つい先日、「最近、成長実感がないので、転職を考えてます」という方と話をした。
話を聞くと、彼は現在の会社で4年目、社内での評価は高く、上位2割には間違いなく入っているという。
だが彼は不満をいだいていた。
「この仕事、もういいかなー、って思うんですよね。」
「そうですか?」
「最近は成長の実感もないし、数字を追いかけているだけですからね。つまんないっすよ。」
正直、彼が転職をしたい理由が、成長実感がないことに起因するのかはよくわからない。
単に上司と仲が悪いだけかもしれないし、給料が安いからかもしれない。
だが、成長実感がないことが、大きな不満につながることだけは、私の目から見ても確かだと感じる。
パーソル総合研究所の調査は「成長実感は、その会社で働き続けたい気持ちを上げる」ことを示唆する。
「成長実感」は「その会社で働き続けたい気持ち」を上げ、「転職意向」を下げており、成長志向に比べてリテンションの効果も大きそうです。
端的にまとめれば、成長は「志向する」ことだけではほとんど仕事への意欲や満足度を向上させておらず、実際に「実感」することができるかどうかが就業意識を大きく変化させるということです。
このレポートは、「だから、社員を会社に引き止めるには、成長実感を感じさせることが重要」と締めている。
また、特に男性は30代から40代にかけて、女性は20代から30代にかけて、成長実感を得にくくなる実態がレポートで示唆されている。
「仕事がつまらなくなってくる」「限界を感じる」「転職したくなる」のは、ちょうどこの時期なのだろう。
*
だがこの「成長実感」というやつは、仕事においては結構曲者だ。
成長実感ばかりを追いかけていると、「一流」へのきっぷを手放してしまうかもしれないからだ。
私にも一つの思い出がある。
新規事業の担当を外れ、ラインのマネジャーをやっていたときのことだ。
新規事業の担当だったときは、毎日が新しいことの連続で、マーケティングからセミナー開催、お客様へのサービス提供までを一貫してやらなければならなかったため、大変に忙しく、また刺激的であった。
当然、成長実感も伴っていた。
しかし、残念ながら成果は思ったほど上がらず、新規事業は閉じられ、私はラインのマネジャーに戻されることとなった。
ところがラインの仕事はすでに仕組みができあがっている。
あまり考えなくても「実直にやっていれば」成果がある程度見込めるものだった。
もちろん、会社の数字への貢献は、新規事業なんぞより、ラインの仕事のほうがはるかに大きい。
「重要な仕事である」と頭ではわかっていた。
だが、わがままな私は、この刺激のない仕事に程なく飽きてしまった。
そこである日、私は上司に
「最近、仕事がつまんないんですよね。成長している感覚もないですし。」
とボヤいた。
上司との関係は良かったので、またいつものように軽妙に切り替えしてくるだろう、そんな感じで何の気なしの発言だったと思う。
だが、上司は珍しく考え込んで、一言、発した。
「刺激中毒だな。」
「中毒?」
「刺激を受けることが、成長につながると思っている人の典型的な思考だよ。」
私は辛辣なその言葉に、何も返せなかった。
*
この上司の言わんとしたことは何か。
結論から言うと、「成長実感がある」と「成長している」は別なのだ。
むしろ、成長実感があるうちは、真に成長しているとは言えない、と言っても良いかもしれない。
なぜなら、「成長実感」を一番得やすいのは、初期の頃、素人に毛が生えはじめるときだからだ。
どういうことだろうか。
具体的に成長を実感するのは言うまでもなく、なにかの目標を成し遂げた、なにかが新しくできるようになった時だ。
例えば、新人が、初めてお客さんのところに一人で行けるようになった時。
新しい知識を得たとき。
部下から初めて感謝されたとき。
しかし、時が経つに連れ、徐々に成長を実感することは少なくなる。新しいことは、そうそう無いし、自分のレベルも上がってきている。
要は、ある程度成長してしまうと、簡単にクリアできる目標がなくなるのだ。
「新しく目標設定すれば良いじゃないか」という方もいるかも知れない。
だが、ある程度成長した人にとって、「次の目標」というのは、真の一流への道になってしまう。
だが、そういった目標の達成に至る道は、簡単に成長実感が得られるものではない。
例えば、野球で考えてみよう。
子どもたちは野球が好きだ。
野球を始めた頃は、ちょっと練習するだけでぐんぐんうまくなるからだ。
最初はキャッチボールできただけでも、投げられたボールを バットに当てられるだけでも、十分に楽しい。
一通り投げたり打ったりできるようになると、今度はそこから、今度は草野球で試合ができるようになってくる。
すると更に野球は楽しくなる。
ところが、このあたりからだんだん上達のスピードが遅くなってくる。
周りのレベルも上がるからだ。
だから、草野球で活躍できるようになるためには、反復練習や、体力向上のための走り込みなど、ある程度の「楽しくない」努力が必要になる。
それでも、町内会の大会で優勝を目指すならば、練習を人一倍やれば良い。
例えば土日と休みを野球に費やせば、大抵の人は成長実感を伴って、野球がうまくなるだろう。
ところが、次の目標を定めると、次は県大会、関東大会と、徐々にハードルが上がってくる。
そして甲子園ともなれば、もう「成長実感」を感じるときよりも、「単に辛いだけの練習」をする時間のほうがずっと長い。
本人にセンスがあって、監督やコーチの教え方が上手ければ、「圧倒的な成長実感」を感じる人もいるかも知れないが、残念ながらそういう人は僅かだ。
そして、「一流」の証である、プロ入り。そして「超一流」の証である、プロでの活躍。
日々実感できる、わかりやすい成長は、ここには存在しない。
「超一流」のゾーンでは、「本質的におもしろくないこと」に延々と取り組みことが要求されるからだ。
例えば、ベストセラーとなったジョフ・コルヴァン著の「究極の鍛錬」にはこうある。
超一流になるための鍛錬は、不得手なものに逐一分析を加えながらしつこく取り組むことであり、「本質的に楽しいものではない」。
エリクソンと同僚は論文で、究極の鍛錬は「本質的に楽しいものではない」と述べている。
(中略)
もし達人になることが簡単で楽しいなら、誰もがこぞって鍛錬するようになり、最高の技を持つものとそれ以外の人と区別がつかなくなる。
究極の鍛錬が辛いという現実は、むしろ良い知らせともなりうる。
辛いということは、多くの人がやりたがらないのだから、喜んで精進すれば、他の人達から見てそれだけあなたは際立った存在になる。
もちろん、誰もが「一流」を目指すわけではない。
「楽しい」で止めておき、次々と刺激を求めて転職を繰り返したり、新しいことにチャレンジしたりするのも悪くない。
だが、楽しさを原動力としての成長は、レベルの低いうちには有効だが、ハイレベルの戦いにおいては、楽しさの源泉である「成長実感」を得られるシーンはそう多くはない。
前述した私の上司は、それを直感的に知っており、
私を「何いってんだ、ここからが真の勝負だろう」と諭してくれたのだろう。
つまり、「成長実感がなくなってからが、真の上達のはじまり」と知る者だけが、一流になることができるのである。
「石の上にも三年」という言葉も、案外捨てたものではない。
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