先日、少し前に書いた記事がきっかけで東京FMのタイムラインというラジオ番組に出演させて頂いた。

これも日々記事を読んでくださる皆様のおかげである。誠に感謝申し上げる。

 

ラジオでは、無敵の人とネット福祉について話させていただいたのだけど、せっかくなのでラジオでは話せなかった事も含めてちょっと記事に書き起こしてみようかと思う。

 

無敵の人を作る、2つの条件

改めて無敵の人の定義を確認しておくと、彼らは”人間関係も社会的地位もなく、失うものが何もないから罪を犯すことに心理的抵抗のない”人達の事である。

 

無敵の人という単語が一般的に通用するようになったのは2008年の秋葉原通り魔事件である。この事件は当時は衝撃が強すぎた事もあり、色々な報道がなされた事もあってあまり正しく理解されていない。

この事件を正しく読み解くためには、犯人である加藤智大氏の書かれた”解”という著書が参考になる。恐らく殆どの方が読んだ事がないと思うのだけど、無敵の人について理解するには大変に示唆に富んだ本である。

 

加藤氏がなぜ凶行に及んでしまったのかを分析すると、無敵の人には2つの特徴がある事が読み解ける。

1つは人寂しさであり、もう1つは強い正義感である。

 

寂しさは人を殺す程に強い

そもそもなぜ無敵の人はインターネットに接続するのかと言うと、彼らが人と人の交流を求めているからに他ならない。

 

加藤さんも、もともと地元にそこそこ友達がいたようなのだけど、持ち前の難しい性格が元で地元に定着できず、また職場もトラブルを起こしたりして転々としていた事もあり、人との交流があまり持てずにいたようだ。

そんな中で、寂しさを忘れたいが為にネットに接続し、掲示板での交流を楽しまれていたという(後にこれが事件の発端になってしまったというのは実に悲しいことだけど)

 

彼の著書に非常に印象的な場面があるので以下にそのまま引用しよう。

私はどうしたらいいのかわからなくなり、ぼんやりと、駐車場の車で寝ていればそのまま死ぬかもな、などと考えていました。

どれくらいの時間が過ぎたのかはわかりません。気づくと、駐車場の管理人が警察官を連れてきていて、その警察官に、何をしているのかと問われました。

久しぶりの人との会話に涙があふれました。ごまかすこともできずに、自殺しようとしていると、そのまま答えたところ、「生きていればいいこともある」と言われ、私の心は凍りつきました。

それは「(俺は何もしてやらないけど)生きていればいいこともある(だろうから、ひとりで勝手に頑張れ)」ということだからです。

このように、寂しさというのは人を自死に追い立てる程に苦しいのである。

 

強すぎる正義感は、時に毒になる

さて自殺も考えていた加藤氏が、なぜあの凶行に走ってしまったのかをみていこう。

前に書いたとおり、加藤氏は人寂しさからインターネットの掲示板に書き込みを行っていた。

詳しいことは省略するけど、加藤氏はそこで1つのトラブルに巻き込まれた。そして加藤氏は自分を追い立てた人間にどうにか痛い目にあわせ、「自分の行いが悪かった」と反省して欲しいと思ったようなのだ。

 

けど、相手はインターネット上の存在で、直接現実社会でコンタクトを取る事が非常に難しく、「それなら現実社会で大きな事件を起こすことで、相手にインパクトを与える事ができるのではないか」と思ってしまったのだという。

これを発想があまりにも突飛だとか飛躍しているという事は置いといて、ここでの問題点は、そう思いついた上でこれを実際に実行してしまう加藤氏の人間的な性質にある。

 

当たり前だけど、ほとんどの人間は仮にこんな事を思いついた所で、実際に実行しようだなんて思わない。

しかし加藤氏はそれを断行してしまった。なぜそんな事ができるのかというと、加藤氏には、とてつもなく強い正義感や責任感があったからだ。

 

実はこれは宗教対立やイデオロギー論争なんかでは時々起きる事で、神や信念をもとに民衆を大虐殺する事は結構歴史上では頻発している。少し前なら文化大革命なんかがそうだし、最近ならISISの行いが例にあげられるだろう。

当然、正義心だけではこんな事件は起きない。ここで問題となるのは、正義心を持ってしまった人間に余裕が全く無いことだ。

 

先の例でいれば、共産党しか正しい考えはない、イスラム原理主義しか正しい宗教はない、それを必ず証明しなくてはいけない、というのが文化大革命やISISが残虐を行う事を許してしまった事の原因にある。

 

けど少し余裕がある社会にきてみればわかるけど、世の中は何が正しいとか間違っているという風に、善悪二元論で簡単に片付けられるような性質のものではない。

様々なものが、多少の間違いを内包しつつも成り立っているのが社会であり、多様性だ。

 

そう考えると、なんで無敵の人とインターネットとの相性がよいのかが自然とわかってくる。

そもそもの大前提として、加藤氏のようなインターネットに寂しさから人縁を求めてくるような無敵の人予備軍は、現実社会での人縁が非常に乏しい。

そんな人がインターネット上で人縁トラブルに巻き込まれたとしたら、それに執着してしまうのは当然である。だってそこにしか彼らの社会はないのだから。

 

