6歳になる娘が、最近「明日からやる」と言うようになった。

 

例えば、娘は幼稚園から日別に課題を出されるのだが、その課題になかなか手がつかない。

今は夏休み中ということもあり、「課題はどうしたのか」と尋ねると、「あしたからやる」と答える。

 

なるほど。

だがこの発言はあまり望ましいとは言えない。

なぜなら「あしたからやる」は、弱い自制心の現れだからだ。

 

人生をある程度望ましい方向にコントロールする上で、「自制心」は非常に重要なファクターだ。

実際、スタンフォード大の心理学者、ウォルター・ミシェル氏は著書で次のように述べている。

自制心は長期的な目標を首尾良く追求するには欠かせない。

また、思いやりに満ち、互いに支えあう関係を築くのに必要とされる克己心や共感を育むのにも必須だ。

自制心があれば、幼いころに困難に陥ったり、学校を中退したり、物事の成り行きに無頓着になったり、大嫌いな仕事から抜け出せなくなったりするのを避ける助けになる。

そして自制心は、満足のいく人生を築くのに絶対必要なEQ(情動的知能)の根底にある「万能能力」だ。

もちろん、大人になれば更に「自制心」は強く要求される。

クライアントからの依頼を確実にこなすこと、自分自身の能力開発を行うこと、家族のために時間を使うこと、友人との関係を保つこと……

自制心の欠如は、ありとあらゆるシーンで、ペナルティとなる。

 

私は娘に言った。

「明日やるという言葉は、今日からできることに対しては、言わないほうがいいと思う。」

「なんで?」

「……」

 

私は回答に困った。

自制心が大事だということはわかっているが、「なぜ、「明日」ではダメなのか」と率直に問われると、説明が非常に難しい。

 

「自制心をつけるため」という説明もしっくりこない。

なぜなら、「先送りするな」と脅して娘が課題をクリアしたとしても、娘の自制心を鍛えたことにはならないからだ。

むしろ「怖い人の言うことには黙って従え」という間違った教訓を与えることにもなりかねない。

 

「ぜったいあしたからやるからー」と、娘が繰り返す。

私は迷った挙げ句、

「わかった、明日は必ずやるんだよ」

と折れた。

私がきちんと説明できないことを娘に要求することはできないし、娘の意思を無視するわけにも行かない。

 

翌日。

残念ながら、というか予想通り、娘はまた課題をやらなかった。

 

私は娘が一向に課題を始めないことにイライラしていた。

「きのう、あしたからやるって言ったよね?」

 

流石に娘はバツが悪かったのか、

「言ったけど……」と口ごもる。

「ではなぜやらないの?」

「あんまりやりたくない気分」

「……」

 

 

人は、なぜ「いまサボれば(またはやってしまえば)悪い結果が待っている」と知りつつ、

「いま、楽をしたい」

「いま、快楽を得たい」

という衝動に負けてしまうのだろう。

 

上述したウォルター・ミシェル氏はその理由を脳の「大脳辺縁系」の機能によるという。

私達の大脳辺縁系は依然として、進化上の祖先の大脳辺縁系と同じように機能する。

今でも情動的にホットな「ゴー!」システムのままで、快感や苦痛、恐れといった情動を自動的に引き起こす強力な刺激に対する、素早い反応を専門としている。

生まれた時すでに完全に機能するので、赤ん坊はお腹が空いたり痛みを感じたりすると泣く。(中略)

このシステムは反射的で、単純で、衝動的であり、反応行動や興奮、衝動的行動を、たちまち自動的に引き起こす。

そのせいで未就学児はベルを鳴らしてマシュマロを食べ、ダイエットをしている人はピザにかぶりつき、喫煙中毒者はタバコの煙を吸い込み、腹を立てた虐待者はパートナーを殴り、性的な自制心を失った男性は清掃係の女性につかみかかる。

多くの人が知るように、この機能は極めて強力で、子供はおろか、大人ですらこれに抗うのはとても難しい。

 

だからこそ、ウォルター・ミシェル氏は

「幼いころに自制を可能にする戦略を学んで練習するほうが、長い人生を通じて確立されて根付いたホットで、自滅的で、自動的な反応のパターンを変えるよりも、ずっとやさしい」

と述べる。

 

