素晴らしい人たちばかりだった。たくさんの給料は支払えなかったが、非常に高いクオリティの製品を高い責任感で仕上げてくれる工員たちばかりであった。

ただ誰もそれを、数字として可視化することに興味がなかった。原因はそれだけである。

 

バカバカしいことを言っていると思われるかも知れないが、実はこれは、CFOに言わせれば中小企業あるあるだ。

その会社は元々、サービス業から会社を起こし、数十年に渡り安定した業績を上げ続けていた会社だった。

そして第二の創業として、利益率の高い上流に向かって製造業に進出したことで、ベンチャー企業として存在感を発揮し始めていた段階にあった。

 

良く見知った製品を自分たちで作るわけだから、当然のように「良いものを作れば売れるっしょ」という発想になる。そして実際に売れるには売れる。しかし誰も原価管理をしていないので、儲からない。

かくして、良いものを赤字で提供するボランティアワークが完成し、運転資金は溶け続け会社は法的整理に向かって加速をつけていた。

 

この状況を把握すると、当然私もIPOなどと言っている場合ではない。工場に貼り付き、材料費や製造労務費などの可視化と改善に取り組む役割を担って動き始めていた。

なぜか。理由は単純で、会社の中でそれをやったことがある者が、誰もいなかったからだ。当然それは私も同じだったが。
だがこういう状況では、お互いがお互いの顔を見合わせる。

 

そして責任を持っているはずの役員までもが、周りの誰かを頼ろうとして誰も積極的に動こうとしない。

そして我慢できずに、最初に動いてしまうのがきっと一番気の小さい人間だ。なぜなら、そこにある恐怖に一番にビビって何とかしようとしてしまうからだ。そしてそれが私だった。

 

けっして責任感が強いわけでも男気に駆られたわけでもない。誰も動かないから仕方なく、現場に入りターンアラウンドに取り組むことになった。

結果として、この時の経験はかなり厳しい仕事になった。だが、やりきることができた。

好んで求めた環境ではなかったが、追い込まれたことで色々な感覚が鋭敏になりある程度の成果を挙げ、多くのステークホルダーにも喜んでもらう結果を得ることができた。

 

そして、最初の話に戻る。

このターンアラウンドに取り組んでいる時、もはや銀行も手を引いているような状況で最後まで助けてくれたのが、その会社であり社長だった。

現預金の枯渇が見えた時には、運転資金見合いの第三者割当にまで応じてくれたこともあった。まさに通常ならありえない破格の救済だ。

そして様々な支援を受け、経営再建に一定のめどを付けることができお礼の報告に行った際に掛けられたのが、冒頭の誘いだった。

 

結局、ターンアラウンドに取り組んだ会社は同業他社に売却する方向で、M&Aを進めていた。

そのため、その仕事に一段落してからでいいからこっちを頼む、ということだったのだが、このような経緯があるために無碍に断ることなどできなかった、ということだ。

だが、話そのものは自分の経験値を越える上に、再建に自信を持ちきれない。持ち帰って考えたはいいものの、容易に結論が出せない時間が無駄に過ぎていく。

 

話は急に変わるが、私はスタートレックという、あるアメリカドラマが好きだ。

1980年代に日本の地上波でも深夜に放送されていたが、中でも一番好きな話が、主人公である宇宙船の艦長があるトラブルで事故死するところから始まる話だろうか。

 

死後の世界で、時空を自在に操ることができるQという生命体に声を掛けられた艦長は、人生をやり直す選択肢を与えられる。

結果、分別と知見を兼ね備えたまま若者に戻ることを選んだ艦長は、事故死に繋がる危険な任務への導線を全て潰す生き方を選んで、人生をやり直した。つまり、徹底的にリスクを避け賢く生きようとした。

そして気がついたら、エリート艦長であった人生とは全く違う、ごく平凡な人生を過ごすことになっていた。

 

当たり前だ。人生の中で徹底的にリスクを避け、人と違うことを絶対にしない道を選ぶなら、それはありふれた人生になるに決まっている。

最新鋭宇宙船のエリート艦長として活躍していた人生では、徹底してリスクに挑み、リーダーシップを執り続けて抜きん出た存在になれたことを、艦長はその時に初めて思い出した。

そして、「今すぐ元の人生に戻してくれ、私は私のままで死ぬ!」と、Qに哀願する。

 

これ以上はネタバレになるので結果やいかに、であるが、人生の中で遭遇したリスクには挑むのか、それとも避けて通るのか。

その積み重ねは人生そのものということだ。これは決してドラマの中だけの話ではなく、私たちが生きている毎日の人生そのものでもある。

 

結局自分には、失敗しても失うものなどそう多くないことに何となく気が付き始めていた。

最初にターンアラウンドに取り組んだ時もそうだったが、自分が恐れていたものは

「失敗するだろうなあ」

「やったこと無いし、何して良いかもわからないなあ」

といった程度の体面と、臆病で弱い心に過ぎない。そしてそれは大して怖いものではないことは、もう知っている。

 

そうなればもう、結論は出たようなものである。

私は「例の仕事、こちらが一段落したら詳しく話を聞かせて下さい」と、前向きな返事をすることにした。

そして先方は大喜びしてくれて、私は新たなターンアラウンドの仕事に取り組むことになる。

 

と、よくできた話ならここで終わるのだが、残念ながらまだ一波乱あった。

新しい仕事に向け自社のM&Aをまとめあげようとしている、まさにその時。その社長の会社自体に存続を揺るがす「粉飾決算」などが報じられ、連日メディアから大バッシングを受ける大騒ぎが発生する。

ただそのお話は、無駄に間延びするためにまた機会があれば、ということにしたい。

 

結局その会社は社長以下の役員が総退陣に追い込まれてしまい、他社の傘下に入ることになった。

結果、私が行く予定であった会社も支援が断たれ、程なくして会社更生法の適用を申請するに至っていた。そして私の人生は、今の自分に向かって伸びることになった。

 

 

この話で、私が伝えたかったことだ。

それは、リスクを取ることなど愚か者のやることだ、ということであろうか。

草むらから飛び出してくるヘビは危ないので舗装された道を歩くべきだし、実際に人から相談されれば、私はそうするよう勧めるだろう。

 

しかし、いつの時代も、新たな価値を作り、新たな道を切り拓くのは損得計算の余り上手くない愚か者と相場が決まっている。

だからもし、自分をもう少しだけ成長させてみたい。より大きな仕事に挑戦してみたいという想いが自分の中に僅かでも芽生えてきたら、たまには舗装された道から外れて、おかしなことをしてみたらどうだろうか。

 

できそうもない仕事を引き受けて死ぬ気で努力をしてみたら、きっと何か、自分の新しい可能性が見えるはずだ。

本気で取り組めば、大概のことは簡単にできてしまうものである。ぜひ自信を持って、新しい可能性に挑戦して欲しい。

ターンアラウンドに取り組み、一定の成果を上げたことで、私はそんな思いを持つに至っている。そしてそれを、僅かでも縁があった人に、拙い言葉でもいいから伝えていきたいと願っている。

 

そういえば、2度目になるターンアラウンドに取り組んでいたら私はどうなっていたのか。

自分のパラレルワールドの続きを見て見たい気がすることがある。まあきっと、大失敗してロクでもないことになっているんだろうな。

 

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【著者】

氏名:桃野泰徳

大学卒業後、大和證券に勤務。

中堅メーカーなどでCFOを歴任し、独立。会社経営時々フリーライター。複数のペンネームでメディアに寄稿し、経営者層を中心に10数万人の読者を持つ。

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