この非常に狭い視野の中、強い正義感が相まってしまった時、非常に不幸なミスマッチが起こる。それが秋葉原通り魔事件であり、Hagex氏の刺殺事件にも繋がっている。

今も昔も、正義は時に人を殺すのである。

 

インターネット福祉とは何か

さて無敵の人の問題点がわかった所で、次にどうすればいいのかをみていこう。

個人的にはこの問題の解決方法は、もう福祉をネットに導入するぐらいしかないと思っている。

 

そもそも福祉の始まりは、19世紀末のドイツのビスマルクが発端だ。当時は産業革命が起き、資本主義がもの凄い速度で加速していった時代だ。

資本主義というのは、成功者には莫大な富をもたらす一方で、負けた人間には容赦ない鉄槌が打ち下ろされる社会だ。

そのまま放置すれば、自然と格差はもの凄いスピードで広がっていき、結果、負け組によるグレートリセット狙いの革命が乱発する事になる。

 

19世紀末はこの悲惨な現状を元に、マルクスが資本論を書き、社会主義革命の必要性を唱えていたという事もあって、どこの国も格差問題については物凄く頭を悩ませていた。その結果うまれたのが、福祉の提供による格差解消だ。

こうして福祉を提供し勝てなかった人間にも手厚く報いる事で、なんとか世の中はギリギリの均衡を保ってここまでやってくる事ができた。

 

その後、社会主義革命は大失敗したわけだけど、こうなると面白い事に今度は新自由主義と努力教という非常に強いシバキアゲ論が世間を支配するようになった。

「頑張った人間は、頑張ったのだから報われて当然」

「負け組は自己責任。頑張らなかったのが悪い」

社会主義革命の恐怖がなくなったからなのか、最近はこういう意見が物凄く普通に通用するようになった。なんというか、本当に人間というのは失敗から学べない存在であるといえる。

 

こういう勝ち組による負け組への排斥が、無敵の人を生み出している事に、私達はそろそろ気がつくべきだろう。

無敵の人というと、いかにも頭のおかしい人間のように聞こえるけど、あれはある意味では凄くかわいそうな存在なのだ。

 

ヨコとタテの関係

じゃあ具体的に福祉と言っても何をすればいいのかだけど、個人的にはインターネット福祉において大切なのはヨコとタテの繋がりを整備する事だと思う。

 

ヨコというのは同じような人間による交流だ。ツイッターなんかだとクラスタという形で似たような人間がつながる傾向にある。

このクラスタだけど、今はネットコミュ力に優れた人間だけが手に入れられる要素が強く、弱者が簡単に手に入れられるというような性質は併せ持たれていない。

 

これをもう少しどうにか整備して、広い範囲に提供できるようになれば、寂しさから人縁を求めてネットの海に流れ込んできた人は相当救われるであろう事は想像に難くない。

Amazonで買い物をしたら、この商品を購入した人はこんな商品も購入していますというような形でオススメの商品が紹介されるけど、あれに近い形でクラスタも今後わかりやすく広い形で提供されるようになればよいと僕は思う。

 

そしてこれに加えて大切なのが、タテの関係だ。

金持ち喧嘩せずというように、余裕がある人間はあまり揉めない一方、余裕のない人間の間ではトラブルが頻発する。これはもう、避けようがない事実である。

ここで何で金持ちが喧嘩しないのかといえば、彼らはヨコの繋がりが非常に豊富なのだ。

どこかでトラブっても、すぐに別のヨコ社会へと精神を移す事で簡単に心の切り替えができ、その結果、冷静になる時間を簡単に作る事ができる。結果、金持ち喧嘩せずとなるわけだ。

 

弱者のコミュニティも、そういう広いヨコのコミュニティができれば、心に余裕が持てるようになり、喧嘩は減るだろう。けどやっぱり弱者は弱者だから、豊富なヨコの繋がりを誰でも持てるわけではない。

そういう時に、タテ方向の人と人との繋がり、具体的にいえば医者や福祉事務員、炊き出しボランティアをしてくれるような人、といった、直接のヨコのつながりがない人との交流を持てる場所を作れる事が非常に重要なのだ。

 

食べるものに困らなくとも、依然として承認欲求や人望、友達といったものの格差が生じてしまう事は避けがたい事実であり、そういうものの不足がオウム真理教や無敵の人による凶行を産んでしまうという事を、私達はそろそろ真摯に考えなくてはならない段階にきている。

もうネットも、そろそろ利用料金に社会保障費のような形で福祉費用を徴収してもいい段階にきているのではないだろうか。インターネットも1つの社会なのだから、当然ともいえるだろう。

 

かつてと異なり、既にネットは誰でも接続ができる、広いインフラになってしまった。

以前なら、接続を持つ事自体が非常に難しく、結果、インテリだけが交流できていたりもしたわけだけど、もうそういう時代に戻れるような段階はとっくに過ぎ去っている。

散々ネットで恩恵を受けてきたのだから、そろそろ私達もインターネットに恩返しをすべきだろう。

ネットの世界が平和であるためにも、私達は今一度、19世紀末に立ち返り、真摯に歴史を学び直すべきなのだ。

 

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(2024/1/22更新)

 

【プロフィール】

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高須賀

都内で勤務医としてまったり生活中。

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(Photo:Randy Salgado