そしてこの能力は、子供を親の思う通りにコントロールしようとすると、身につきにくいことがわかっている。

最初の研究のとき、子どもの選択と、自由意志があるという感覚を後押しすることで自主性を奨励した母親の子どもは、のちにマシュマロ・テストで成功するのに必要な種類の認知的スキルや注意コントロールスキルが最も優れていることがわかった。

これは、母親の認知的能力と学歴の差をバーニーらが考慮に入れたときにさえ、当てはまった。

ここからは次のようなメッセージが読み取れる。

すなわち、幼児を過剰にコントロールする親は、子どもが自制のスキルを発達させるのを妨げる危険を冒しているのであり、一方、問題解決を試みる際の自主性を支え、奨励する親は、子どもが保育園から帰ってきて、どうやってマシュマロを二個手に入れたかを嬉々として聞かせてくれる可能性を、おそらく最大化しているのだろう。

つまり、私は親として、娘に「課題をやる」という選択肢を自主的に選ぶ事ができるよう、技術と環境を与えなければならない。

 

では「今、ここ」を乗り越えるための技術と環境とは、一体なんだろうか。

人間の脳は「感情・気分」が殆どの場合「論理・事実」に勝ってしまうので、結果をそのまま予測することでは行動は変わらない。

娘がそうだったように、頭で理解していても、行動には移せないのである。

 

例えば

・たばこを吸うと肺がんになる可能性が上がる

・減量しないと高血圧、高脂血症などに繋がり、様々な疾患の可能性が高まる

というのは事実であるが、これを「知って」いても、行動は変わらない。

ではどうするか。

 

ウォルター・ミシェル氏は自分自身の禁煙体験をとりあげ、

行動すること、しないことの結果がもたらす「気分」を、よりリアルに想像することが効果的であると述べる。

 

実際、ミシェル氏はヘビースモーカーであった。

彼自身はタバコの危険性を合衆国衛生局のレポートを読み、知っていたが「喫煙は学者の生活様式の一部で、他の人も喫煙している」と自分を正当化していた。

だが彼はある日、スタンフォード大学のメディカルスクールで、ストレッチャーに固定された肺がんの男性を目撃する。

彼が看護師に話を聞いたところ、がんはあちこちに転移しており、今から放射線治療にゆくところだという。体にはあちこちに緑の印があり、それは放射線を照射する位置を示していた。

 

彼はこの光景を見てショックを受け、ようやく禁煙を決意した。

彼はタバコを嫌悪感をもよおすものにするため、灰皿に顔を突っ込んで思い切り息を吸い込み、がん患者の姿を思い出すように努め、三歳の娘に「娘は指しゃぶりを、氏はたばこをやめること」を交換条件として契約した。

結果的に、数週間で彼は禁煙することに成功した。

 

遠い将来に起きるかもしれない感情を、今シミュレーションすることで、人は今すぐ、行動することができるようになる

 

この考え方は様々に応用できる。

例えば、ニューヨーク大学のハーシュフィールド氏は、アバターの年齢を変えた場合、貯蓄性向に変化が出るかを見る実験をした。

(出典:マシュマロ・テスト 成功する子、しない子 早川書房)

すると、「自分の今の姿」のアバターよりも「自分の老後のアバター」を見せられた人のほうが、三〇%も多く貯蓄の意思を示した。

リアルな将来像が、普段とは異なる行動を促すのである。

 

つまり、自制心とはすなわち想像力の産物であり、「今すぐやる」は将来の自分の感情をどれだけシミュレートできるかにかかっていると考えてよいだろう。

 

 

私は娘に言った。

「今日、課題をやらなかったら、後でどんな気持ちになると思う?」

「んー……。いやなきもちになるとおもう」

「どんな?」

「あそんでても、たのしくなくなっちゃうし。」

 

「じゃあ、今課題を楽しくやるにはどうしたらいいと思う?」

「お父さんにいっしょにやってもらったら、たのしいとおもう。」

 

そう言うと、娘はおもちゃなどがない、廊下に向かって走っていった。

「妹ちゃんがいたり、おもちゃがあると、きになっちゃう。こっちでやる。」

 

ほんのちょっとの技術と、環境次第で誰でも自制心は身につけることができる。

そう思った。

 

 

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